人気女優が唄うレコードはそれこそ戦前から発売されており、歌謡曲全盛時代になった60年代ではアルバムを発表するケースもあっただろう。ただその殆どがレコード会社お抱えの作曲家が作った曲を唄う無難なパターンで、音楽マニアの視点からするとあまり面白く聴ける物はないのではないかと思う。

 それが変化してきたのは70年代から。フォ―クが若者向けの音楽として定着、従来の枠組みではない形で登場してくる「個性派女優」。その二つの流れが合体しアルバムを制作するケースが多々見られる様になった。それが全て聴き応えある出来ではさすがにないけど、それでも従来の「歌う人気女優」とは違うテイストのアルバムが発表された事は、記憶に留めておいていいだろう。

 さっき聴いた『秋吉久美子』はその代表的なアルバムと言えるのではないか。秋吉久美子は1972年主役オーディションに漏れながらもその個性を評価され、青春映画『旅の重さ』で女優デビュー。翌74年『赤ちょうちん』(74)のあっけらからんとヌードシーンもこなす奔放な演技が映画ファンに受け、桃井かおりと並ぶ70年代を代表する個性派女優に成長。TVのCMにも出演しやがてお茶の間でも知られる有名女優へと。

 そんな彼女が初アルバム発表の場に選んだのが大手レコード会社ではなく、フォ―クのイメージが強かった『エレック・レコード』だったのも、70年代という時代らしい。レコーディングに参加したミュージシャンはベースを除いた『四人囃子』の三人囃子(森園勝敏、坂下秀美、岡井大二)、浦和を拠点に活動していたハードロックバンド『安全バンド』の長沢ヒロ(ベース)、中村哲(サックス)。

 

 アルバムA面は有名曲を秋吉ならではのセンスでカバーするコンセプト。1曲目『赤い靴』は野口雨情が作った童謡。バックの演奏は原曲のイメージとはかけ離れた、レゲエとフュージョンを掛け合わせた様なアレンジ。元々今の感覚ではかなりヤバい詞なのだが、秋吉久美子のか細い系ヴォーカルで唄われるとより犯罪色が濃厚に。

 2曲目は誰もが知っている『しゃぼん玉』。かつて高石友也はこの曲を昭和前期まで東北の貧村に風習として残っていたと言われる「間引き」の暗喩として唄ったが、秋吉久美子が唄うと若い身空で同棲相手の子を妊娠し、否応なく中絶しちゃった少女の歌になる。

 3曲目『星の流れに』は戦後直後に菊池章子が唄って大ヒットを記録。元々は従軍看護婦だった女性が帰国してみると家や財産は戦災で全て失われ、シノぐ為には娼婦に身を堕とすしかなかった…という厳し過ぎる実話体験談を基に作詞。冒頭街頭のSETと秋吉のハミングが入り、森園のギターソロがフィーチャーされた長いイントロが一段落した所で秋吉のやさぐれヴォーカルが漸く入ってくる…という凝った構成。

 4曲目『東京ブルース』は俺の知らない曲だが、西田佐知子が1964年に発表したシングル曲。ファンキーなバッキングに乗り、棄てた男への恨み節を秋吉が語り唄いする。卓越したバック演奏によって約10年前の曲に現代的なニュアンスを持たせる事に成功。

 A面最後の曲『エリカの花散るとき』も西田佐知子が63年に発表しその年の紅白歌合戦でも披露した曲だとか。冒頭のサンタナ風ギターと間奏のサックスソロが印象的なラテン歌謡曲風なアレンジ。盲目的な愛に命を燃やす根暗系女?の歌。これでA面終了。

 

 アナログB面は秋吉が作詞とナレーションを担当。1曲目『えんがちょ』は秋吉のエッセー風な歌詞が印象的。「私は『エロスと狂気』という言葉に弱い」というのは「女優・秋吉久美子」の実感であろう。奔放なイメージが先行し世間からえんがちょ扱いされかねない自分を自嘲している風でもある。アレンジはこのアルバムと同時期にデビューした「佐井好子」ぽい感じか。

 2曲目『おそまつさまでした』は昔の男に電話をかけている設定の秋吉のナレーションに続き、ピアノをバックに秋吉がレストランをテーマにしたシュールな詩を朗読(レストランで隠し撮りした風のSEがバックに流れる)。「不思議少女・秋吉久美子」を印象付けるトラックだ。

 秋吉の何か深刻話そうな電話芝居の後、3曲目の有名曲『10人のインディアン』の秋吉ヴァージョン。「10人」は付き合ってきた男の数だろうが「10人目はいない」という歌詞が意味深である。

 電話でプロダクションの社長らしき男との打ち合わせ話が決裂し「私もう辞めます」というナレーションを繋ぎにして4曲目『フロイト』へ。四人囃子風なハイテンションな演奏をバックに、またまた秋吉の現代詩風な朗読が、切羽詰まった女の心情を吐露している。

 5曲目『天才』は歌半分、語り半分といった構成で「パセリ」という、意外なワードから飛躍するイメージをどんどん膨らませてゆく発想力が常人離れしているというか。後年の中島みゆきぽい感じもしたが、この頃中島みゆきは公には世に出てはいなかった。

 最後にお別れの挨拶代わりに『未来の思い出』という題の短い詩を朗読しアルバムは終了。

 

 A面のカバー集も音楽的な面白さもあり興味深く聴いたが、圧巻はB面の方だろう。秋吉久美子のイメージアルバム風な構成になっており、素の秋吉と「女優・秋吉久美子」が交錯しているかの様なスリリングさが味わえる。それに見え透いた「作り」が感じられないのが凄い。70年代のアイコンならではの、秋吉久美子の自由奔放な個性が爆発している。その意味で言えばエレックレコードという選択は正しかった。大手レコード会社ならダメ出しが入るだろうし。

 その後秋吉久美子はポリドールに移籍してパートⅡぽいアルバムを発表したらしいが未聴。以降アルバム制作は辞めてしまった。音楽活動その物には興味なかったのだろう。