80年代の始まりにスキャンダラスなライヴで、インディーズ・ロック界を越え一般マスコミに取り上げられる存在にまでなっていた『財団呆人じゃがたら』。しかしボーカルの江戸アケミは自分たちをキワモノ的にしか見てない聴衆に絶望を感じ、音楽で勝負するバンドを志す様になる。アケミと同じ明治大学出身で他のインディーズバンド経験もあったOTO(ギター)が加入し5人組バンドとなった彼らは『暗黒大陸じゃがたら』と改名し82年春に同名のアルバムを発表。中村とうようや渋谷陽一など硬派な評論家連中から高い評価を得た事でバンド活動にも益々弾みがつき、更に『じゃがたら』とバンド名を改名した矢先の83年、ツアー先の京都で突然アケミは心の病に襲われ、病院治療を余儀なくされる。

 そうなった原因は部外者には知る由もないが、一説によると京都のライヴ前日バンドツアーにありがちな乱痴気騒ぎがあり、それで強烈な自己嫌悪に陥ったのでは…と言われている。野放図な様に見えて、実はアケミはシリアスに物事を考える男であった。

 ツアーの中途でアケミは離脱し精神病院で治療を受ける事に。じゃがたらはアケミが完全復帰する86年まで散発的な活動を余儀なくされる。本アルバムは帰郷中のアケミの病状が良くなり85年9月の東京屋外ライブに出演するのに合わせ発売されたライヴアルバム。A面は83年発病間もない時期恒例の法政大学祭オールナイトライヴに出演した際の録音。じゃがたらの出演時間は押しに押し、既に日が上がった午前七時になっていた。B面は84年2月アケミが病院に外出許可をもらって出演した渋谷『屋根裏』での演奏。共にラジカセレベルの録音で音質は良くはない。

 

 A面の時点でバンドにジャズバンド『生活向上委員会』のメンバーだった篠田昌己(サックス)と吉田哲治(トランペット)が加わり、じゃがたらは7人編成の大所帯バンドになっていた。1曲目『タンゴ』はじゃがたらのデビューシングルにもなった彼らの代表曲だが、通常とは様子が違う。EBBYの深淵的なギターソロをバックに、アケミが即興的な歌詞を吐きながらモノローグとも観客へのメッセージともつかない言葉を吐く様が記録されており、異様な雰囲気(アケミは途中で観客に向けてゴメンと謝ったりしている)。

 改めてカウントした後仕切り直し的に『タンゴ』が演奏されるのだが、従来のギターソロにサックス、トランペットが加わりインストパートが大幅に引き延ばされている。世界観は独特だがリズムはファンクスタイルという、じゃがたらが『JAGATARA』とまた改名して以降のスタイルの萌芽を感じる所がある(尚この演奏は以前you tubeで撮影動画が挙げられていたが、今も観れるかどうかは不明。

 

 2曲目『BIG DOOR』はアケミの狂気性が十二分に発揮された曲。『レニー・ブルース』なんて固有名詞も登場する歌詞はシュールというか抽象的というか摩訶不思議。演奏は冒頭から猛烈なファンクスタイルだが中途でリズムが変わり、フェイクジャズ調の管楽器ソロがたっぷりフィーチャー。アケミ生前最後のアルバム『ごくつぶし』で改めてスタジオ録音されている。

 

 A面最後の曲『岬でまつわ』も後にセカンドアルバム『裸の王様』(87)でスタジオ録音された。ホーンセクションのアレンジがきっちり決まっており、スタイリッシュな部分を感じたりも。出口が見えないこの状況を車のスピードを上げる事で突き抜けるといった、かなり意味深な歌詞。この曲だけを聴いているとアケミの精神状態の不安定さは感じ取れないのだが。豪快なEBBYのギターも聴き物。「バイバイ」と観客に別れを告げるアケミの肉声で終了。

 

 アナログB面はトロンボーンでやはり『生活向上委員会』だった佐藤春樹が加わりじゃがたらは8人編成になっている。療養中のアケミが唄えるかどうかは微妙だったが、ぶっつけ本番で臨んだ。1曲目は何と『BIG DOOR』の再演。A面に比べるとサウンドアレンジは更に強化されその演奏力には圧倒されるのだが、アケミのテンションも更に尋常でなくなっている。狂気の淵にギリギリ立っているアケミ…という構図だ。

 2曲目『少年少女』は、サードアルバム『にせ予言者たち』(87)でスタジオ録音された。バブルに向かう時代に踊らされんとしている少年少女に「お前たちは自分の踊りを踊れ」とメッセージしているじゃがたらの代表曲の一つだが、アケミの状態が良くないので冒頭の「FUNKY PUNKY DISCO FUN GO GO」という一節が引き延ばされての歌唱。アケミの代わりに他のメンバーが唄ったりして大変。この時はベースのナベもアケミの狂気が伝染し普通じゃなかったみたいだ(後に彼も入院)。

 最後の曲『HEY SAY!』は偶然にも昭和の次の時代「平成」を予言したタイトルとなり、サードアルバム『それから』(89)で改めて収録される事になった。じゃがたらの初期の攻撃性を持ったパンクかつファンクなナンバーで、この時のヴァージョンは間違いなく放送禁止(笑)。この曲でハイテンションになったアケミは演奏が終わっても吠え続け、OTOが無理矢理終わらせる(アケミの出番は3曲で終わったが、じゃがたらはあと1曲演奏してこの日のライヴを終了させた。

 

 

 アケミの発狂は他人事ではなかった。とにかく何が何でも笑えればOK、他人を笑わせられない奴は「根暗」のレッテルを貼られ全人格が否定される、文化的ファシズム状態だった80年代初期。俺も然るべき人に診てもらえば精神的疾病の一つや二つは発見されたと思う。本アルバムはそんな時代状況と対峙し苦闘した男の記録…と言えるだろう。

  江戸アケミは90年1月に急逝し『JAGATARA』の歴史は一旦そこで幕を閉じたが、その遺した音楽や思想性は今の時代の方がスムーズに受け取れられる気がする。ともかく「踊ってもいいけど踊らされるな」って事だ。少なくても意識の上ではそういう風でありたい…というのが俺の結論であった。