年の瀬も押し迫った12月23日。『新日本プロレス』から異例の発表があった。現役レスラーでIWGPヘビー級王座を何度も獲得したエースレスラー、自称「100年に一人の逸材」棚橋弘至が新日本プロレスの代表取締役社長に就任。現役レスラーの社長就任はアントニオ猪木、坂口征二、藤波辰爾に次いで4人目となる。記者会見で棚橋は今後も社長業をこなしつつリングにも上がり、IWGPヘビー級王座も狙っていくと公言。

 まず素朴な疑問として、何でこの時期に社長就任なのかというと、多分2024年1月4日東京ドーム大会以後1月中に行われる所属選手の契約更改を見据えての事であろう。去年の契約更改で新日エースレスラーの一人、飯伏幸太がフロント陣との対立がこじれた結果、円満と言えない形で退団してしまった。その教訓から契約更改においても背広組よりレスラー同士なら腹を割って話せるのでは…という判断が下されたと推測される。まさかないとは思われるが事実上の新日のトップレスラー、オカダ・カズチカの海外団体流出や、外人レスラーのエース格、ウィル・オスプレイの米国団体『AEW』への移籍が噂されている事もあり、新日経営側としては万全の体制で臨みたい。その為の社長就任なのだ。

 

 新日の社長ではなくレスラー・棚橋弘至について語るのは、俺にとってはかなり厄介である。彼はデビュー以来ずっとベビー・フェイスで通してきた、彼の世代のレスラーとしては非常に珍しいタイプ。オカダ・カズチカはまず尊大キャラのヒールとしてIWGPヘビー級王座に輝いたし、内藤哲也はフロントに盾突く事も辞さない制御不能なキャラクターとして頭角を顕した。この二人に比べると棚橋は新日入団直後から将来のエースとして純粋培養され育てられた感があり、今一つレスラーストーリーとして面白味を感じられないのだ。

 やはりプロレスラーは山あり谷あり、紆余曲折を経てトップに上り詰めるみたいなストーリーがあった方がいい。オカダ・カズチカだってルチャ団体『闘龍門』から新日から移籍したばかりの頃(当時のリングネームは『岡田カズチカ』)は体もできておらずひ弱に映り、毎試合前座で先輩レスラーにいい様に扱われる屈辱を味わっている。勿論棚橋にも前座時代があった訳だが長州力に可愛がられていた事もあり、そういうトラウマになる程の扱いを受けていた記憶はない。

 そんな優等生レスラーだった棚橋が味わった最大の屈辱は06年、IWGPヘビー級チャンピオンだったブロッグ・レスナーの対戦拒否事件。大枚はたいて元WWEのエースだったレスナーを獲得した新日だったが、流れからすると棚橋とのタイトル戦は棚橋が勝ってタイトル奪還となるはず。だがレスナーはその台本を拒否。本音は「何で俺が棚橋みたいな格下レスラーに敗けないといけないんだ」という事だろう。結果IWGPヘビー級王座ははく奪されたがレスナーはベルトを返却せず、07年猪木が興した格闘技団体『IGF』旗揚げ戦で元オリンピックチャンピオンのカート・アングルにレスナーが敗れ、そのカート・アングルが中邑真輔に敗れた事で漸くベルトが新日に戻り、IWGPヘビー級王座に輝いていた棚橋が09年4月アングルとの防衛戦に勝った事で一応屈辱を晴らした形になったが、それまでに3年もの月日を要した。

 この09年から11年頃までが棚橋のレスラーとしての絶頂期だった。新日もかつての格闘技アレルギーから脱却した事もあり、軟派なイメージでガチガチな新日ファンからあまり好かれていなかった棚橋のベビー・フェイスキャラも受け入れられる様になったのだが、翌12年には既にオカダ・カズチカが台頭してきており、彼の売り出しに一役買う役割を担う事になってしまった。そういう損な役も嫌がらず引き受ける辺りも「新日の体制派レスラー」の印象を与えるのだが…

 以降も棚橋はトップ戦線に絡み実際IWGPヘビー級王座を奪還し、夏の大一番『G1 CLIMAX』で優勝したりちゃんと輝かしい成績を収めているのだが、リングの話題の中心はオカダ、内藤の方へ移っていった感は否めない。だが棚橋はそういう扱いにも異を唱える事もなく与えられた役割をちゃんとこなし続け、姉妹団体『スターダム』との合同興行では女子レスラーとタッグを組むミックスドマッチも二つ返事で了承。とにかく団体側にとっては優等生レスラーの見本みたいな男。確かに社長になってもおかしくない。

 

 記者会見では今後もIWGPヘビー級王座を狙っていくと宣言した棚橋だが、これはリップサービス。猪木じゃあるまいし、社長兼団体エースみたいな振る舞いをすると所属レスラーの反発を食うのは必至。年齢(来年48歳)の問題もあるし徐々にタイトル戦線から退き、来年の『G1 CLIMAX』はもう出場しないかもしれない。「100年に1人の逸材社長」がまず着手すべき事は、オカダ、内藤に次ぐエース候補の養成。そこまでの逸材が今の新日若手の中にいるや否や。