『コミックばく』が創刊されると次第に『ガロ』への興味は薄れていった。やはり俺にとってはガロが推してる蛭子能収や根本敬らの「特殊漫画」よりつげ義春の漫画の方が重要で、そのつげ義春の新作漫画が掲載される『ばく』をチョイスしたくなるのが正直な気持ちだった。

『コミックばく№4 冬季号』では夜久弘編集長念願の「つげ義春大特集」を敢行している。つげ義春のプライヴェートな写真の公開、弟・つげ忠男による理論的なつげ義春論、作品年表など限られたページでつげ義春の魅力を語り尽くそうとする編集方針には情熱があり、つげ義春自身とその作品群への過剰なまでの思い入れが伺える。

 そのつげ義春の新作『隣りの女』が巻頭に掲載されていた。つげ義春には貸本漫画家時代の回顧談めいた一連の作品があるが、本作もその類で本人としては『義男の青春』(75)の続編の積りだった様だ。『義男の青春』で主人公が長期滞在していた女中と飢えた狼の様に欲情し求め合いに至る下りがあったが、本作でもそれとそっくりなシチュエーションが。漫画家だけでは喰っていけない主人公だが欲情だけは人一倍貪欲で、自分の部屋の窓と差し向いの隣のアパートの部屋に越してきたバツイチ女と爛れた関係に。ところが突然その女が姿を消したと思ったら、主人公に負けず劣らず好色なアパートの大家の囲い女になっていた。しかしその大家との関係も大家がヤミ米の運搬仕事が警察にバレて逮捕されたのをきっかけに解消、女はその大家夫婦の紹介した男と再婚してささやかな生活をしている…というストーリー。

 言うまでもないが本作は「自伝」ではなく大方のエピソードはフイクションだろうが、主人公が大家のヤミ米運搬を手伝う下りなど経験者じゃないと書ける訳がなく、若い頃のつげ義春は漫画だけで喰えなくてこういうアルバイトをしたりしてしのいでいたのだろう。隣りの女こと「ミヨちゃん」のキャラクターが際立っている。男から男へと渡り歩く身持ちの悪い女ながら自分に悪い方へは決して傾かない本能的な知恵のある女で、結婚しても主人公や大家との友好的な関係は保ったまま落ち着く所に落ち着くというか、時代設定は60年安保闘争前後らしいのだが、こういう女ならそういう騒ぎとは無関係に高度経済成長時代になっても安穏と生き抜いていったのではないか…みたいな、主人公を通してつげ義春自身の体験から来る実感めいた物が伝わってくる。

 作品によってガラリと絵柄を変えたりするつげ義春だが、本作の絵柄は写実的で親しみ易く、つげ義春としては精いっぱいの読者サービス精神がある傑作だと思った。『隣りの女』と合わせ貸本時代の傑作『おばけ煙突』の再録も本号の呼び物だった。漫画によるプロレタリア文学とでもいうか、以前も紹介したので内容に関しては省略するけど、この再録がきっかけでつげ義春の貸本漫画時代の旧作が復刻する事になっていくのだ。

 つげ義春と並ぶ『ばく』のエース漫画家であるつげ忠男の『真夜中の遊戯』は、社員旅行の宴会の余興で化粧した事をきっかけに仮装メイクに憑りつかれた男が夜道を化粧して歩く事で興奮を覚えたりしていた所、同僚のハイミス女に気付かれる。お互い化粧したままベッドで求め合った後男は女に一緒に暮らさないかと誘うが女は断る。女が去った瞬間男は突然空虚感、絶望感に駆られ…。一時読者に媚びていると批判を受けていたつげ忠男だが、この作品は70年前後の作品にあった時代の流れにそぐわない男たちの、虚無的な世界観を継承する物だと思った。でも今読むと先日の「ジョーカー」に扮した凶悪事件の容疑者を彷彿させるな…。

 他には女性執筆者が四人もいる。山田紫、近藤ようこは既にこの頃「少女漫画家」ではない「女流漫画家」としての評価が既に高かったし、特殊漫画方面に走ってしまった『ガロ』よりも『ばく』で描いている方が落ち着き易かったのかも。末永史は『ヤング・コミック』全盛時代に掲載した作品で女流ポルノ漫画家呼ばわりされていた人らしいが、俺は『ばく』に描くまで全く未知の人だった。彼女の『九十九里浜の浅い夢』は東京から千葉に引っ越した事で退屈な日常を送っている専業主婦の主人公が交通事故を起こし、その被害者となった粗暴な男を通して都会恋しがる心境に微妙な変化の兆しが…という、かなり純文学ぽい味わいのある作品。東京近郊という土地柄特有の人間模様みたいな物は、この作品に限らずこの当時公開された映画なんかでも多かったな。

 堀内滿里子という漫画家に関しても全く知らず、作品を読んだのもこの号だけだった気がする。『シークレットロマンス』は27歳という当時ではハイミスの入口に入ったフリーライターをやっている主人公が中年男や同輩男との関係を通して男女関係の機微を経験する…というストーリー。主人公がヴァージンの設定が異色で真摯な語り口には好感持てるが、山田紫や近藤ようこの描く柔らかいペン遣いに慣れた向きには絵柄が硬すぎてやや馴染めなかった。現在は漫画家というより絵本の挿絵みたいな分野で頑張ってる様だ。

 読者ページを見てそこに載っていた福岡在の17歳の少年と交流してた事を今思い出した。コピー紙版の漫画批評誌を発行すると書いてあったので漫画批評を書いて送り、郵送されてきた現物も確認した。「マトモな文章を書けるのは貴方だけです」と褒めてあったが、高校生が既にプータローという名の社会人であった俺の書いた文章を良く感しるのは当たり前であろう。確か二号ぐらいに書いたけどその後また書いてくださいとの連絡もなくあっさり交流は途絶えた。多分漫画よりも面白い別な物を見つけたんだろうな。17歳ってそんな移り気な年齢なんだから。