ワシントンDCのスラム街。この街では麻薬売買で稼ぐギャングが実権を握っている。ルーカス(イライジャ・ロドリゲス)は弟と二人暮らし。未成年ながらもギャングのボス・リンコン(デビッド・カスダニーダ)に気に入られ集金仕事を任せられている。しかしまだ子供の弟がギャングに憧れ始めているのが心配。ルーカスの常連客の一人ダニエル(ジャン=クロード・ヴァン・ダム)は無口な中年男でギャング仲間からウスノロ呼ばわりされいて、何をされても無抵抗…。

 

 もうジャン=クロード・ヴァン・ダムの主演作品を観るのは何回目なのか、俺自身も分からん(笑)。スティ―ヴン・セガール師匠と並んでB級アクションスターの道を突き進む彼には単純にシンパシーを覚えるし、米国とかでは主演作品が映画館で公開されているのか怪しい部分もあるけど、本作は日本では堂々劇場公開されている。南米や中南米の不法滞在者が巣食うスラム街が舞台。米国首都のお膝元でこの有様だとしたら、マジ「アナーキー・イン・ザ・USA」状態であるのだが。そこで生活する訳アリの過去を持つ麻薬中毒の主人公が、ひょんな事からギャングのメンバーである少年と関り合いを持つことに…というクライムアクション篇。

 

 弟を仲間に引き入れようとするギャングたちに対し、ルーカスはリンコンに掛け合って辞めて欲しいと頼む。リンコンはそれにははっきり答えず重要な取引仕事をルーカスに指示。仲間になる儀式と称しギャングからリンチを受ける弟を見てルーカスはリンコンを裏切り弟と共に逃亡する事を決意。しかしリンコンの従兄弟ジェスターに捕まり、このままでは命も危ういと観念した瞬間、ウスノロと馬鹿にしていたダニエルが車で逃亡を助けてくれた。それでも頼りにならないと考えたルーカスは自力で逃亡する道を選ぶ。その日はリンコンが溺愛する障害者の妹の結婚式だった。ダニエルは再びジェスターに捕まったルーカス兄弟を放っておけず…。

 

 いつものヴァン・ダム作品とはちょっと違う筋立て。彼の正体はアフガン戦線での体験がトラウマになっている退役軍人である事が判明し、元軍人ならではの知恵と体力で八面六臂の活躍…と思ったら、実はそうならない。一応兄弟を救い出したもののヘロヘロになって倒れジェスターに射殺されかかる…と活躍するシーンはあまりない。その分ギャング連中の生々しい姿がかなりリアルでに描かれ(ギャングたちが顔面にタトゥー入れているのが凄い。これでは堅気に戻る事は無理)、血も涙もないと思われたボスが妹だけは幸せになって欲しいと願う意外といい奴だったり、捻りある人間模様が本作を飽きさせない効果になっていると思う。

 

作品評価★★★

(ルーカスに扮した俳優はべニチオ・デル・トロ主演『ボーダーライン』の続編で密入国業者見習い少年役をやっていたとの情報。若くしてそんなハードな役ばっかりやってると消耗しないものなのか…。うらびれたヴァン・ダムも決して嫌いではないよ。セガール師匠に負けるな!)

 

 映画四方山話その686~思い出のNHK芸術祭参加ドラマその③『わが美わしの友』

                     脚本家クロニクル

 今回取り上げるドラマは75年11月15日に放映された『わが美わしの友』。脚本を書いたのは『津軽じょんがら節』(73)『赤ちょうちん』(74)、このドラマと同じ年の『祭りの準備』などで映画界では気鋭の脚本家として注目を浴びていた中島丈博。脚本集本のタイトルにもなっているぐらいだから、彼のテレビ脚本の代表作と考えていいのだろう。

 都内に住む女子高校生のヒロイン(木村理恵)はお互いビートルズ好きという共通項で、雑誌の文通希望コーナーを通しやはり都内に住む男子高校生と文通しているのだが、実は彼女の文通相手は手紙に孫の写真を入れて郵送した老人(宇野重吉)だったのだ。定年で仕事を辞めて隠居状態、連れ合いにも死なれた孤独な老人にとって、この文通が唯一の生きがいになっていた。

 一度ヒロインが手紙の住所を頼りに突然老人宅を訪れた事があったが、孫が不在だったので何とか誤魔化せた。しかし或る日ヒロインが街で偶然孫と出くわしてしまい文通相手の嘘がバレてしまう…。

 70年代になると人間の長寿化が格段に進み、今にまで至る老人問題が深刻化しつつあった時世に合わせ制作されたドラマ。当時の民放ドラマなどでは親を老人ホームに入れる事がとんでもない親不孝だと描かれていたり、老後と言うテーマに真剣に焦点を合わせたドラマは殆どなかったと思う(映画ではベストセラー小説を映画化して大ヒットした『恍惚の人』があったけど)。その意味でも画期的なドラマだったと言える。

  全てが露見してしまい老人は息子から「いい歳をして何をやっている」と叱責され、当然ながらヒロインと会う事は許されない。その内にヒロインと孫が親しくなっていき、生きる望みを絶たれてしまった老人は孫の愛車であるオートバイに跨って暴走、事故死とも自殺とも取れる形で亡くなってしまう。

「人間って死ぬんだな…」老人が亡くなった後ヒロインと会った孫がポツンと呟く。それは観ていた俺の気持ちをも代弁していたと思う。それまでも時代劇や刑事ドラマで沢山人が殺されていくシーンを観てきたけど死について真剣に考えた事はなかったし、親戚の葬式に参列した経験もあったが正直悲しい気持ちにはならなかった。当時の俺にとって人間の死は現実な物でありつつも心の裡では切実な物ではなかった。そんな俺に人間の死の重さを初めて実感させたドラマだった…と言えるだろう。ラストシーンは無人の競技場で戯れるヒロインと孫を空撮し、その映像にビートルズの『レット・イット・ビー』が流れる。虚無感に溢れたその歌の歌詞が切ないドラマの幕切れにふさわしかった。

『祭りの準備』もそうだったが、中島丈博の脚本は人間の愚かしさを哀感たっぷりに描く事に抜きんでている部分があって、本ドラマの宇野重吉の好演は『祭りの準備』で熱演した浜村淳に通じる物があったなあ…と随分後になって思った。本ドラマが初のヒロイン役だった木村理恵は『太陽にほえろ!』の七曲署の事務員役でお茶の間の人気者になり、その後は清純派からの脱却を図りロマンポルノの大作『暗室』のヒロインにも抜擢されたが、浦山桐郎の時代錯誤な演出がどうしようもなく、至極残念というしかなかった…。

 ちなみにこのドラマは85年に中島自身によって大幅に改稿されTBSで連続ドラマとしてリメイク(タイトルは『oh わが友よ』 老人役は小沢栄太郎、女子高生役は有森也美)されているが、観る事はなかった。