長らく経営していた本屋を閉め94年に突然音楽界に復帰した元『ジャックス』の早川義夫。復帰して3枚目となるのがこのアルバムであった。元『四人囃子』を経てJ-POPの大物プロデューサーとなった佐久間正英によるプロデュース。佐久間は亡くなる寸前まで早川の音楽パートナーとして活動を共にした。『ジャックス』時代やソロ時代のセルフリメイク、そして日本音楽界の事実上のトップである桑田佳祐が楽曲を提供。ジャケットイラストは伝説の漫画家つげ義春が担当するという、早川義夫にとっては最大限の話題があったアルバムと言えるだろう。

 

 トラック1がジャックスのセカンドアルバム『ジャックスの奇蹟』(69)最終曲だった『敵は遠くへ』。早川が弾くピアノのバックにシンセなどの今風な楽器を配し、サウンドに厚みを持たせている。人間の弱さや孤独が真なる「敵」を遠くにしか幻視できなくしている…という哀しさを炙り出す。怒涛の様なシンセ音が凄い。

 トラック2『嫉妬』は自分の中にも巣食う嫉妬心を赤裸々にカミングアウトした曲。早川の絶叫に近いヴォーカルには切迫感がある。これもピアノにギター、ベース、ドラムが付いたバンド形式の演奏だ。官能的なギターソロにも惹かれる。

 トラック3『君でなくちゃだめさ』は何とレゲエ曲。早川義夫=レゲエとはなかなか発想できなかった…。前曲とは真逆に猪突猛進的な恋心を唄っており、ロック・ヴォーカリストとしての早川をアピールしている。

 トラック4『犬のように』は冒頭弦楽四重奏団ぽい演奏をバックに配し、好きな君を犬の様に扱う事を妄想する、S趣味を持った男を主人公にした詞が結構ヤバい。誰しもが「好き」とサディズムは一致するとは言えないけど…。

 トラック5『パパ』は親子程年の違う彼女を持った男の歓びを切々と訴える。何か小金を持った中年オヤジの自慢話と取れなくもないのだが、男の心ははいつまでも少年のまま…という定理も当てはまるかも。これも官能ぽい演奏がバックに付いている。

 トラック6『純愛』は、冒頭「あ、いい感じ」という佐久間の声?が入る。タイトルは「純愛」だけど詞世界には性愛の匂いが強く漂っていて、アイドルソングのそれとは全く違う。古い曲だがエリック・アンダーセンの『僕のベッドへおいでよ』を思い出した。

 トラック7『グッバイ』は女にフラれてしまった男の、人生にサヨナラしたくなる程の気持ちを唄った物であろうか。個人的にはそこまで心底女を好きになった事がないので、この曲の境地まではとても達し得ないです。あいすません。

 トラック8『埋葬』は最初のソロアルバム『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』の最終曲だった。オリジナル版と同じピアノ弾き語りスタイルで唄われており、バックに入る音も控えめ。歌謡曲のアイロニー的要素もあった『かっこ…』だが、再度オリジナルに近い形で再言する事で、今この曲が通用するか敢えて問うてみた…という印象がある。

 トラック9『からっぽの世界』は言うまでもなくジャックスの代表曲のカバー。不気味なシンセ音やギターがバックに付くが、やはりピアノの弾き語りスタイルだ。俺の年上の友人は高校生時代この曲を聴きながらシンナー吸引していたそうだが、今だとドラッグソング的な物というより、引きこもり少年の無力感を唄った曲…と若者層には捉えられるのではないか。

 トラック10『恥ずかしい僕の人生』は伝える事は本当の事だけ…という、早川の「うた」に対する考えを率直に綴った詞がイイ。それが恥ずかしであるかもしれないけど、それが僕の人生であり、求めている程は泣けるほどの感動…などなど名フレーズが次々に飛び出してくる。途中からリズムがロックモードに転調するアレンジもイイ。

 最後の曲が桑田提供の『アメンボの歌』。冒頭のエレピの演奏からして『サザン・オールスターズ』調で、ナンセンスでいて結構鋭い詞も桑田らしい。自らコーラスつけたりして、まるでサザンのアルバムにゲストで早川が唄った…て感じがしてしまうが。まあ話題としては良かったんだろうけど…。

 

  まず最初に欠点を挙げれば『敵は遠くへ』以外のセルフリメイク曲は意外性無い仕上がりで、これならわざわざリメイクする必要はなかったのでは?

 他の曲について述べれば、以前聴いた復帰後のアルバムと比べるとフィクショナルな曲が多い。それらに共通するのは規範的な人生観、恋愛観に対する拒絶感。それは何事にも闇雲にポジティヴでありさえすればいいとされる、JーPOPへの傾向へのアンチという部分もあったのかもしれない。

 そしてやはり一番突出しているのは、早川義夫の音楽論をそのまま歌詞にした様な表題曲である事は間違いない。「唄っていない時も実は唄っているのだ」という、裡から立ち上がってきた「うた」を、早川義夫が再び世に問う事は今後あるのだろうか?