岡林信康と並んで『URCレコード』を代表するミュージシャンだった『五つの赤い風船』。特に1970年はスタジオ録音とライヴ盤の2枚のアルバムを発表し、活動の最盛期でもあったと言えるだろう。

 ただリーダーの西岡たかしはそれに飽き足らない思いを感じていたというか、どうもこの人は同じ様な事を繰り返すのが苦手な気質だったみたいで、コンサートで観客受けする曲を演り続ける事のストレスはどんどん募っていたと思われる。そこで西岡は五つの赤い風船とは別にセッションアルバムを制作する事を構想。それに加わったのが『ジャックス』解散後短期間小室等率いる『六文銭』に在籍した後アレンジャーの道を歩む事になる木田高介、西岡の要請で70年2月シングル『悩み多き者よ』でURCデビューしていた斉藤哲夫もそれに加わる。斉藤はこのセッションの音楽的意図が理解できていなかったが、西岡直々の要請なので承諾したという。

 そういう過程を経て完成したのがさっき聴いた「吐痙唾舐汰伽藍沙箱」なる名義によるアルバム『溶け出したガラス箱』であった。3人の他には加藤和彦、細野晴臣のURCに所縁のある2人に加え、どういう流れでかは分からないがハードロックバンド『ブルース・クリエーション』からギタリストの竹田和夫、佐伯正志、上村律夫も参加してレコーディングが行われた。全曲西岡作詞&作曲、木田が全曲のアレンジを担当している。

 

 アナログA面1曲目『あんまり深すぎて』は西岡のリードヴォーカル。ギターとピアニカによる、能楽みたいな前奏が異様だ。アルバムタイトルを暗示するガラスのコップが割れるSEが挿入され、夢想の果てにドツボにはまってしまった恐怖を唄った曲と解釈できるのだが。木田はこの曲に限らず全ての曲でドラムを担当。

 2曲目『何がなんだかわからない時』は斉藤のヴォーカル。木田がフルートを吹き加藤、竹田がアコースティックギターを弾いている。始終無力感につき纏われ何をしたらいいか分からない日常を唄う。これも途中で航空機のジェット音のSEが挿入されたりし、摩訶不思議感を煽る。

 3曲目『君はだれなんだ』は西岡のヴォーカル。「マイケル」と一方的に名付けられた「君」のアイデンティティを問いかける詞がシュール。木田がサックスも担当、竹田のファズギター共々GSぽい演奏だ。この曲だけ聴くとカルトGSグループと間違えられそうだ。

 A面最後の曲『まるで君と同じのっぺら坊で』は詞的には前曲の続編ぽいのだが、上村のオルガンをフィーチャーしたサウンドは後期の五つの赤い風船と酷似している。西岡の淡々としたヴォーカルとストリングスアレンジが聴き手のトリップ感を誘うのだ。

 

 B面1曲目『ボクの右手の二本の指』もシュールな詞と共に、トイピアノみたいな不可思議な音も謎めいていて短い曲ながらも何なんだろうな…と考えさせられる曲。2曲目『マイケルの髪』はA-3の姉妹ソングなのだろうか。西岡のストレートに「死」を連想させる詞世界が、木田の迷宮を漂わせるアレンジと見事に合致している。本アルバムの曲中では大作感ある曲。

 3曲目『小さな花が道ばたに…』もまた五つの赤い風船後期の予告編みたいで、実質的には西岡のソロ曲と言っていいだろう。道端に咲いた花を見て自分が生きている意味を自問自答する…という感じの詞。コーラスを西岡のWヴォーカルで処理し、キーボードの代わりにヴォブラフォンを使用する演奏形態などは正に五つの赤い風船だ。この曲のベースのみ細野が担当。

 アルバム最後の曲『さっき君が』は斉藤がヴォーカル。ストリングスに乗って語り掛ける様に斉藤が唄い、バックがそれを追いかける様に演奏。厚めなストリングスに被われたアレンジは他の曲との区別感があり、もしかしたらシングルカット用に構想されていた曲なのかも。詞は相変わらずシュールではあるが。

 

『遠い世界に』に代表される親しみ易さとは相反する西岡のパーソナルな世界観を、木田がジャックス風解釈でアレンジデザインしたアルバム…と言えるんだろうが、前述した様にフォ―クという枠を逸脱していった後期五つの赤い風船と繋がる曲もあったりして、今聴くとコンセプト的にはただただ「難解」などとは思わないんだけど、リアルタイムでこのアルバムを買い求めた五つの赤い風船のファンは「何だこりゃ」状態だったのでは。プロモ―ションらしき物も全く行わずこのアルバム以降の活動もゼロだった。それでも3000枚ぐらい売れたというから、それだけ五つの赤い風船人気は凄かったという証明ではある。ただ当時の斉藤哲夫は最後までこのアルバムのコンセプトが理解できなかった様だが…。