前身の『はちみつぱい』時代から数えると半世紀に至る活動を続ける『ムーンライダーズ』(その間活動停止の時期もかなりあったけど…)。彼らの強みはリーダーの鈴木慶一以下バンドのメンバー各自が個人名義でも活動してきた事にあると思う。バンド活動停止期間はソロ活動や別仕事に力を入れて常に音楽業界で動いていた事のスキルが、再開した際のバンド活動に繋がる…とでもいうか。

 かしぶち哲郎はドラマーが本職ではあるが『はちみつばい』加入以前は歌声喫茶みたいな場所で弾き語りをしていた時期もあったそうだから、元々コンポーサー的な才能はあったと思われる。はちみつぱいのデビューアルバム『センチメンタル通り』(73)では『釣り糸』という曲を提供しヴォーカルも担当。80年代にはアイドルを中心に歌謡曲歌手への楽曲提供を開始(急逝した為に発売中止になった岡田有希子のシングル曲『花のイマージュ』を提供したのもかしぶちだった)、80年半ば辺りからは映画音楽制作も手掛け始める。『釣りバカ日誌』シリーズを観ていたら「音楽・かしぶち哲郎』とクレジットが出てビックリした事もある。

 そんなかじぶちが満を持して初のソロアルバムを発表したのが83年。さっき聴いた『リラのホテル』がそれだ。ただ発売時のクレジットでは『かしぶち哲郎 Featuring 矢野顕子』となっており、かしぶちと矢野顕子の共作アルバムとして売られたらしいのだが。矢野はヴォーカル&キーボードで4曲に参加、他にも坂本龍一、細野晴臣などYMO人脈のミュージシャンが多く参加、ムーンライダーズからはかしぶち、鈴木博文と『アートポート』という3ピースバンドをやっていたギタリストの白井良明が参加。かしぶちはヴォーカル、ドラム、パーカッションの他にチェレスタを弾いているらしい。全曲かしぶちの作詞&作曲で、編曲は矢野参加曲のみ矢野が担当していると思われる。

 

 アナログA面1曲目『ひまわり』はいかにもYMO人脈の音って感じのバッキング。しかしかしぶちの優し気なヴォーカルにはYMOの諧謔精神はなく、至極ロマンチックな詞を真面目に唄っている。それが気障に聴こえないのがかしぶちの持ち味…といったところか。

 2曲目『リラのホテル』はかしぶちがはちみつぱい時代バッキングを務めていたあがた森魚に提供し、あがたの大作『日本少年』(76)に収録された。彼が高校生の時に作った曲で、少年時代のかしぶちの欧米志向が如実に顕れているストリングス主体のアレンジ。俺たち世代までは、高校生は洋画映画について語ったりする事が「ヒップ」の証しだった。この曲の評価がかしぶちのアレンジャー的な仕事への評価に繋がっていったのだろう。

 3曲目『Friends』は矢野参加曲で矢野はかしぶちとデュエット的にヴォーカルで絡んでいる。キーボードが前面に出たアレンジは正にヨーロッパ的というか、この時期の大貫妙子の楽曲に近い感じ(大貫もこのアルバムにバッキングヴォーカルで参加)。タイトルはかしぶちと矢野の関係を表現したものとも思われるが…。

 4曲目『冬のバラ』は坂本が弾くピアノのみをバックにかしぶちが頼りなげに唄う。こういう曲を聴くとかしぶちの弾き語り経験が生かされていると思うのは俺だけではないだろう。生ピアノに松任谷正隆が弾くアコーデイオンが微かに絡むのが隠し味的効果になっている。

 5曲目『屋根裏の二匹のねずみ』は矢野顕子参加曲。シンセによる前奏から矢野のリードヴォーカル。その後かしぶちのヴォーカルが入りデュエットとなるのだが、どちらかと言えば矢野の楽曲にかしぶちが加わった風に感じられる。矢野の個性が上手くかしぶちとフィットしている…との印象。 これでA面終了。

 

 アナログB面1曲目『Listen to me Now!』も矢野参加曲。ベースパートをシンセで演奏しかしぶち&矢野のヴォーカルに大貫、ひばり児童少年合唱団のバックコーラスが加わる事で、NHKの長寿番組『みんなのうた』的趣の曲に仕上がっている。突然登場する大貫のスキャットも効果的。 

 2曲目『堕ちた恋』はタイトルの背徳性に合わせ、かしぶちが綴る恋物語って印象。サビの部分などはキャッチ―でこの後の歌謡曲仕事にも通じる物があるかも。アレンジにはシャンソン的な物への憧憬も感じる。白井良明がチラッとギターソロを披露したりするけど過剰さはない。

 3曲目『恋ざんげ』は矢野、大貫参加曲。シンセの変わった音色を生かしたユニークなアレンジで、かしぶちのヴォーカルを支える矢野&大貫コンビの子供ぽいバックコーラスが愉しい。実際の恋愛ってこんな愉しい事ばかりではないのだろうが…。

 4曲目『憂うつな肉体』はダブルベースを使用したアコースティックぽい音作りで、かしぶちのロマンチック志向がより伺えるが、歌詞は相手の自分に対する態度が本心からの愛か、単なる肉体関係だけの繋がりなのかと悩む、結構深刻な部分もあったする。そんなストーリー性を感じられる曲。

 B面最後『春の庭』の冒頭は坂本の弾くピアノに乗せてかしぶちが唄うアコースティックぽい曲だが、ひばり児童少年合唱団が参加し矢野誠が担当するストリングスアレンジの妙で、まるでミュージカルの挿入曲みたいな演劇性が加味されているのだが、過剰さを嫌う?かしぶちの意向でごくあっさりしたエンディング処理になっているのが特徴。

 

 過激さをひた走っていた80年代のムーンライダーズとは全く対照的なかしぶちの歌世界が本アルバムにはある。レコーディング前かしぶちは自分の音楽のルーツを探る為にヨーロッパを旅行したそうだから、こういう音作りになるのは当たり前なのだが。その意味ではかしぶちの、ソロアーテイストとしての原点になった記念碑的なアルバムではある。

 かしぶちがソロ仕事を多くしていった背景にはムーンライダーズが打ち込みを多用する様になり、ドラマーとしての活動はほぼライブだけに限定されつつあったバンドのお家事情もあると思う。晩年のかしぶちはライブでは体力が左程いらないシンセドラムを叩き、サポートドラマーも参加していたりと健康上の問題は食道がんに罹る前からあったのではと思われる。2011年5月5日メルパルク東京で観たムーンライダーズのライブが、彼の最晩年の演奏という事になるのかしらん。