後年の桑名正博で個人的に印象に残るのは、毎年大晦日恒例の『ニュー・イヤー・ロック・フェスティバル』が90年代後半に東京と大阪の二元中継体制になり、桑名が大阪中継のMCを担当していた姿。フェス主催者の内田裕也と桑名は師弟関係であるだけでなく、その経歴にも似通った所が多かった。共に関西の裕福な家庭に育ったお坊ちゃま育ち、ドラッグ関連での逮捕歴があり有名人との結婚で芸能スキャンダルの世話になり、共に俳優としての活動も経験している。

 桑名は17歳で留学も兼ねて70年に渡米し、帰国後の72年に『ファニー・カンパニー』を結成。元々「ファニー・カンパニー」は、ベースの横井康和が京都で女性2人と活動していたフォ―クグループの名前であった。ヴォーカル&ギターの桑名に横井、セカンドギターとキーボードが加わり活動。結成当時はドラム担当のメンバーはおらず「トラ」でドラマーを調達し活動していたらしい。

 内田裕也のお眼鏡に適ったファニー・カンパニーは『キャロル』と共に内田が提唱する「ロックンロール振興会」のイベントで活動。キャロルとはライヴハウスで対バンも経験。同じロックンロールバンドを名乗りながらあらゆる面で対照的だったこの2つのバンドは、必然的にライバルと目される様になる。

 そういう流れを経てファニー・カンパニーはレコードデビュー、73年1月発売されたのがデビューアルバム『ファニー・カンパニー』だ。レコーディングには、後の『ゴダイゴ』の浅野孝巳と共に『M』というバンドに在籍していた西哲也がドラマーで参加、そのままファニー・カンパニーの正式メンバーになった。収録曲の作詞&作曲は桑名と横井が担当。

 

 アナログA面1曲目『魔法の気体』はタイトルからしてドラッグソングぽくヤバい。イントロのブルースぽいリフにインパクトが強烈。キャロルよりずっとぶ厚いサウンドでノリも日本のバンド離れした豪快さがある。

 2曲目『退屈はあぶくになって』は『レイナード・スキナード』ばりのサザン・ロック風サウンドで、退屈な日常への焦れったさが唄われる。間奏では桑名のギターのみならず、ベース&ドラムスのリズムセクションもフィーチャー。

 3曲目『僕もそのうち』は前曲に続きレイナード・スキナード風な荒っぽいサウンドで、どうせ僕もそのうち死んでしまうのだから、今の内に好きな事をやってしまおうぜ…的な詞。間奏ではセカンドギターの栄孝志とイカした(死語)Wリードプレイも披露してくれる。

 4曲目『今ここに僕はいる』のヴォーカルは桑名でなく栄。都会で生きる孤独を唄った詞はフォ―ク化していった頃の『モップス』との共通項を感じる。生ギターを効果的に使ったアレンジもまたモップスぽいのだ。

 A面最後の曲『スウィート・ホーム大阪』はアルバムに先駆け72年末にシングル曲として発売。ブルースのスタンダートナンバー『スウィート・ホーム・シカゴ』を意識した曲だが、関西弁で「わいは大阪が好きやねん」と唄いつつ「でももう帰れまへん」という、まるで『大阪で生まれた女』の男版みたいな歌詞。関西ロックがブームになる前に登場した名曲である。

 

 アナログB面1曲目『無意味な世界』はA-2と同じく虚無感を綴った詞ではあるが、ワイルドでスケールの大きい演奏にはマイナー感は皆無。適度に荒い演奏がこのバンドの持ち味でもあろう。桑名の熱っぽいギターソロも聴き物。

 2曲目『午後一時ちょっとすぎ』は普通タイトルなら「午前一時」と付けそうな所を「午後」にしている所がポイント。いつも昼過ぎまで寝ている、自由人ならではの生活を淡々と描写している詞は桑名自身の日常を切り取っているのだろう。生ギターを効果的に使ったアレンジはウエスト・コースト・ロック風でもある。

 3曲目『冷たい女に捧げる』は、桑名のヴォーカルの魅力を最大限に生かそうと試みたバラードソング。演奏自体は後年の『柳ジョージ&レイニー・ウッド』ぽい、コーラスを加えた劇伴にも似合いそうな曲。これもまた他の曲とはちょっと趣は違うね。

 4曲目『彼女は待っている』は内田御大が好みそうな正統派ロックンロールソング。ホーンセクションも加わりノリのいいサウンド、「あんたもケツ振り振り」という、サビのコーラスが面白い。冒頭の「二人で一つ」という元の歌詞が卑猥だとレコ倫のチェックが入り、書き換えを要求されたとか。

 アルバム最後の曲『ある女』は栄のヴォーカル。どうもこの人の音楽世界は桑名や横井の目指す所とは違っていた気がする…。この曲も軽めのポップソングという感じでファニー・カンパニーぽくない。この曲も元の歌詞が反道徳だとレコ倫のクレームが付き、無難な詞に書き直した(とは言え隠し味的には結構過激な意味があるそうだが…)。

 

 感想もキャロルとの比較で書くと、初期ビートルズを指標としていたキャロルに比べ、ファニー・カンパニーは米国の南部&西部のロックサウンドからの影響が強く出ている。73年にブームとなった「サザン・ロック」を先取りした先見性も見受けられ、バンドとしてのスケールは遥かにファニー・カンパニーの方が上だ。かつヴォーカルにおいても桑名正博は矢沢永吉を圧倒する存在感を見せており、「ロック」としてはファニー・カンパニーの方が間違いなく聴き応えがある。

 ただ明暗を分けたのは「どうしても売れたい」というバンドのハングリー感だ。メンバー全員叩き上げ感のあったキャロルに比べ、ファニー・カンパニーのオリジナルメンバー全員がお坊ちゃま育ち。詞の世界からも見受けられる遊び人体質が彼らの身上でドラッグも経験済み、好きな音楽をやりたい気持ちはあっても、売れたいという気持ちは二の次であった。

 内田裕也を公然と批判し内田一派と袂を分かちブレイクしていったキャロル(矢沢〉とは対照的に、ファニー・カンパニーはもう1枚アルバム発表後に解散。桑名はソロとして歌謡ロック路線に転向し70年代後半に一応の成功を収めた。それでもファニー・カンパニーへの想い入れは強く、2012年にはオリジナルメンバーが集って再結成ライブも行っている。