田舎在住だった頃、自主製作8ミリ映画のスタッフに誘われた事があった。映画は観る方専門で撮る事に関しては全く興味がなかったのに、そんな俺が何故誘われたのかの理由は分からない。結局話は上手くまとまらずお流れに。一度言いだしっぺのT氏の家に泊りがけで打ち合わせした事があったが、ほぼ映画製作とは関係無い話に終始した。ただT氏は俺に「こういう映画を撮りたいんだ」と漫画誌『ガロ』を持ち出してきて差し出すページに載っている漫画を読んでくれとは言った。それが鈴木翁二の『オートバイ少女』だったのだ。

 バイク好きの田舎在住の少女が海辺までバイクを走らせるだけの話なのだが、今までの漫画では味わえなかった独特な世界観があり、映画になるかどうかは別にして素直に素晴らしいと思った。以降俺は鈴木翁二の漫画を探し読む事で『ガロ』を知り、漫画への興味を深めていく事になったのだから、鈴木翁二は俺にとっては忘れ難い漫画家の一人なのだ。

 鈴木翁二は愛知県出身で十代の頃に上京。ジャズ喫茶に入り浸るフーテンみたいな生活をしながら漫画を描き続け(その頃の友人に小説家の中上健次がいる)ガロで漫画家デビュー、一時つげ義春みたいに水木しげるのアシスタントをやっていた。『カムイ伝』連載終了後のガロで無頼派漫画家の安部慎一、現『まんだらけ』社長の古川益三らと共にガロの中心的な漫画家となった。

『麦畑野原』はガロの発行元・青林堂以外から初めて発売された鈴木翁二の単行本だと思う。その当時の最新作からこれまで未発表だった初期作品まで幅広く収録されている。表題作の『麦畑野原』は中学を出て女工をやっている女の現実とも妄想ともつかぬ恋愛エピソードが綴られる。主人公の女は特に美人でもない地味な容貌で、他にもそんなパッとしない女が不誠実そうな男に縋って生きている…みたいな純文学的な世界を漫画に置き換えた様な作品が何本か収録されていた。

 72~3年頃の鈴木翁二の漫画に惹かれた者としては、これらの純文学的な漫画は想定外で、『サーカス』(ガロ73年1月号掲載)みたいな私小説風な漫画(鈴木翁二ぽい主人公が少年の頃に観たサーカスの記憶と、現在の厳しい生活が並行して描かれる)を期待していたのだが…。漫画のみならずエッセーや稲垣足穂辺りに影響を受けたかと思しきショートストーリー風読み物も収録されたり、当時現代詩人などとも付き合いがあったらしい鈴木翁二の、漫画家の枠に囚われない創作活動の顕れと言えるだろう。

 でも俺が本書の中で最も読み応えがあったのはそういう作品よりも、鈴木翁二が十代の頃『ガロ』に投稿したが惜しくも入選を逃した二作品だ。『血紅色』はせむしの少年が真夜中の海辺で密かに背中のこぶにナイフを突き刺す儀式を描く。『Kの時代』は主人公と同居していたKという名の友人の失踪について語るモノローグ的なストーリー。何れも69年に描かれており、絵柄は前年に衝撃作『ねじ式』を発表したつげ義春からの影響が大。そういう漫画家としてまだ未成熟な部分も含め、鈴木翁二の多感な少年ぽさが瑞々しく伝わってきたのは俺だけではないと思う。尤もこの作品集の時点で鈴木翁二はまだ二十代で決して老け込む年齢ではなかったのだが。

 この作品集以降の鈴木翁二は、本書にも収録されている少年目線でのユートピア的な時代劇『こくう物語』をシリーズ化してガロに連載、80年代初頭までは精力的に描き続けるが、それ以降は寡作になっていったし、俺自身も彼の動向に注目する事もなくなって現在に至っている。尚『オートバイ少女』はミュージシャン、あがた森魚の監督で94年に映画化されたが凡作だった。やはり原作の持つ世界観は映画化するには難しいと思う。