戦国時代。織田信長(田村高廣)は近江安土城に居を構え破竹の勢いで天下統一を目指していた。その先兵として活躍したのが明智光秀(八代目松本幸四郎)と豊臣秀吉(河津清三郎)であり、秀吉は光秀をライバル視していた。光秀は八上城城主・波多野兄弟との和平条件として母・園枝を人質に送った。しかし信長は波多野兄弟を処刑しその報復として園枝は殺されてしまう。悲しみを押し殺す光秀を信長は賞賛、光秀の長女・珠と部下の細川忠興との縁組を命じる…。

 

 もう何十回となく映画化&ドラマ化されてきたであろう、明智光秀の裏切りにより主君・織田信長が殺された本能寺の変。日本歴史史上最もエポックメーキングな出来事の一つであるこの事件を新しい視点から描いた松竹作品。既に直木賞作家として高名であった時代劇小説家・池波正太郎が脚本を執筆、戦前から時代劇専門監督として活躍していた大曾根辰保が監督。現・松本白鴎の父であり松たか子の祖父に当たる八代目・松本幸四郎が明智光秀に扮した。女優陣が豪華で光秀の妻を淡島千景、その長女を岸恵子、信長の妻・濃姫には嵯峨三智子。信長の小姓・森蘭丸を二代目中村吉右衛門が演じており、松本幸四郎と親子共演。

 

 珠の婚儀は認めたものの森蘭丸と次女・桔梗との婚儀は、桔梗が光秀の甥・明智左馬之助と許婚である事を理由に光秀は固辞、信長の怒りを買ってしまった。これがチャンスとばかり光秀が武田勝頼側の間者を部下にしてるとのタレコミを信長にする秀吉。毛利討伐軍の総大将は一旦光秀に決まったが秀吉に交替させられた。光秀は織田、徳川家康連合軍に加わり武田勝頼を壊滅させる。光秀は信長から家康の接待役を命じられたが、ここでも秀吉のタレコミにより接待役は解雇、秀吉の下で毛利討伐軍に加わる事を指示される。更に明智の領土だった近江の国を取り上げ森蘭丸に渡す命令も下った。屈辱に耐え続けてきた光秀も遂に…。

 

 明智光秀を裏切り者ではなく悲劇の被害者として描いているのが、当時としては斬新だったのだろう。本作の光秀は信長には忠節を誓ってはいるけど、どちらかと言えば純粋な性格で戦国武将には向かないタイプ。暴力上等の信長や陰謀巡らす秀吉とは水と油。刻々と追い詰められ信長を殺さなければ面子立たなくなる立場に追い込まれる光秀が哀れ。女性映画を得意にした松竹らしく「戦後武将の女」ならではの悲劇もクローズアップ、時代劇とメロドラマの真ん中みたいな作りになっている。親子共演なら吉右衛門は光秀の甥役でいいと思うのだが、何故そうしなかったのかは疑問。元フィルムの復旧作業が功を奏し美しい映像も見物だった。

 

作品評価★★★

(時代劇でも男性優位な東映作品とは全く違うテイストの松竹時代劇。河津の他にも水島道太郎、名和宏といった東映任侠映画の常連組も出演していた。桔梗役の北条喜久=北条きく子も東映時代劇で活躍。女優業のみならず霊能力者としてTVや雑誌に登場した事も)

 

映画四方山話その905~河津清三郎

 本作の出演陣の中で最も個性を発揮していたのが秀吉役の河津清三郎。武芸の力量では主君や光秀に敵わない分、知恵と謀略を駆使して信長の信頼を勝ち取り、ライバルの光秀を圧迫していく秀吉。秀吉を主人公にしたドラマでは人情味溢れるキャラクターとして描かれているけど、本作の秀吉は陰険極まりない嫌な奴。でも現実ではそういう奴に限って「勝ち組」になるのがこの世のパターン…ってうんざりだぜ! でもそれって「負け組の遠吠え」なのかな。

 俺にとっての河津清三郎の第一印象は「東映任侠映画極悪トリオ」の一人(後の二人は安部徹と天津敏)。『緋牡丹博徒 お命戴きます』(71)が初見だった。将校と組んで私腹を肥やす悪親分役で、監督の加藤泰得意のローアングルで喪服姿のお竜(藤純子)に迫られて室内から早朝の屋外へと逃げるが追い詰められ、命乞いも虚しく叩き斬られる…。美しさと壮絶さが相まみえる、東映任侠映画初心者時代に観た名場面であった。

 同じ極悪でも安部徹や天津敏が演じた役にはストーレートな悪への欲求みたいな物が感じられるのだが、河津清三郎の演じる任侠映画の悪党は安部と天津にある肉体性を欠く分、陰湿さ腹黒さをより強く感じる。何か人の善意とか真心とかを嘲笑っているかの様な、底意地が悪い不倶戴天なキャラクターがお似合いだった。

 

 大映作品の三島由紀夫小説の映画化『獣の戯れ』(64)の河津も印象的。河津は不相応な美貌の妻(若尾文子)を虐待的に扱う事で己の存在感を誇示するDV夫。そんないいトコなど何一つ浮かんでこない様な男が、それを見兼ねた使用人の男(伊藤孝雄)の怒りの暴力を受け不具者になってしまう。呆けた表情で曖昧な笑顔を妻と使用人に向け、抱き合う妻と使用人を目の前で見てもどうする事もできない無力な河津は自業自得と思いつつも、それでも生き続ける姿に哀愁が漂ってくる名演であった。

 俺が東映任侠時代から入った為に河津清三郎を悪役オンリーの役者人生を歩んできた人かと思ってきたが、それは大間違いで戦前から時代劇スターとして主演を張り、後に観たマキノ雅弘の有名な東宝『次郎長三国志』(52~54年)では次郎長一家一の子分で頼りになる大政役、日活で次郎長を演じた事もある。更に東映では森の石松を演じてシリーズ化、日活でも私立探偵・志津野一平に扮してシリーズ化…と戦後も善玉スターとして堂々たる実績を持つ。そんな彼が何故にして悪の道…もとい、悪役の道へと入っていったのにはどういう心境の変化があったのか定かではない。稀代の悪役だった進藤英太郎は子供が学校で苛められる事を憂慮してTVのホームドラマの頑固親父役に転向したが、その逆というのは…。