FMラジオでDJをやっているエリカ(ジョディ・フォスター)は医師のデヴィッドと婚約中で、明日にも結婚しようというデヴィッドを諫める程の熱々ぶり。ところが愛犬を連れ夜の公園を散歩中三人組に襲われてしまう。意識が戻ったエリカは病院の中、デヴィッドの母からデヴィッドは死亡して葬式も済ませたと言われやり場のない悲しみに暮れる。病院でエリカの悲惨な姿を目撃したマーサー刑事(テレンス・ハワード)は、凶悪犯マーローを逮捕できない事に苛立ちを感じていた…。

 

 ニール・ジョーダンと言えば80年代から90年代にかけてヒット作&話題作を連発したアイルランド出身の監督。『俺たちは天使じゃない』(89)『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイヤ』(94)は評判になりましたね。ただ近年は目立った作品がないかも…という事で07年製作のちょっと古い作品を鑑賞。製作総指揮のメンバーにジョディ・フォスターが名を重ねており当然主演も。NYを舞台に突然最愛の人を失ってしまったヒロインの怒りの行動を追う、米国と豪州合作の社会派サスペンス作品。共演には黒人と白人のミックスのイケメン俳優テレンス・ハワードなど。日本での公開時期が米国とそんなに時間差がないので、封切当時は結構話題になったのかも。

 

 警察の捜査は遅々として進まない事に苛立ったエリカは闇の売人から銃を買い復讐心に燃えるが、犯人の手がかりは全くない。ジリジリとした焦りに駆られるエリカは深夜入った店で、元妻だった店主を殺した男に銃を向けられると咄嗟に発砲して殺した。数日後今度は地下鉄で襲いかかってきた二人組にも発砲。二件の殺人事件を捜査したマーサーは犯人を同一犯と断定、現場検証の際群がる取材陣の中にエリカの姿を発見。インタビューを申し込んできたので最初は断ったが、彼女が殺人事件の被害者だと知ってるので承諾。そのインタビュー中逮捕したくても出来ないマローへの愚痴を漏らす。数日後また同一犯と思われる事件が起き…。

 

 私怨は許されるのか…が本作のテーマ。最愛の人を殺した連中への復讐に憑かれていたヒロインが偶然凶悪犯を殺した事をきっかけに、世にのさばる悪を成敗するヒットマンと化していく…という展開は、往年の傑作『狼よさらば』と似てますな。ただ殺人の快楽に溺れていく『狼~』の主人公(チャールズ・ブロンソン)とは違い、本作には主人公を気遣う内に恋愛感情を抱く様になる刑事の存在がいる。犯人逮捕は目前まで来ているのに良しとせず自分に手で復讐を果たそうとする主人公に対し刑事が取った行動は…というのが本作の見所なのだが、職務よりも愛を選んでしまった刑事の行動は、本作を「社会派映画」と捉えると納得し難い所が。

 

作品評価★★

(ラストシーンの中途半端さが本作がヒットに結び付かなかった原因ではないかとも思う。もっとシビアな結末にしてこそ私怨の賛否というテーマが強調されたのではないかな? まああのジョディ・フォスターが演じる役にしては若干甘口過ぎたと思う部分もあったりしてイマイチ)

 

映画四方山話その715~復讐するは三國連太郎にあり

「私怨」という感情は実に人間的な物であると俺は思ってるし、映画のテーマになり易くて当然だろう。逆に政治的なテロリズムなどは常に他者に利用され易いという危険性を孕んでいる。2:26事件で決起した青年将校たちは確かに純粋だったかもしれないが、それを陸軍省内の主導権争いに利用しようという輩の真意を見抜く眼力はなかった。

 東映任侠映画を「世直し映画」だと全学連の学生連中は認定したが、任侠映画は断固私怨に基づく映画だったと思う。健さんや鶴田浩二がドスを持って卑劣親分に殴り込みをかけるのには、確かに悪党に虐げられている人々を助けたい気持ちもあったのかもしれないが、殴り込みの直接的な引き金になるのは世話になったアラカンなどの善玉親分、可愛がっていた弟分の死であった。彼らへの想いの深さが描かれてこそ任侠映画は傑作足り得るのだ。世直しはあくまで二の次。

  そんな訳で日本映画でも復讐をテーマにした幾多の傑作が存在するのだが、今俺の脳裏に浮かんでくるのは映画マニアになってまだ日の浅い頃に観た松本清張原作『霧の旗』。78年の正月映画であった。高利貸しの老婆殺し容疑で逮捕された兄を救おうと、ヒロイン(山口百恵)は上京して高名な弁護士(三國連太郎)に弁護を依頼しようとするが、弁護士は多忙な上ヒロインが高額の弁護料を払えそうもないので冷淡に断る。結果ヒロインの兄は一審で死刑判決を受けた上獄中で病死。

 数年後弁護士は銀座のホステスになっていたヒロインと再会。バツが悪い弁護士だがヒロインは特に過去の経緯を詰る訳でもない。それをきっかけに弁護士は件の事件に興味を持ち詳しく調べ、被告が殺人に関しては無罪だという確信に至るのだが、今度は弁護士の愛人に殺人の嫌疑がかかりその無実を証明する唯一の証人がヒロインであるという皮肉な構図へ。ヒロインは証人になって欲しいのなら私の部屋に来てと弁護士を誘って罠に陥れ、弁護士はこれまでの社会的地位を全て失うのだ。

 弁護士が真犯人ではないのだし、ヒロインからの恨みはとばっちりと言えない事もないのだが、この私怨が観客の共感を呼んだのだとしたら、それは山口百恵というスターの効力であろう。TVやステージではアイドル歌手として愛敬を振り撒いていた彼女が、映画というジャンルでは私怨の為には「女の武器」の利用も躊躇せぬ役柄を演じる事で、ヒロインの設定は「哀れな女」から「強い意志を持つ女」に変換されたのだ。ラストシーン。森の中で一人密かに達成感を噛みしめているぽい山口百恵の微妙な表情が印象的だった。「アイドル御三家」として百恵と並びでブレイクした桜田淳子や森昌子には、こういう「顔の演技」は絶対できなかった。

『霧の旗』は映画女優・山口百恵の最高傑作であると同時に、日活で吉永小百合を始めとするアイドルスター女優の作品を多く撮ってきた西河克巳監督の代表作にもなった。晩年は特別養護老人ホーム暮らしで記憶も曖昧になっていた西河監督だが「俺は百恵の主演映画を撮った事がある」という事だけは生涯忘れる事はなかったそうだ。