日本映画に傾倒する前の俺は偏屈なテレビ好き少年であった。偏屈と書いたのは当初から通常の子供たちにあるヒーローへの憧れとかが一切なかった事。ヒーローに倒されるやられ役、脇役、ボケ役などにばかり注目する習性は今にまで至る。流行した学園ドラマにも一切興味がなかった。実際の学校生活では明朗なクラスのヒーローも熱血教師にも会った試しはなく、いくら作り事のドラマと言えどあまりに現実と遊離していたから。

 俺は物心ついた時から家にTVが存在した世代である。ただ田舎住まいだったので60年代末まで民放局は一つしかなく、かつ家の絶対権力者だった父の命令でNHKを観る事が最優先された。だから好きなTV番組を観れるのは父が夜不在の時と、鍵っ子だったので母親が仕事から帰って来るまでの平日午後3時半から5時ぐらい、土曜だと昼の1時から5時ぐらいか。なかなか自由にTVを観れない事がTVへの渇望へと繋がった部分もあった。

 そんな訳で俺が日本映画マニアになるまでに愛したテレビドラマ&アニメ50本をチョイス。 

 

①『七人の刑事』(61~69年)

 1961年に放映開始された老舗刑事ドラマ。警視庁捜査一課の刑事たちの事件捜査を描く。最近のヒーロー刑事物とは違いあくまでも刑事は狂言回し的な役割で、物語の多くの主観は犯人側から描かれていた。その犯罪動機には当時の社会状況が深く関わっているパターンが多く、子供心にも大人になったら俺もいつ犯罪者になってしまうか分からないと考え、一種怖い物見たさで観ていた部分が。現存しているのは2話分だけで、俺が40年程前観る機会を得たのは婚約者が出稼ぎに行ったまま消息不明な若者(寺田農)が上京し捜査一課にその捜索を依頼、探し当てた婚約者(吉田日出子)は新宿フーテン族の一員になっていた…という話。

 

②『ひょっこりひょうたん島』(64~69年)

 64年からNHKチャンネルの夕方に放映されていた人形劇。世界の海を漂流する「ひょうたん島」の住人が島にやってきた人々と珍騒動を起こす、挿入歌も沢山ありのファンタジーストーリー。原作者の一人として井上ひさしが参加、彼らしい戯作者精神が子供向け番組でも十分発揮され、風刺が効いた「大人も観れる童話」的な世界は、これってホントに子供向け?と思う事も都度あった。自称ひょうたん島国大統領のお調子者ドン・ガバチョと、幼稚園中退という低学歴者の拝金主義者・トラヒゲとの絡みがサイコー。ガバチョ役の声優を務めた藤村有弘(日活映画の悪役も務めた鬼才タレント)のアドリブ演技が冴えていたな。中山千夏も声優で出演。

 

③『素浪人 月影兵庫』(65~68年)

 70年代前半まで数多く製作された素浪人もの時代劇の元祖。月影兵庫(近衛十四郎)が旅をしながら道中で人助けをする…というシンプルなストーリーだが、冒頭15分ぐらいまでは兵庫とその腐れ縁的な相棒・焼津の半次(品川隆二)との浅草軽演劇まがいのドタバタ調芝居が続く。剣豪なのに兵庫は大の猫嫌い、半次は蜘蛛嫌いの設定があり、このシーンが面白過ぎてそれ以降の勧善懲悪シーンが全く印象に残らないというデメリットはあったが…。映画では凄みのある剣豪を演じ続けた近衛十四郎が、よくこんな三枚目演技を受けた物だと後になって思った。姉妹編『素浪人 花山大吉』での近衛は、猫嫌いからおから大好きキャラに変更。

 

④『ウルトラQ』(66年)

 現在まで綿々と続く円谷プロ特撮ドラマ『ウルトラ』シリーズ第1作。人間と怪獣との闘いがメインではあるが石坂浩二のナレーションによるSFドラマとの印象が強い。事実今でも強く記憶に残っているのは、背筋が涼しくなる事受け合いの近未来SFスリラー物の第17話『1/8計画』、ホラードラマの走りとも言える第25話『悪魔ッ子』、意味不明という事で初回の放送では放映されなかった最終話『あけてくれ!』と、怪獣が登場しない回ばかり。子供にはちょっと理解しづらいが未知の世界を覗き見する的な愉しみがあった。ちなみにレギュラー出演してた桜井浩子は俺を可愛がってくれた従姉妹のお姉さんにチョイ似で、すっかりファンになっていた。

 

⑤『遊撃戦』最終話『もぐらと太陽』(66年)

 ゴールデンタイムに放映された戦争アクション。戦時中大陸戦線で暗躍する佐藤允率いる「遊撃隊」の活躍を描く…って、まるっきり『独立愚連隊』だ。その通り岡本喜八監修による東宝製作TVドラマ。日本映画に傾倒する十年も前から俺は喜八ワールドに浴していたのだ…。最終話『もぐらと太陽』では遊撃隊は隊長と一人を除き戦死、生き残った二人は地底に掘られた脱出用のトンネルをくぐって地上に出る。そこは墓場らしく墓石を彫る石工の傍らで、眩しい太陽を浴び死んだ様に眠る二人…。生まれて初めて観た「印象に残るラストシーン」であった。まだ戦争の記憶も生々しかったのに、戦争ドラマがお茶の間で放映されていたという驚きが。

 

⑥『ウルトラマン』第23話『故郷は地球』(66年)

 

 ウルトラマン及び科学特捜隊と怪獣の戦いを描く説明不要のドラマだが、第23話の主役は特捜隊隊員のイデ(二瓶正也)。宇宙開発計画の犠牲になり醜い怪獣に変身した元宇宙飛行士ジャミラと戦わなければならないイデの葛藤が描かれる。脚本は大島渚一家の佐々木守、鬼才・実相寺昭雄の演出で、通常なら絶対NGな逆光撮影を敢行したり、今観直しても意欲的だ。ラストのイデのモノローグにはドラマを越えて、歴史の犠牲者の扱いに対する憤りがこめられていると思った。放映から約20年後。アングラ劇団『はみだし劇場』テント公演を観終わってテントを出たら、出待ちをしているイデ隊員の姿を目撃。ミーハーではない俺も胸熱になった。

 

⑦『ウルトラセブン』(67~68年)

 ウルトラセブンの敵は怪獣ではなく人類より遥かに高い知能を持った宇宙人。故にセブン&人類との頭脳戦が主となり、地球侵略を企む宇宙人が密かに地球に潜入し日常社会に紛れ込んでいるシチュエーションは、それなりにリアリティーがあったと思う。セブンもウルトラ警備隊隊員モロボシ・ダンとして人間の生活を送り、同じウルトラ警備隊隊員アンヌとの関係も深まっていくが、激闘の末セブンとしてM78星雲に帰る道を選ぶ。傷つき苦悩しつつアンヌに自分はセブンだと打ち明けるモロボシ・ダン…クライマックスは、日本ドラマ史上に残る別れのシーン。動揺しながらも気丈に言葉を返そうとするアンヌ(菱見百合子=ひし美ゆり子)が泣ける。

 

 

⑧『無用ノ介』(69年)

『週刊少年マガジン』連載のさいとう・たかおの同名漫画のドラマ化…といっても原作は「劇画」に近く、その意味で言えばTVドラマ界初めての劇画のドラマ化である。賞金稼ぎを生業とする片目の素浪人・無用ノ介。「どうって事はないんだ」が口癖で凶状持ちを一刀の下に斬り捨てる。無用ノ介を演じる、当時ほぼ新人だった伊吹吾郎の無名性やその薄汚れた風貌などは従来の勧善懲悪な素浪人物時代劇とは真逆な虚無性が感じられ、ヒーロー物時代劇には飽き足らぬ物を覚えていたマセガキの俺には「理想に近い時代劇」だった。シリーズの監修が内田吐夢だけに鮮血迸る殺陣シーンもTVドラマ離れしており、今観直しても鑑賞に耐えれるはず。

 

⑨『颱風とざくろ』(69)

 66年に書かれた石坂洋次郎の同名小説の映画化で、先だって67年に映画化もされている。女子大生の英子(松原智恵子)は恋人・一雄(緒形拳)を登山の遭難事故で失い傷心の日々だったが、彼女の前に一雄とは真逆な性格の弟・二郎(石坂浩二)が現れて…。映画では簿幸の女ばかり演じていた松原智恵子がごく普通の育ちをした等身大の女性に扮し、恋愛に対しても主観的に考えて動く、当時のドラマでは珍しい女性像を演じて好感を持てた。最終回では松原と石坂が抱き合いながら草の生えた丘を転がり落ちるという意表を突いたシーンがあり、多分日活から出向演出した藤田繁矢(敏八)が演出したのでは…と後になって思ったな。

 

⑩『サヨナラ三角』(69)

 検索すると原作・太宰治の遺作『グッドバイ』、脚本が大島渚一家の田村孟となっていて驚いた。突然父の大会社の跡を継ぐ事になり身辺整理の必要に駆られたプレイボーイの主人公(津川雅彦)が、馴染みのトルコ嬢(小川真由美)を婚約者に仕立て訳アリ女たちと別れ話を。当時実生活でも浮名を流しあのデヴィ夫人との関係も取り沙汰された津川のイメージに便乗、津川は毎回ゲスト出演の美女優と実生活さながらの熱いラブシーンを展開。ウチの地方では夕方に放映されていたが、親とは絶対一緒に観れない。その背徳性が密かな愉しみでもあった。サヨナラ三角、また来て四角…とコーラスが繰り返すテーマ曲も未だに脳裏に残ってる。