俺が一番最初に聴いたディランの曲は『天国の扉』だった。それから『ザ・バンド』をバックにしたアルバム『プラネット・ウェイヴ』(74)の発売とザ・バンドとの共演ツアー、そして『血の轍』(75)『ローリング・サンダー・レビュー』の活動という怒涛の快進撃?があり、結果的には初期のフォ―ク時代のディランは後追いで聴く事になった。そういう逆流的な聴き方をした事が幸いして、ディランの弾き語り曲は至極ピュアな感じでいつも聴いてきた記憶がある。

『時代は変る』(64)は、そんなディランのフォ―ク時代の到達点的なアルバムと言えようか。公式的には初めて自作曲のみで固め、前年にはケネディ大統領暗殺事件があり、米国の混迷も極まっていた時代にこのアルバムは発売された。

 アナログA面1曲目『時代は変る』は、その混迷の中から新しい時代を見出していこうとのポジティヴな姿勢を打ち出したプロテスト・ソング。作家、批評家などのインテリゲンチャ、国会議員、子供に理解のない両親といった連中が槍玉に挙げられ、時代は変っているんだから目を覚ませとディランは唄う。比喩的な表現は殆どなくストレートな詞が今聴くと潔くすらある。

 

 A面最後の曲『ノース・カントリー・ブルース』は北アメリカの炭鉱町で暮らす女の主観で不況時代を唄っている。景気が良かった炭坑も時代の流れで廃れていく一方。高校を退学して炭鉱夫と結婚し3人の子持ちになった女も経済的に苦境に立たされた末、夫は失踪して寂れた街に女と子供だけが取り残される。プロテストソングというよりバラッド的な要素を含んだ歌で、俺は現在は翻訳家の真崎義博が『ボロ・ディラン』の変名で日本語詞を付けて唄っているカバー・ヴァージョンでこの曲を知った。60年後半の日本のアングラ的フォ―クシーンではボブ・ディランの影響力は強かったという事である。

 

 アナログB面4曲目『ハッテイ・キャロルの寂しい死』は、実際に起こった事件への怒りをそのまんま歌詞にした物で、ブルジョアの白人の若者がほんの些細な理由でメイドの黒人女を一方的な暴力で殺しても、僅か懲役6年の刑しか宣告されなかったという現実を唄った、本アルバムでも最も過激な歌詞のプロテストソング。加害者の実名入りで唄っているのが凄い。そんな米国社会を被う人種差別は、今に至ってもそんなに変わっていないのだ。

 

 

 そんなプロテスト・ソング風な曲が並ぶ中、B面2曲目『スペイン革のブーツ』みたいなラブソングもある。突然海の向こうまでの旅へと出てしまった恋人が旅先で書いた手紙を受け取る男。既に自分の事が彼女の心の中で重きをなしてない事を悟った男は、最後の想い出にスペイン革のブーツを買って送ってくれと返信を書こうとするのだが、旅に出た恋人にその想いを届ける術もない…。

 ディランのナイーブな一面が伺え、かつ手紙をテーマに女の主観と男の主観が入れ替わって唄われる詞の構成が斬新だ。松本隆はこの曲をパクッって『木綿のハンカチーフ』の詞を書き作詞家としてブレイクした。

 

 

 1曲1曲の詞に確立したテーマがあり、歌と時代が程好くマッチしていた、フォ―クソングにとっては理想的な形が成立しているアルバムだとは言える。尤もディランは「フォ―ク界の旗手」と周りから見られる事に徐々に重みを感じ始め、やがてフォ―クの域からはみ出していく事になるのだが…。

『ビリー・ザ・キッド』はサム・ペキンパーが監督した『ビリー・ザ・キッド/21歳の生涯』のサウンド・トラックアルバムで、ディランがサントラを制作するのも初めてだし、俳優として映画に出演したのも初めての事だった。バイオレンスな作風で知られるペキンパーだが、この作品は淡々とした詩情溢れる作品で、銃撃シーンはあってもバイオレンスなイメージは希薄。

 サントラアルバムはメキシコのスタジオでレコーディングされ、ビリー・ザ・キッドに扮したシンガー・ソングライター、クリス・クリストファ―ソンのバンドメンバーとメキシコのミュージシャン、『ザ・バーズ』を解散させたばかりだったロジャー・マッギン、セッションドラマーのジム・ケルトナーなどが参加。サントラアルバムなのでインスト曲が多く、ディランのヴォーカルが聴けるのはアナログA面で1曲、アナログB面の3曲(A面の最終曲『河のテーマ』ではハミングを披露しているが)。

 インスト曲は『天国の扉』と似通ったカントリー・ロックスタイルの曲中心にフォ―ク・ロックぽい曲、カントリー&ウエスタンその物みたいな曲も含まれる。前者について言えばメキシコ音楽のエッセンスが入った事によって、至極ゆったりとした感触のアレンジになっており、当時の米国音楽界で持て囃されていた「レイド・バック」的なニュアンスも感じ取られりもするのだ。音楽界復帰直後のディランにとっては、肩慣らしとしてはこういうサウンドがフィットしていたのかもしれない。

 

 ディランのヴォーカル曲はビリー・ザ・キッドのタイトルにナンバリングが付けられた3曲があるが、やはり白眉は『天国の扉』である事は明白。劇中で撃たれた老保安官が死んでいくシーンに流れるこの曲には、ディランにしては珍しく具体的で分かり易い詞が付けられており(劇中歌なのでそれが当たり前と言えるのだが)、人間誰しもが死んでいく直前はこんな感じなのかな…と思ったりも。ディランの曲の中で最もカバー・ヴァージョンが出回っている曲でもあり、こんな単純なギターコード進行でも名曲ができてしまうのだな…と驚かされた曲でもある。

 

 

 

 

 アルバムの性格上ディランの代表作とはとても言えないだろうが、リラックスして聴けるという意味ではディランのアルバムの中では最適だと敢えて言いたい気分もある。ディランの曲が映画で流れる事はこれからもあると思うけど、ディランが自ら作ったサントラ音楽は先にも後にもこのアルバムでしか聴けないのだから、その意味でも貴重なアルバムなのだ。