1975年7月の『小坂忠&ティン・パン・アレー』のライヴで、コーラスで参加していた吉田美奈子のソロ歌唱を聴いた。当時彼女の曲は『週末』しか知らなかったし、多分それを唄ったのだと思うが記憶は定かではない。吉田美奈子再デビューとなったアルバム『MINAKO』のレコーディングは、このツアー終了直後に行われた。吉田美奈子は73年にアルバム『扉の冬』でデビューしたが思う様な売り上げにはならず、レコード会社を移籍。『MINAKO』レコードの帯には大書きで「シンガー、吉田美奈子のデビューアルバム」と書かれていた。『扉の冬』がなかった事になっているのも酷いが、「シンガー・ソングライター」ではなく「シンガー」として紹介されている事も意味深だ。

 レコーディングに参加したのはティン・パン・アレー人脈に、大村憲司&村上秀一(ポンタ)の元『赤い鳥』コンビ、大瀧詠一とその愛弟子の山下達郎、伊藤銀次など。彼女と近しいミュージシャンが集い、吉田美奈子の売り出しに一役買う事になったのだ。

 

 アナログA面1曲目『移りゆくすべてに(Everything Must Change)』は、クインシー・ジョーンズ74年のアルバム『Body Hert』収録曲に、美奈子が日本語詞を付けて唄っている。ストリングスやハープなどを大胆に導入し、大人な歌手の一面を見せる美奈子。中盤からアレンジが一変しジャージーな雰囲気になる。さすがに歌唱は上手いけど『扉の冬』好きだった人は面食らったと思う。8分以上の長い曲。

 波のSE繋がりで2曲目『レインボー・シー・ライン』へ。美奈子作詞、佐藤博作曲。後に佐藤博が自身のアルバムでセルフカバーしている。こちらはチョイ南国情緒含みの垢抜け感がある軽快なポップス曲で、これも美奈子の新境地だとは言える。

 3曲目『住みなれた部屋』は美奈子作詞&作曲。シンセのイントロから入り、バックの演奏の音量を抑え気味にして美奈子がしっとりと唄い上げるバラード曲。この曲は多少『扉の冬』の頃の美奈子に通じる物があるが、それでもかなり明朗なアレンジにはなっている。スキャット歌唱は素晴らしい。

 A面最後の曲『わたし』は大瀧詠一作詞&作曲。冒頭美奈子の語りが入りしっとり系かと思いきや、大瀧テイスト全開のオールデイズ色強いポップソングに挑戦しているのだから、驚かされてしまうね。単純にユニークな曲と表現してもいいんだけど…。

 

 アナログB面1曲目『夢を追って』は美奈子作詞、佐藤博作曲。冒頭エレピの速弾きがあり意表を突くが、歌唱が入ると馴染んだ美奈子ワールドになる。ちょっと陰影を感じさせるサウンドながら、サビでヴォーカル力を見せつける美奈子は、後の和製R&B的な要素も感じるね。いい曲。

 2曲目『チャイニーズ・スープ』は、荒井由実3枚目のアルバム『COBALT HOUR』収録曲のカバー。オリジナルとは全く違うファンキー・ミュージック風アレンジのイントロ。歌が入るとハイスピードな意表を突いた歌唱で、これはこれで面白い。間奏のトロンボーンソロはジャズ風と、短めの曲に様々な要素をブチ込んだ。

 3曲目『パラダイスへ』は荒井由実がこのアルバムの為に書いた曲。当時荒井由実は吉田美奈子がライバルと広言していた。でも歌唱力では勝負にならないけど…。間奏のスライドギターソロは鈴木茂だろう。ユーミンワールドな曲を軽い感じで唄っている美奈子。

 4曲目『時の中へ』は美奈子作詞&作曲。アレンジは多少売れ線風になってはいるが、自作曲だと以前と変わらぬ世界観を保っている。個人的にはそれが嬉しかったりするんだけど、ちょっと複雑な思いにも駆られる。

 最後の曲『ろっかまいべいびい』は細野晴臣の最初のソロアルバムに入っていた曲で、西岡恭蔵もカバーしていた。ウッドベースをフィーチャーしたジャージーかつボサノバ色もあるアレンジが斬新。この曲もアダルトチックな美奈子を前面に出している。

 

 前述した様に自身が作詞&作曲した曲を除いて、「シンガー吉田美奈子」を主軸にした曲が中心で、様々なタイプの曲に美奈子がチャレンジ。制作側としてはジャンル問わず唄えるシンガーに育てていきたかったのだろう。結果的にはそれが吉田美奈子の歌唱力の素晴らしさをリスナーに訴える効果になっており、その意味では制作側の狙いが当たった成功アルバムとは言える。

 ただ美奈子とはかなり音楽観が離れている大瀧詠一とのコラボに関しては、本人は不満だった気もする。本アルバムは75年10月に発売されたが、制作側は突貫作業で翌々月に発売されるライヴ盤制作に着手する事になるのだ。