1972年のフォークブームの立役者になったよしだたくろう(現・吉田拓郎)。当時は事情を良く知らないので突然音楽シーンに登場してきた印象があったが、メジャーな人気者になるまではかなり紆余曲折が。広島にて今で言うローカルミュージシャン的な活動を何年かしており、何故か某大学セクトが自主制作した『広島フォ―ク村』名義のアルバムに参加、そのアルバムを当時立ち上がったばかりの『エレック・レコード』が権利を買い取り、発売第一弾のレコードになった。

 そのアルバムでリーダー的活躍をしていたよしだたくろうをスカウトした形でエレックが専属契約。エレック在籍の約2年間によしだたくろうは4枚のアルバムを発表。デビュー当初はフォークの貴公子的な、一種アイドルみたいな売られ方をしていたという。

 さっき聴いた『青春の詩』はそのよしだたくろうの記念すべきファーストアルバム。レコーディングに参加したのは、レーベルメイトだった生田敬太郎のアルバムにも関わった元GSバンド『マックス』と、沢田駿吾という人が率いるジャズクインテット。全曲よしだたくろうの作詞&作曲だがアルバムの帯を見ても判る様に、この時点ではエレックはまだよしだたくろうを「フォ―クシンガー」として規定していない。音楽界のニュースター的な立ち位置を考えていたのだ。

 

 アナログA面1曲目『青春の詩』はたくろう初のシングル曲にもなっている。多分自分が経験してきただあろう事や目に映った風景を全て「青春」と言い切るその気持ちには、そういう体験を乗り越え新たな世界へ踏み出していこうとするたくろうの心情を伺い知る事が出来る。〆に総括めいた事をつけ加えてしまうのはまだ青っぽいげど。

 2曲目『とっぽい男のバラード』は『青春の詩』のB面曲。ダメダメな男の描写には時代設定は違えど、宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ…』の主人公ぽい物を感じたりもする。でも70年代はダメダメ男が女の母性愛をくすぐるみたいなイメージが漠然とあった。よう知らんけど(笑)。マックスのギタリストのソロがなかなかイイ。

 3曲目『やせっぽっちのブルース』は、その後のたくろうの代名詞になるがなり系ヴォーカルがフィーチャーされるブルースソング。周りからの疎外感に反発心を感じ何糞と立ち向かう男が、やっぱり女にフラれちゃって…。

 4曲目『野良犬のブルース』は同じブルースとタイトルが付いてもかなりダークな世界観だ。ハードボイルド的なワードの多用は、当時の『ヤング・コミック』系の劇画の影響を受けている節もあるな。マックスの演奏も更に白熱化。

 5曲目『男の子・女の子(灰色の世界Ⅱ)』はガラリと変わって、一部女性(73年にエレックからデビューした中沢厚子)が唄うアイドルシンガーぽい曲(タイトルがアレと同じだしね)。恋愛に対する男女の思惑の違いを綴る詞は結構シビアだったりするのだが。歌謡曲風なメロディーに間奏のワウワウギターは違和感あるけど、それが特徴でもある。

 A面最後の曲『兄ちゃんが赤くなった』はギター弾き語りソング。肉体仕事に従事する兄の体に夕焼けが被って赤くなったという詩的表現の一番の歌詞と、好きな女の人の前で顔が赤くなる兄ちゃんという、ベタな二番の歌詞の対比が面白い。

 

 アナログB面1曲目『雪』は美しい雪景色の世界に、好きな年上の人への想いを被せた歌詞がロマンチック。後年の歌謡曲へのアプローチの萌芽を感じさせる佳曲で、ジャズコンポによるボサノバ風のバックが付く。CBSソニー移籍後のバックバンド『猫』の独立デビューシングルにこの曲が提供されヒットを記録。

 2曲目『灰色の世界Ⅰ』も前曲に続きボサノバアレンジ。「闘争の時代」を経て生きる道を探しあぐねている若者たちをシビアに描写している。バックの演奏はこれぞ「伴奏」という感じで隙はない。

 3曲目『俺』ではホーンセクションも入り演奏は益々歌謡曲風な伴奏になっている。まるで郷ひろみが「僕」と唄う所を「俺」と変えただけみたいな、A-5に続くアイドル歌謡曲風。さすがに違和感を覚えてしまうが…。

 4曲目『こうき心』のはメロディーが初期の井上陽水を連想させる弾き語りソング。たくろうのナイーヴさが出ている。これも苦い体験からの立ち直ろうとする時の、好奇心的な前向きさと不安が相半ばする心情を歌詞にした。

 5曲目『今日までそして明日から』も前曲と近いテーマを唄った弾き語りソングだが、やや諦観じみた感情を匂わせているのが特徴。メロディー的には後のたくろう節の雛形的になっており、その意味では本アルバムでは重要な1曲と言えるだろう。CBSソニーに移籍してからシングル曲に。東宝の青春映画『旅の重さ』(72)のテーマ曲にもなっていた。

 最後の曲『イメージの詩』は『青春の詩』と同じ様なテーマではあるが、それとは違いメッセ―ジ性を前面に出した詞で広島フォ―ク村アルバムで披露済み、そのタイトル『古い船をいま動かすのは古い水夫ではないだろう』はこの曲の詞から取られている。ボブ・ディランからの影響大で「古い船には新しい水夫が乗り込んで行くだろう 古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう なぜなら古い船も新しい船のように新しい海に出る 古い水夫は知っているのさ 新しい海のこわさを」の一節は辛らつ。

 たくろうは同世代ながら60年代の学生運動を担った「全共闘」みたいな人々を「古い水夫」と斬り捨て、新しい時代を作るのは新しい水夫(若者たち)であるべき…と結論づける。それを音楽に置き換えれば、反権力や反戦を唄ったメッセージフォークソングは何れ淘汰されていくであろうと予言している風にも感じる。それが全面的に正しいかどうかは別にして、自分も多少は関わった旧来のフォ―クソングとの訣別を宣言した、よしだたくろうの「社会」や「うた」への真情が伝わってくる傑作曲だと思う。

 

 エレック側としては色々な音楽スタイルを試してみた物の、やっぱりよしだたくろうには従来のフォ―クスタイルが身の丈に合ってると判断した事は至極当然として、歌詞方面で見せる人懐っこさは従来のフォ―クシンガーにはない才能ではあった。歌詞世界には井上陽水の様な文学的なセンスは皆無。主に青春衝動みたいな物を基盤として詞を作っておりかなり粗削りな面があるが、その問題はCBSソニー移籍後他人の詞を多く唄う事で是正されていった。女性ファンが多かったのは、ルックスが当時流行していた青春ドラマの主人公に被る所があったのかもしれない。

 当初はそんなミーハー女性向けシンガーとして思われていたらしいよしだたくろうだが「古い水夫」たちのイベント『第3回全日本中津川フォ―ク・ジャンボリー』での『人間なんて』の熱唱で男性フォ―クファンの熱い支持をも受けるカリスマになり、やがてフォ―クブームの中心的存在へとなっていったのは改めて言うまでもない。

 そんなよしだたくろう=吉田拓郎も去年をもって音楽界を引退。『青春の詩』でのレコードデビューから52年、かつてレギュラー出演していた某番組の復活版で最後のTV出演をした拓郎を見たが、年相応の老人の風体になっていた。新しい船だと思っていた船もいつかは古くなり、古い水夫となった者たちは一人ずつデッキから降りていく。そんな時の流れが募る最後の姿であった。