母と小料理屋を営む葉子(矢代真矢子)はやくざ組織の幹部・木村に無理やりバラの刺青を彫られ情婦にされかかったが、木村を刺して逃げここにいては危ないと元やくざの流し・矢代の手引きで熱海へ。向かう列車内で男に言い寄られているみどり(水上竜子)を助けたが、みどりは熱海を牛耳る釘抜一家の親分の情婦で、男をからかっていただけだった。熱海駅に降りた二人は、若い娘まり(野川由美子)がスケコマシにキャッチされるのを目撃、助けようとするが…。

 

 60年代中期。アクション路線が下降線を描き始めて困った日活が、お色気路線に色目使ったと思しき作品。男に苦汁を舐めさせられてきた女たちが逆襲に転じる…というストーリーで、原作は藤原審爾の小説『誘惑計画』。大映助監督から日活へ転じて監督デビュー、『男の紋章』シリーズなどアクション映画を中心に作品を重ねてきた井田探が、初めて軟派路線に転向した作品である。鈴木清順の『肉体の門』(64)でデビュー後日活で出演作を重ねてきた野川由美子、東映出身でこの頃はフリーになっていた水上竜子、やはり東映出身で任侠映画に多く出演した矢代真矢子(後に八代万智子と改名してTVドラマ『プレイガール』に出演)の出演。

 

 まりも実は被害者ではなく騙された振りをして金を巻き上げる海千山千の女。葉子とまりはみどりがマダムを務めるクラブで働くが、葉子を探しに来た木村一派が乱入してきた際ドサクサに紛れ、三人は釘抜一家の金を持ち逃げした。意気投合した彼女たちはこの金を元手にマンションを建設して家賃収入で暮らす算段。だがその為には金がもっと必要だ。そこで女の色香を駆使してあぶく銭を持った男たちから大金を騙し取る事に。まりはドラ息子を抱える金持ち一家にお手伝いとして入り、葉子は芸者を志願し水揚げ金をネコババする計画。みどりはお嬢様と偽り青年実業家と付き合う。そこに葉子を心配し連れ戻そうと八代が熱海に現れて…。

 

 辛い経験をしてきた女たちが美貌と体を餌に男たちから金を巻き上げる設定は一定の爽快感があって然るべきだが、そうならないのは女側の代償が大き過ぎるから。まりはドラ息子とその仲間に凌辱され、みどりは嘘がとうの昔からバレており、彼女も体を奪われる。葉子のみ貞操の危機を回避するものの、矢代の忠告を聞かなかった事が仇になり…と、最終的に痛い思いをするのはやっぱり女の方という、古臭い固定観念から抜けられてないのが残念…というか、そこが日活製作陣のダメな所か(プロデューサーは水の江滝子。女性だけど「女の味方」ではないのか)。エロ度は当時のレベルからするとソコソコあるのかもしれんが、虚しいな。

 

作品評価★★

(藤竜也&郷鍈治の、日活ニュー・アクションの担い手になった二人が脇役出演。『男はつらいよ』の「とらや」のおばちゃんこと三崎千恵子がダメ母で出演、やくざにビンタされてました。歌謡映画風に歌唱シーンもあるが「久美悦子」という歌手の存在は本作で初めて知った)

 

映画四方山話その893~今の撮影現場には緊張感がない?

いしだ壱成 “純一超え”3度目離婚「ぼくと父は何か欠落している ...

 いしだ壱成が最近出演した映画の撮影現場で、優柔不断な新人監督にブチ切れた…というエピソードをネットニュースで披露。これまで数々の問題を起こしてきたトラブルメーカーのいしだが他人に怒れる様なタマかよ…という根本的な批判はさておき、いしだの怒りも分からないでもない。監督はあるシーンでいしだに2パターンの演技を指示。つまり演出的にここをどう撮ったらいいか…との最終決断がつかなかったとか。いしだは「昔の映画現場はフィルム撮りで一発勝負、演じる方も真剣勝負だった」と言い、演出側の曖昧な姿勢を批判した訳だ。

 映画がフィルム撮りからビデオ撮りへと舵取りしたのは、2010年代になってかららしい。その頃とある映画館で俺の前の座席に座った女性が映画関係者らしく、上映前に隣りの人と「今度『冨士フィルム』が35ミリ映画フィルムの製造を中止した」という話をしていたのを聞いた事があった。   

 その頃から映画の製作本数が莫大に多くなった…という現象が。正確な事は言えないけどフィルム撮りだと500万程度かかっていた映画が、ビデオ撮りだと約10分のⅠぐらいで製作できる様になり。結果製作費50万という超低コストの劇場用映画まで出現する時代になった。そういう粗雑濫作時代の悪影響が一種「誰でも映画監督になれるチャンスはある」的な状況を生み出し、いしだが指摘した優柔不断な監督も珍しくなくなった…って事だろうか。

 

 でも今映画の撮影現場でいしだが言う「真剣勝負」的な物が求められているのか…という疑問もある。近作では所謂熱演タイプの芝居を観る機会がめっきり少なくなった。そういう一俳優の突出的な演技より、和を一義的に求めるチーププレイ的な現場が多くなっている予感がする。かつては監督の鬼の様な演出要求に殺意まで覚えたり、ノイローゼになって円形脱毛症になる女優がいたが、今映画監督はパブりシテイ的な記者会見では、出演大抵は俳優たちの横で口数少なくニコニコ笑っている。多分撮影現場もそんな感じでリラックスしており、かつてみたいな監督と出演者のバトル的とも言える緊張感はもうないのかもしれない。そうなるといしだ壱成の様な人間は「口うるさい俳優」として敬遠される事になるのか?

 既に時代は昭和から平成を経て令和になり、映画撮影の現場の在り方も必然的に変遷していく。それがいい事か悪い事か分からないけれど、俺たち観る側としてはそれを受け入れていくしかないのだろう。