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 ローカル線の終着駅地でもある澤井村。役場で働くアラサー女のちひろ(あべみかこ)はいい加減バージンを捨てたくなって、休みの日役場の同僚で生真面目だけが取り柄の元同級生・恭平(市川洋平)を駅のプラットフォームに呼び出し自分からラブホに誘う。何が何やら分からずそれでもSEXしようとする恭平だったが上手くいかなかった。それもそのはず恭平も童貞だったからだ。気まずい雰囲気で別れた二人だがその後もちひろは度々恭平をラブホに誘う…。

 

 久々に観た大蔵映画製作のピンク映画(今は『オーピー映画』と会社名が変わっているみたいだが)。尤も成人指定で上映された物をRー15指定用に編集して再映されたヴァージョンである。小関裕次郎という新鋭監督のデビュー作。若松プロ門下の監督で後輩に当る白石和彌の『止めてくれるな、俺たちを』(18)の脚本も担当した井上淳一が脚本を執筆。典型的な田舎で生き続ける、もう若いとは言えなくなった人間たちの焦りを描く。今回が初主演となるあべみかこは「微乳」を売りにしてAV界で高い人気を誇る「セクシー女優」。相手役の市川洋平も今回が映画初出演とか。助監督に先輩ピンク映画監督がついたりして新人デビュー作を応援。

 

 二人ともSEXテクはAVを観て学んだ物なのでSEXが上手くいかなくて当然。役場では村起こしも兼ねて都会から呼んだ女性と地元の人との婚活パーティを企画している。二人の先輩で課長と爛れた不倫関係を余儀なくされている緑子(月ヶ瀬ゆま)は課長への当てつけで恭平を誘い、恭平はちひろ以外の女で童貞喪失してしまった。恭平と緑子が関係を持った事に気付いたちひろは緑子と共に自主的に婚活パーティに出席する事を課長に宣言した。パーティ当日。ちひろは恭平の従兄弟でAVマニアの勇之介と2ショットになるが、勇之介は恭平がちひろに惚れている事を知ってるのでぎこちない。緑子もやはり2ショットになっても盛り上がらず…。

 

 若者不足が深刻化している過疎村を舞台にした辺りは、社会派ドキュメンタリーも監督している井上淳一らしい脚本。そんな田舎で暮らすアラサー年代の遅すぎた性春ストーリーが描かれる。童貞にありがちな引っ込み思案な性格でちひろへの好意を態度で示せない恭平に、ちひろとは因縁の間柄である緑子が背中を押してやる展開はコメディ的で面白いのだが、18禁映画を無理やりRー15にした弊害か、中途半端なSEXシーンが作品のリズムを緩慢にさせてしまった風でもある。いっそもっと大胆にSEXシーンをカットしてしまった方が良かったのでは? 演出自体のキレの悪さはデビュー作という事で大目に見た方がいいのかもしれんが。

 

作品評価★★

(ちひろと恭平が各々妄想の中でAVの出演者にSEX指南してもらうシーンは、演出が下手で?と思ってしまう。現在のピンク映画村の中では野心作という事になっているのかもしれないが、「映画」として観ると様々な粗が感じられてしまうのが残念。でも今後頑張っては欲しい)

 

映画四方山話その679~大蔵映画

                              大蔵映画マーク(1967) - YouTube

「日本一、否世界一の恐るべき低予算で劇映画を製作している会社」。当時井筒カントクの助監督だった現・脚本家の西岡琢也が某映画誌で吐き捨てる様に本音を炸裂させていた「大蔵映画」。井筒カントクは『ガキ帝国』(81)を撮る前一本だけ大蔵映画でピンク映画を撮った事がある。俺も劇場で観た記憶(女教師物だった)があるが西岡氏が言う様に大蔵映画の厳しい制限の中で苦労したらしく、あまりパッとした出来ではなかったな。

 その作品も含めて俺は大蔵映画の作品の記憶は殆どない。80年代まで大蔵映画を撮る監督には新東宝系で撮っていた若松孝二や高橋伴明、滝田洋二郎といった強烈な個性を発揮する人は見当たらなかった。但し出演女優の印象はある。TV女優&タレントからヌードグラビアに転じて大蔵映画でデビューした原悦子、その後継者的なデビューとなった三条まゆみである。

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 76年から大蔵映画に多数出演しピンク女優らしからぬキュートなルックスでピンク界きっての人気女優となった原悦子を日活が目をつけない訳がなく、78年には大蔵映画から日活へ移籍してロマンポルノ女優になると、忽ちアイドル的な人気となりその年の大学学園祭にまで登場する時の人になった。現役時代はインタビューで「私はヴァージン」と言い続けていたがこれは眉唾物(同じくピンク映画を経てロマンポルノで人気を得た美保純が「処女じゃあんな事絶対できない」と断言していた)。

 かたや三条まゆみは田舎から上京した集団就職娘みたいな、垢ぬけた所がない女優だった。もしかしたら昔からのピンク映画ファンは往年のピンク女優ぽい雰囲気を持つ三条まゆみの方が好きだったのかもしれないが、俺も当時は若者だったので(笑)原悦子の方が好き、三条まゆみはちょっと苦手だった。

 三条まゆみは原悦子と違い大蔵映画から離れる事はなくその後十年に渡って主演を張り続ける。常に新鮮さが求められるピンク女優界において十年も主演の座に居続けた事自体が大蔵映画の保守性を顕していると言わざるを得ないが、本人には自分を育ててくれた大蔵映画を裏切れないという気持ちも強かったと思われる。女優引退後も製作の裏方的仕事で大蔵映画に残っていたみたいだが…。

 90年代になるとさすがに若手監督によるユニークな作品も登場したりして、他のピンク映画会社がジリ貧になってロクロク新作も製作できず旧作の再映で何とか凌いでいるのに比べ、大蔵映画は現在も定期的に新作を製作~配給し続けている。その理由は現社長が不動産関係の本業で財をなしており(一時期東京都版所得番付の常連であった)、映画で儲けなくてもいいからであろう。加えて社長が父(大蔵貢)の「絶対に映画製作は辞めるな」という遺言を頑なに守り続けている…という事か。

 今俺が在住している県からピンク映画専門館が消えて久しいし、劇場で大蔵映画を観る事はもう二度とないと思うけど、心情的にはこれからもピンク映画を作り続けて欲しいとは思っている。