1969年。かつてTV西部劇に主演し人気を博したリック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)だが、時代の流れに押し流され今ではTVドラマの悪役ゲストのオファーばかりという有様。リック専属スタントマンのクリス・ブース(ブラッド・ピット)も仕事にあぶれ今はリックの身の回りの世話をするのが主な仕事。そんな時リックの隣の豪邸に今が旬の監督ロマン・ポランスキーと妻で女優のシャロン・テート(マーゴット・ロビー)が引っ越してきて、リックとは真逆なセレブ生活…。

 

 世を震撼させたカルト宗教の教祖チャールズ・マンソンによる「シャロン・テート殺害事件」に焦点を当てたタランティーノの最新作。シャロン・テート殺人事件はその猟奇性が話題になると共に、60年代後半からのヒッピー文化の終焉を象徴する形になり、以降「ウッドストック」をピークとしてヒッピーカルチャーは急速に冷え込んでいくのである…。同じくタランティーノ作品『ジャンゴ 繋がれざる者』(12)で極悪地主役を好演したレオナルド・ディカプリオと、『イングロリアス・バスターズ』(09)のブラッド・ピットの顔合わせ。『デス・プルーフ in グラインドハウス』(07)に出演していたカート・ラッセル&ゾーイ・ベルなどタランティーノ映画所縁の顔多し。

 

 リックは西部劇好きのプロデューサーからマカロニ・ウエスタンに出演してみないかと誘われるが断り「斬新な西部劇」に出演するが上手く演技ができずパニック状態。相変わらずスタント仕事がないクリスはアンテナ修理の為にリック宅へ。夫が撮影で長期不在で暇なシャロンは無名な頃に出演した作品が映画館でかかっているのを発見し出演者だからとロハで入れてもらう。アンテナ修理が終わってリックを迎えに行くクリスだが、その間ヒッチハイクのヒッピーの娘「プシー・キャット」を車に乗せる。彼女はクリスが仕事で行った事がある「スパーン映画農場」に仲間たちと住んでいるという。経営者のジョージに会おうと思ったクリスだが…。

 

 主役はポランスキーの隣人という設定の落ちぶれたB級スターとそのスタント&付き人。将来に不安を感じ情緒不安定気味のリックに比べクリスは周囲の悪評にも平然としているふてぶてしい男。性格真逆で相性合いそうもない二人が何故か厚い友情?に結ばれた関係というのが面白い。結局マカロニウエスタンの仕事を受けるリック…という設定は軽くクリント・イーストウッドを揶揄している? かたやシャロン・テートを始めとするハリウッドセレブの描き方は意外と型通り…というか、タランティーノのやりたかった事は『イングロリアス・バスターズ』と同じく映画による「事実の改ざん」であった。そうすればシャロン・テートも報われるって事か。

 

作品評価★★★

(考えてみればタランティーノが真っ当にセミドキュメントみたいな作品を撮る訳がないのだが、そう思わなかった俺がアホだったって事ですね…。元『マイ・ボディガード』の天才子役ダコタ・ファニングがやに荒んだ役でこっそり出演?していたが、何かあったんでせうか…)

 

映画四方山話その684~思い出のNHK芸術祭参加ドラマその①『河を渡ったあの夏の日々』

 映画マニアになる直前に俺が好きだったのは大河ドラマと朝の連続テレビ小説を除くNHK制作のドラマ、特に芸術祭参加などの単発ドラマが好きだった。そういうドラマについて幾つか語っていこうと思う。まず第一回目は山田太一が脚本を書き73年10月6日に放映された『河を渡ったあの夏の日々』。

 

 ドラマの舞台は東京の下町・佃島。昔は腕のいい職人だったらしいのだが、今は魚河岸で清掃の仕事をしている一人暮らしの老人(西村晃)が、娘が嫁に行って空いた二階部屋を賃貸しする事に。契約したのは下町には似合わぬフーテン青年(萩原健一)だった。一日中仕事もせずにブラブラしている青年に対し老人は思わず説教じみた事を言ってしまい、場合によっては出ていってもらう…と言うが、青年はそれに対抗すべくフーテン仲間を呼んで共同生活をし始める…。

 今観直すと下町風景描写がやに懐かしいというか、今ではこんな風景など最早存在しないのではないか…と思わせる。年齢的には戦中派の老人と戦後世代の若者との考え方のギャップに加え、常に周囲の目線を気にしなければならない土地柄。単なる賃貸しアパート生活とは違い厭でも大家や街の住人達と顔を合わせてしまう窮屈さがある。

 老人と青年は事にある毎に衝突するが、お互い意地を張ってるだけの様にも映る。遂には女のフーテン(小鹿みき)まで現れるに至って老人の怒りはMAXになるが、人恋しいという部分では一人暮らしの老人もフーテン青年たちも同じだ。人間汗水かいて働く事が正道ともっともらしい事を言う老人に、女は「働くってそんなに楽しい?」と真顔で問いかける。放映時の俺はまだガキンチョに毛の生えた年齢だったが、その頃既に父親みたいに真面目に会社勤めできる自信など毛頭なかったので、そういう私的な部分でもこのドラマに感情移入し易かったかもしれない。

 青年の噂を聞いた真正ヒッピー連中も大量にこの街に押しかけ、近所の神社で野宿したりするに及んで他の住人たちの抗議の声も強くなって老人も青年たちをかばい切れなくなり、結局青年たちは追い立てを喰って老人の家を出て行く事になってしまう。僅か一か月あまりでこの街に来る時に渡ってきた河にかかる橋を逆戻りしなければならなくなった青年たちはやり場のない気持ちに駆られる。どうやら彼らは始終揉めながらも頑固親父を好きになっていたみたいだ。その気持ちは老人も同じで、フーテン女が忘れていったネックレスを自分の首にかけ、ひと夏ではあったが同じ屋根の下で過ごした連中の事を妙に懐かしく思い出したりする。世代間の衝突がテーマのドラマらしく厳しい現実を描きつつも、そんなハートウォ―ミングな心情も伝わってくるのが良かった。

 ショーケンが新宿歩行者天国でアイスクリーム売りのバイトをするシーンはゲリラ撮影ぽい。今だったら肖像権問題で一般人や子供にモザイクをかけないといけなかったりするのだが、当時はそんな事お構いなし。そんな自由奔放さがこの時代のドラマにはあった。ショーケンの弟分の内気な男を演じた石立和男はあの石立鉄男の実弟だが、役者としてはブレイクしきれずに消えてしまった…。同じくショーケンの仲間役でまだ『モップス』のメンバーだった鈴木ヒロミツが出演し、音楽担当がやはりモップスの星勝だったりするのも懐かしい限り。

 元松竹助監督から脚本家に転身した山田太一は、NHKの仕事では本作よりもシリーズ化された『男たちの旅路』の方が評価されてる感があるが、テーマがやや先行し過ぎる印象が強かった『男~』よりもナチュラルさがある分本作の方が好みだ。山田太一が大メジャー脚本家になって以降の作品は、既に俺が映画マニアになっていた事もあり観た事は全くない。