東都大学ボート部々員の邦夫(山内賢)はチンピラめいた男たちに追われている友子(和泉雅子)を助けたが、友子は邦夫に落とした財布を預けたまま立ち去った。数日後ボート部の合宿所を友子が訪ねて来た。彼女は玩具工場の女工だった。以来二人の付き合いが始まった。実は同僚たちにあんたは邦夫みたいな学生とは付き合えないよと言われて腹が立った友子が見返す為に一芝居打ったのだ。友子には元不良少女で感化院に入っていた過去があった…。

 

 67年に『二人の銀座』の大ヒット曲を放った日活スターの山内賢&和泉雅子コンビ。二人の共演作には鈴木清順の『悪太郎』(63)みたいなバンカラ系の異色作もあるけど、基本的には軽いタッチの青春映画が多く、二人に加えて人気歌手の舟木一夫が共演する事も多かった。本作はその三人が共演した歌謡映画でタイトルは舟木の同名ヒット曲から取られており、当然本作の主題歌として使用されている。戦前からの監督経験があり、日活と契約後はアイドルズターの主演作品を多く撮った森永健次郎が監督。育ちの全く違う男女が障害を越えて愛を適えるまでを描く。東野英治郎、二本柳寛、菅井一郎といったベテラン俳優たちが脇を固める。

 

 友子の過去はチンピラたちの口から邦夫に知れる事になる。友子はチンピラたちから芝居に協力したから金を払えと脅されていた。それを知った邦夫は父と同じボート部の大先輩で大学同級生の美和子の父でもある矢代から金を借りて友子の代わりに払おうと考えたが、矢代に諫められてしまう。矢代から邦夫の父へその話が伝わり、出張で上京した邦夫の父は公式試合が近づいているのに女にうつつを抜かしている場合かと邦夫を叱り、友子が居候している叔父宅へ行き手切れ金を渡そうとするが、そこに現れた友子に突き返される。友子は身に覚えのない盗みの犯人呼ばわりされた末工場をクビになったばかり。すっかり自棄になって…。

 

 製作が64年だと考えても古色蒼然とした世界観だ。明治が舞台の新派芝居でもあるまいし子供の恋愛に親が口出しするなんて時代錯誤甚だしい。かつ山内演じる主人公が真面目かつ純朴なのが取り柄のキャラクターで、正直同性ながらもこんな男の何処が魅力あるのって思ってしまうよね。捨て鉢になっているヒロインの本心を見抜けず部活動に専念するってのもダサいし、最後はヒロインを救おうとする男気を見せるけど、実際にヒロインを助けたのはヒロインの幼馴染のクリーニング屋の店員(演じるのは勿論舟木)で、最後までパッとした所の無い主人公であった。山内&和泉共演の青春ものは何本か観たけど、一番オモロなかったな。

 

作品評価★★

(戦前派世代の監督の感性がそのまんま出てしまった…という印象。台詞に「川向こう」という禁句めいたワードが出てきたのにはちょっとビックリしたけどね。児玉誉志夫邸にセスナ機で突っ込んだ前野霜一郎が主人公と親しい部員役で三枚目演技を披露して目立ってました)

 

映画四方山話その687~思い出のNHK芸術祭参加ドラマその④『恐怖はゆるやかに』

 伝説のカルト映画監督・長谷川和彦のTV関係の仕事といえば、68年の三億円強奪事件の時効に合わせて放映された連続ドラマ『悪魔のようなあいつ』(75年のTBSドラマ。主演は沢田研二)の脚本が有名だが、76年10月14日に放映された芸術祭参加作品である本ドラマについて書かれている文献とか、長谷川の発言とかはこれまで一切目にした事がない。推測だがNHK側の演出姿勢に脚本を書いた長谷川が異議を唱えて決裂した…みたいな事があったのでは? 本ドラマが放映されたのは初監督作品『青春の殺人者』封切直前であった事もあり、長谷川自身が放映された物を観なかった…という事もありうるだろう。結果賞らしい物にも引っかからずこのドラマはリアルタイムで観た人の記憶に残るだけの「幻の作品」と化し、フィルム撮りだった現物も残っていない可能性大だ。原作は渡辺淳一による同名小説で、渡辺×長谷川というカップリングもまたかなり違和感があるな…。

 

 主人公(江守徹)は女子高校の英語教師で、妻(大空真弓)も他校で教諭をしている。子供はおらず二人の間に隙間風が吹いている感もあり、後に主人公がバーのホステス(緑魔子)と浮気している事が判る。

 或る日主人公の車が追突事故を起こし、被害者の車に乗っていた老人(加藤嘉)がむち打ち症と診断される。相手の車の修理代と老人の治療費を払う事で示談がまとまり一件落着と思いきや、認知症だったらしい老人の症状はどんどん悪くなる一方。老人の息子(長塚京三)の厳しい追及に、もしかして彼と妻が浮気しているのでは…と有り得ない妄想までする程心情的に追い詰められていく主人公。遂に老人は死亡してしまい、主人公はその損害賠償として定年まで働いた給料から最低の生活費を除いた以外の金を払わなければならなくなってしまう。自嘲する主人公に愛想を尽かした妻はあっさり出て行ってしまい、浮気相手からも別れをを告げられた主人公は、ヤケクソで以前から彼に挑発的な態度を見せていた教え子(長谷直美)に心中を持ちかける…。

 原作は純粋に「悲劇」として描いているのだと推測されるが、本ドラマの演出は悲劇を突き抜けてブラックユーモア的な雰囲気を醸し出ていた。主人公がどんどん悪い方へと転がっていく様は『太陽を盗んだ男』で、沢田研二演じる主人公が原爆という最高の切り札を持ちながらも目的意識を持てず、心情的には追い詰められていく流れと重なる部分もあるし、展開の流れがドラマというよりコミックタッチなのも『太陽~』と共通項を感じたりする。

 排気ガスを車内に引いて車で心中を図る主人公と教え子。朦朧とする意識の中で主人公は教え子に「英語教師なんてやってるけど、実は俺外人と話した事は一度もないんだよ」と情けないカミングアウト。翌朝。心中は失敗し車の周りは野次馬が取り巻いている。咳き込みながら車から出てきた主人公は狂った様に笑い出す。やった事の重大さに今更気付いた教え子が「笑わないで!」と言っても、主人公は辞めない。主人公は学校を解雇になるだろうし賠償金を払う当ては全くなくなり、今後はもっと酷い人生が待ち構えているだろう。死んだ方がマシだったのに死ぬ事すらできなかった主人公は、俺から見ると正に「他人の不幸は面白い」を地でいったキャラクターであった。

 こういう作り手側の「毒」みたいな物を感じさせるドラマを観たのは初めてであったが、それが結果的にはテレビドラマから綺麗ごとではない世界を描く映画世界へと興味を持つ呼び水となったのかな…と後にして思った。その意味では長谷川和彦が俺に与えた影響は大きかった。翌年の1月に俺は『青春の殺人者』を劇場で観ている。今にまで至る「映画マニア」の始まりとなったのであった…。