上州大前田の栄次郎(北大路欣也)は小天狗の異名を取る程喧嘩早い若者。芝居小屋で狼藉働く役人を懲らしめてこの地にいられなくなり父の勧めで即刻草鞋を履く事に。栄次郎と入れ違いに次郎長(中村錦之助)一家が息子の代わりに入牢した栄五郎と対面、次郎長は海老屋甚八から娘の婿が決まるまで縄張りを預かる事になったと告げる。栄次郎が草鞋を脱ぐ予定なのが甚八一家だったのだ。栄次郎はごまのはえに財布を掏られフラフラで甚八一家に辿り着く…。

 

 マキノ雅弘と言えば次郎長物というか、高名な東宝の『次郎長三国志』シリーズ以外にも数えきれないほどの次郎長物を撮ってきた人。本作がマキノにとって何本目の次郎長なのか、もう数える気もありませんや。本作は北大路欣也初めてのマキノ映画出演作? 市川右太衛門御大の息子というサラブレット的な血筋もあり12歳で初映画出演、今も現役だから役者歴は65年という息の長い役者に成長していったのだが。そんな北大路が大前田栄五郎のやんちゃな息子に扮し、大スター中村錦之助との共演を果たす。マキノ映画の次郎長一家の面々は作品ごとに顔ぶれが変わっているけど、法印大五郎役だけは田中春男で固定されていますな。

 

 甚八一家で下働きとして働く栄次郎だが甚八の子分に誘われ賭場で大儲け。父の甚八の命令で娘のお喜代(小林哲子)が連れ戻しに行くが、その間に甚八の縄張りを狙っていたドモ安が殴り込み甚八を殺してしまった。責任を感じた栄次郎はドモ安を叩き斬るべくまた草鞋を履いた。ドモ安は次郎長のライバル・黒駒の勝蔵の懐に逃げ込む。血気にはやる栄次郎にこのままドモ安を斬らせたら凶状持ちになってしまう、そうさせない為には栄次郎と夫婦になれ、そうすれば敵討ちになると次郎長はお喜代に言い、栄次郎もそれを受けた。次郎長一家は甲州路を急いで勝蔵の縄張りである甲府へ入った。それは栄次郎から目をそらす陽動作戦で…。

 

 当時18歳ぐらいだった北大路欣也だがスターの風格は既にあるね。正義感の塊で曲がった事は大嫌いという栄次郎にキャラにも打ってつけだろう。その癖三枚目的な部分もあり相手がごまのはえと知ってはいて財布掏られてしまう間抜けなコメディ演技もこなす。そんな主演の北大路を盛り上げるべく大スター、錦之助が次郎長に扮して助演。栄次郎の面目を立たせるべく一肌脱ぐ辺りは、芝居を越えて大スターから新進スターへの指導的なニュアンスもあったりして。マキノ雅弘は既に次郎長物に慣れている事もあり歯切れ良い演出が特徴、役者の使い方も上手い。つい先日亡くなったジェリー藤尾が石松役だったりするのはタイムリーだが…。

 

作品評価★★★

(ヒロインを務めた小林哲子という女優には馴染みがなかったが、調べてみると東宝特撮作品『海底軍艦』にムー帝国の女帝役で出演していたとか。クリープのないコーヒーなんて…じゃないけど、法印大五郎役が田中春男でない次郎長物なんて…と思ってしまう程の当り役です)

 

映画四方山話その682~我が映研時代

 先日衝撃を与えた相手の顔に硫酸をかけた傷害事件。報道によるとその原因は加害者が沖縄の大学時代映研に入部した時、学年上だった被害者に呼び捨てにされたりして恨んでいたのが動機だったという。加害者は被害者の後輩ではあっても実年齢は加害者の方が上で、そんなねじれ関係が今回の犯行に走らせた…。勿論理由がどうであろうと許される犯罪ではないけど、そう言えば俺が属していた地方都市の某四流大学の映研にも学年は下だが年齢は俺より一つ上のFという男がいたなあ…と思い出した。

 Fは大学受験失敗後予備校へ行くという名目で上京し、大学に行かず二年間水商売などのバイトをして稼ぐ一方都内名画座で映画を浴びる様に観まくっていた男で稼いだ金で大学に入学。書物代に毎月二万円使う本の虫で博学だし、20歳過ぎなのに早くも酒を断てと医者に言われている大酒飲み。東京時代は新宿二丁目のゲイバー通いもした経歴の持ち主で、はっきし言ってそんなFから見たら俺なんてチンケな男に過ぎないはずだが、他に東映やくざ映画やロマンポルノの話題ができる人間が映研内にいなかったので仲良くなった…というか、まだ酒も殆ど呑めず超人見知りだった俺の、大学での唯一の友人だった。

 

 先輩部員が部室に顔を出さなくなると必然的に俺とFが映研のトップになると、映研は完全に二人の私物化状態になった。取り敢えず映研活動は上映会をやっとけばいいんだろうし、ならば俺たちの観たい映画を上映すればいいという事になって、まず鈴木清順の『けんかえいれじい』と石井輝男『網走番外地・望郷篇』の二本立てを学内で上映…と言っても観に来たのは部員だけ、その内の半分ぐらいの後輩部員はこんな映画なんか観たくないと言って途中退場、加えて16ミリ映写機を借りてきたのはいいがシネマスコープレンズの扱いが分からず、結局レンズを使わず歪んだ映像で観る事になってしまった。だもんでちゃんとした形で『けんかえれじい』を観たのはつい最近の事なのだ…。

 

 そんな散々な結果に終わった一回目の上映会だが、俺とFはそれに全く懲りる事なく第二回の上映会を企画。沖島勲の『ニュー・ジャック・アンド・ヴェティ』(69)と太和屋竺の『裏切りの季節』(67)のどマニアックな若松プロ作品二本。ニューファミリ―全盛時代の世の趨勢に完全に逆行している(笑)。これは16ミリ映写機を常備している某自主上映館を夜だけ二日間借りて一本ずつ上映したが、当時情宣の仕方など全く分かっておらず、その自主映画館のプログラム表に載せとけば多少は来るだろうと高を括っていたら来たのは顔見知りだった他大学の映研部員三名、辛うじて二日目に件のプログラムを見て来た人が一人だけ。本来なら反省会でもすべきだが部費を使っての上映なので俺とFは腹は全く痛めておらず、個人的に観たかった映画がロハで観れて大満足なのであった(その後とある知人にそういう上映会をやったと言ったら、知ってたら必ず行ったのに…と惜しがられたが)。

 学業などには全く興味もなく卒業する気もなかった大学だけど、映研時代は楽しかったというか、映画を観る為だけに学生やっていた様な物。朝から映画館に行きFや他大学の映研部員と週一ぐらいのペースで深夜まで酒場にたむろし、映画談義や無駄話をして過ごす日常には何の不安も感じず、思えば俺の人生の中で一番呑気な時代だったな。

 しかしそういう生活も一年ぐらいだったか。人間的には面白い男だったFだが平気で預かった部費を使い込みし友人連中に酒を大盤振る舞いしたりと犯罪スレスレの事をやる一面があり、それが映研のみならず大学文化部会にまで及ぶに至ってはさすがに映研のトップ的立場にいる俺としては庇いきれず、Fを退部処分にするしかなかった。もしかしたら退部しろと言われたFも内心では硫酸どころか、俺の事を「殺してやる」ぐらいは思っていたかもしれない。以来必然的にFとの付き合いはなくなりFの「その後」など知る由もないが、あれだけの大酒飲みではもう生きていないかも…。

 その後の俺は大学を辞めて田舎フーテンみたいな生活に入り、その間色々な人と出会って今みたいな物の考えをする人間へと変わっていったのであった…。