宇崎竜童のMCによる紹介で次々にメンバーがステージ上に現れ、やがてヒット曲『スモーキン・ブギ』の演奏が始まる。客層にはメンバーのツナギ服を真似て着ている若者が多い。彼等の一部は『キャロル』ファン層と被る暴走族。宇崎としてはバンドユニフォームの一環として着ているだけなのに、暴走族ご用達バンドみたいに見られるのには困惑するばかり。走り屋になりたい若者の気持ちは判ると言いつつも、俺たちは彼らの行動を肯定してる訳ではないと語る…。

 

 73年宇崎竜童をリーダーに結成された『ダウン・タウン・ブギウギ・バンド』。74年末から『スモーキン・ブギ』『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』の連続ヒットを飛ばす一方、日活ロマンポルノ『おんな鑑別所』シリーズの音楽を担当、その後も幾つかのサウンド・トラックに関わり、宇崎は俳優として映画出演もこなす様になっていった。本作は自分たちの映画を作ってみたいとの要望に応える形で、日活で製作され75年公開された32分のドキュメンタリー作品。バンドのライヴ風景を中心に据え宇崎らメンバーの本音、当時を偲ばせる風俗ショットなどを混じえた構成。『おんな鑑別所』シリーズの小原宏裕が本作も監督して、ロマンポルノのスタッフも参加。

 

 バンドはコンサートの為沖縄へ。宇崎は以前のバンド時代沖縄のクラブで米兵相手に数日間演奏した事があった。最初見かけた兵隊がいなくなったのでどうしてかと聞くとベトナムに行ったと聞き、今も戦争は続いているのだと実感した事が。その体験を基に作った『ベース・キャンプ・ブルース』を演奏。地元歌手の島唄に聞き入るメンバーたち。横須賀米軍基地周辺に集う女たち、ストリップ劇場の踊り子。そのイメージから作った楽曲をステージで演奏。敦賀のオールナイト屋外コンサートでのライヴ。ステージ上から宇崎はツナギ着た連中が強盗働いた事件の事を取り上げツナギは悪の象徴じゃない、汗水を垂らして働く労働者の印と強調する…。

 

 芸能生活がもう長かった宇崎以外のメンバーには、音楽好きの若者以上の印象はない。そんな彼らがスター扱いされる事への戸惑いと、既にベテランの風格がある宇崎との立ち姿が対照的。ライブ風景とメンバーのインタビュー以外に『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』(64)を模した追っかけシーン(メンバーのリクエスト?)、ヒット曲に合わせてのイメージシーンがあり、ストリップシーンでは踊り子が半裸姿で出演。島唄歌手の登場はわざとらしい(笑)。30分強の時間枠に色々と詰め込み過ぎて散漫になった感じ。ライヴ風景とインタビューだけで構成したら締まった作品になったと思うが、メンバーがそれでは満足できなかったのか。

 

作品評価★★

(素朴な疑問としてこの作品はどういう形で公開されたのか? まさかロマンポルノの併映ではあるまいし、彼らのコンサートとかで上映したりしたのかしらん。固定観念抜きに見ても宇崎のカリスマ性には単なるロックミュージシャン以上の物があり、その後のマルチぶりも判るわ)

 

映画四方山話その996~今更「世界のナベアツ…もとい、世界のキタノ」でもあるまいし?

 

 公開前からトラブルに見舞われていた北野武監督作品『首』が、興行不振で製作費の回収すらおぼつかないのでは…との情報が。作品の出来については未見なので評価は差し控えるが、何分にも公開のタイミングが悪過ぎ。NHK大河ドラマ『どうする家康』の裏版ストーリーの感は否めない。キャステイングについても二つ返事でOKすると思っていた渡辺謙に断られ、カンヌ映画祭への出品も空振りに終わってしまった。

「ビートたけし」のコメントによると『首』の構想は30年前からあったが、30年前に書いた台本がタンスの奥から出て来て3時間考えただけで製作を決めたとか。ジョークの部分も多少含まれてはいるのだろうが、こういう思いつきみたいな形で北野武が映画を製作してきたのは、事実の様な気はする。

 長いテレビタレント仕事で鍛えた勘みたいな物は、文学青年くずれの映画監督には持ち得ない才能ではある。これまで成功した作品に共通するのはテーマが極めてシンプルな事。変に賞狙いを意識した物は大抵つまらない。『アウトレイジ』シリーズもシンプルに「登場人物は全員悪人」というのが受けた(実際は中野英雄のみ「悪」ではなかったが…)。『首』も『アウトレイジ』と似た内容に思えるが、変にゲージュツを意識した宣伝の仕方が災いしたのではないか。

「ビートたけし」の求心力の低下も映画興行の勢いに影響している気がする。往年の彼は「ビートたけし」と「北野武」との、二つの顔を使い分ける事で成功した。TVで悪ふざけやってる彼が、映画では一転してシリアスな作品を作る事が意外性の興味を惹いたのだが、今のビートたけしは映画を作る事のみが生き甲斐の老人になってしまった感じ。TV出演も楽して大枚のギャラがもらえる仕事か、文化人的顔が見れる仕事に限られており、彼にとって映画製作は定年退職した人の盆栽趣味みたいな物…と表現すると言い過ぎだろうか。

 そして最後に、俺は未だに北野武が森昌行プロデューサーを切った行動が理解できない。「殿」の命令で森氏を攻撃していた「たけし軍団」の言動や文章は「殿が黒と言えば白い物も黒」レベル以上ではなく、信頼するに足りうる物ではなかった。

 百歩譲って森氏が『オフィス北野』社長として不適格なら、社長は辞任させ映画部門担当専任の形で北野武の映画製作をヘルプするやり方とか、色々平和的なやり方もあったのでは…と思うのだが(ちなみに森氏は社長退任後もオフィス北野の後会社に取締役として残っているそう。あの時のバトルは何だったんだ?)

北野武の今後の映画製作に、森昌行氏に代わる有能専属プロデューサーが現れない限り、また製作トラブルに見舞われるのではと憂慮したくもなるな…。