マイケル(ヴィジャイ)は下町を仕切るギャングだが常に庶民の味方。反社会勢力を動員して大学移転を強行しようとする政治家の思惑を粉砕。そんなマイケルに理学療法士のエンジェル(ナヤンターラ)はゾッコンで、結婚式にマイケルが現れた途端挙式を辞める…を六回も繰り返している。そんなマイケルを訪ねて親友カシールが、彼が率いる女子サッカーチーム『タルミードサッカーチーム』を連れて会いに来るが、マイケルと敵対するギャング団に襲われカシールは重体…。

 

 インド映画がブームになったのはもう随分前だった気がするが、今でもかの国では映画は巨大産業として多くの観客を動員している様だ。本作は2020年9月より幾つかの映画館で開催された『インディアンムービーウイーク2020』(新型コロナウイルス禍真っ只中での開催だが、観客動員はどうだったのか?)枠で公開された作品。華麗な過去を持つ善玉ギャングが女子サッカーチームの為に一肌脱ぐ娯楽作品。主演のヴィジャイは単なる映画スターの域を越えたカリスマ的存在で、子役を経て92年より本格的な映画活動を開始。本作は『ムトゥ 踊るマハラジャ』(98)と同じくタミル語映画。インドは公用語の指定言語だけで22もあるそうだから大変。

 

 カシールの頼みでマイケルはタルミードサッカーチームの臨時監督を務める事に。実はマイケルは「ビギル」という名称で知られたサッカーのスーパースターだったが、父(ヴィジャイ・二役)がギャングである事が理由でインド代表から一旦漏れた。父の尽力で代表に選ばれたが試合に旅立つマイケルの目前で父はギャングに刺殺され、マイケルは父の縄張りを継いだ。そういう経緯を知らない選手たちはマイケルの監督就任に反発。そこでマイケルは1対11のハンディキャップで試合し自分が3点入れたら俺を認めろと提案、彼女たちを圧倒して勝利。渋々彼に従う事になった彼女たちだがチームワークはバラバラ。そこでマイケルは奇策を練る…。

 

 インド映画だから当然ダンスシーンは満載なのだが、本作はそれにスポコン作品の要素、無理解な男たちに虐げられている女性たちの自立というテーマが加わる。長尺だから可能だとはいえこの3つを過不足なく描けている所が凄い! そしてスーパースター、ヴィジャイのカリスマ性。何と主人公とその父を演じ分けている。正直全く気付かなかった。試合シーンはスローモーション撮影を駆使してスーパープレイを何度も演出。卑劣な手段でチームを敗退に追いこもうとする悪のサッカー協会会長の妨害にもめげずチームの為、自分自身の為に戦う選手たちの姿も感動的だ。長尺でも全く退屈する事はない、大衆向け娯楽作品としては上出来。

 

作品評価★★★★

(頻繁に観ると飽きちゃうんだろうけど、たま~に観ると日本映画がもう半世紀前に失った大衆映画ならではのスキルが満載で、インド映画には唸らされますね。女性問題にも言及する内容なのは、ヴィジャイが慈善活動的な事もライフワークとして行っている事に因する物かな)

 


映画四方山話その797~石井隆、名美、或いは村木⑦

死んでもいい の映画情報 - Yahoo!映画

 石井隆の二作目の監督作品は『死んでもいい』(92)だと今の今まで思っていたのだが、実はその前に『にっかつ』製作による『月下の蘭』という監督作品が劇場公開されていたのだ。当時日本映画の新作情報には常にチェックしてたはずの俺なのに見落としていたとは…。不覚。脚本も石井自身が書いており、映画ではなくOVとして宣伝されていたらしいバイオレンスアクション。未見などで内容について詳細を述べる事はできないが、注目は後に石井映画の常連になる根津甚八が主演、そしてまだ無名だった余貴美子が名美役で登場している。既にこの二人とは石井隆は『ヌードの夜』以前に共働していたのだ。

 で、『死んでもいい』である。82年に西村望原作の『火の蛾』という小説を池田敏春監督、石井脚本、関根恵子主演で製作発表寸前までいきながら関根が降板しお流れになり、89年にタイトルを『死んでもいい』に改題して石井監督&脚本、樋口可南子主演でクランク・インしながら石井と内容的な衝突で樋口が降板して頓挫、91年に三度目の正直で大竹しのぶが主演を引き受け再開。だが撮影中製作元だった『ディレクターズ・カンパニー』が倒産…とアクシデント続きの難産作品だった様だ。そういう裏事情が作品内容にも反映されている部分があるのかも。

 流れ者の若者・信(永瀬正敏)はひょんな事から名美(大竹)と知り合い、年齢の離れた彼女の夫・土屋(室田日出男)の経営する不動産屋に就職。信は名美に一目惚れしており、土砂降りの中帰宅が遅い信を心配しモデルルームに迎えに行った名美は信に犯される。最初信を憎んでいた名美だが信の純朴さを垣間見て憎む気持ちは薄れていった。以降二人は土屋の目を盗んで関係を持つが露見し土屋は激怒して信をクビにし、名美ももう信とは会わないと夫に誓う。しかし二人の関係はその後も続き、土屋に生命保険が掛けられている事を知った信は名美に、土屋を強盗殺人に見せかけて殺そうと提案…。

 製作時はまだバブル時期だったと思うが、それとは逆行する様に悪い方へ悪い方へと流れていく男女の姿が描かれる。大体そんな安直な犯罪計画が露見せずに済むとは思えないし、そもそも二人にとって土屋は殺さなければならない程の憎い人物なのか(普通に好人物で名美への愛情にも嘘はない)…と観ている方は疑問を覚えるのだが。

 でも二人は土屋殺しを決行する。少なくても名美の方にはそういう、悪も悪と思わぬ無邪気さを裡に秘めている様だ。こういう一種不条理な悪女を演じさせるとさすがに大竹しのぶは上手い…というか、本人には失礼だが私生活の奔放さからしても適役かな…って思った。本作以降も大竹は度々石井映画に出演する事に。

 石井隆は厳しい製作条件の中粘りを感じさせる演出を披露、まだ監督作品は三本目という事を考えると堂々たる物だと感動。大竹、永瀬と共に元は東映やくざ映画の俳優だった室田日出男の巧演ぶりも素晴らしい。再度の妻の裏切りを知った室田が「何なんだこれは!」と咆哮するシーンが、実は一番印象的だったりする。

 今思い出されるのはある人が書いたこの作品の批評で、その文章には映画的にいいとか悪いとかは殆ど書かれておらず、詰まるところ「こういう暗い映画を製作するのは如何なものか」という結論だった。まだ世の趨勢はバブルの残り香があったからそれに合わせて浮かれ踊らにゃ損…という考えを持つのは個人の自由だが、暗さを許容せず全否定する社会や文化なんて素敵な物とはとても思えない。石井隆作品にはどんな時代になっても存在する、そういう「明るさ」から落ちこぼれた人々へのシンパシーがあるからこそ、一定の強い支持を得られていたのだろう。

『死んでもいい』の作品的成功をバネに、石井隆は久々の名美&村木ストーリー」に着手する事になる…。