キンキーブーツ(2005)|MOVIE WALKER PRESS

 チャーリー(ジョエル・エドガートン)はイギリスの田舎町にある紳士靴メーカー『プライス社』の四代目。まだ遊びたい年齢でロンドンに出て恋人のニコラと同棲生活を送るはずが、父が急逝したとの報せを受けて急遽帰郷、父の仕事を受け継ぐ事になった。調べてみると倉庫は返品の山、会社は倒産寸前。仕方なく退職者を募り在庫整理でロンドンに向かったチャーリーは喧嘩に巻き込まれて失神。目が覚めるとそこはショーパブの楽屋で目の前には女装した男が…。

 

 実話を基にしたイギリスと米国の合作作品。財政は火の車な会社を継いだ主人公と、偶然知り合ったドラァグ・クイーンが力を合わせて会社を盛り立てるというストーリー。TVドラマの監督として活躍していた英国人ジュリアン・ジャラルドの映画デビュー作で、次作のアン・ハサウェイ主演『ジェイン・オースティンの秘められた恋』(07)も注目を集めた。オーストラリア出身で『スター・ウォーズ』シリーズなどに出演しているジョエル・エドガートンと、舞台を中心に活躍、大作『それでも夜が明ける』(13)の主演でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた事があるキウェテル・イジョフォーの共演。その後ブロードウェーでミュージカルとして上演された。

 

 男はドラァグ・クイーンのローラ(キウェテル・イジョフォー)。雑談している内ローラから無理して女性用ハイヒールを履いているので直ぐ壊れてしまうとの話を聞いたチャーリーは、ドラァグ・クイーン用のハイヒールを新商品として開発すれば売れるのではないかと考え、一旦解雇したローレンを呼び戻して市場調査を依頼、ローラを自社の工場に招いて試作品の感想を聞く。ローラは試作品にダメ出し。チャーリーはローラをコンサルタントとして雇いこの街に常住させる。従業員たちの中には女装しているローラに露骨に侮蔑の眼差しを向ける者もいた。チャーリーとの水入らずの結婚を夢見るニコラは工場なんか売ってしまえとチャーリーに進言…。

 

 経営ピンチの中小企業がサバイバルの道を見出すまでのサクセスストーリーに、ゲイという事で子供時代から差別を受けてきた「ヒロイン」がそれを覆しステージで輝きを取り戻すまでの経緯を主人公との関り合いを絡めつつ描く。中小企業のサクセスストーリーはいかにも欧米で受けそうな話だと思う。差別というテーマに関しては従業員の中で一番ローラを嫌っていたマッチョタイプの男が、ローラの気遣いのお陰で恥をかかないで済んだ事から偏見を捨て、率先した納期に間に合わなそうな作業を徹夜でこなす展開がかなりベタではあるけど感動。主人公とローラとの関係も単なる綺麗ごととして描いていない所が良かった。小品的な佳作。

 

作品評価★★★

(日本版のミュージカルでは三浦春馬がドラァグ・クイーン役に扮していた…。恋人に振られた腹いせでローラに酷い事言ってしまう主人公はその時点でサイテーだが、人間誰しも無神経に差別してしまう過ちを犯す物なのだ。それを描いている所が『24時間テレビ』とは違う)

 

映画四方山話その678~『ピンク・フラミンゴ』

カルト映画の最高峰『ピンク・フラミンゴ』がフィルムに刻む、崇高なる ... 

 映画におけるドラァグ・クイーンとして直ぐ思い出すのがデヴァイン、かつ彼女が主演した『ピンク・フラミンゴ』(72)の事だ。世界で最も下品とされる作品には個人的に強い思い出がある。田舎に在住じていた頃、俺にとって映画関連の恩人であるN氏に「組んで『フリークス』『ピンク・フラミンゴ』の二本立て上映会をやらないか」と誘われた。俺は二年あまり実験映画系の自主上映会をやった経験があったので声かけしてくれたのだ。当時この二本立て公開はサブカル的に「カルト映画」の元祖的存在として話題になっていた。尤も両作共正式なルートで公開された訳ではなく、映画評論家の佐藤重臣が個人的に購入した私蔵フィルムを佐藤自身が東京で頻繁で自主上映していたのだ。

  上映前日にフイルムが届きN氏は試写してみたらしいのだが、両作共字幕がない事に驚きと強い不満を示していた。俺は以前やはり佐藤重臣絡みのアンダーグラウンド映画上映会を観た経験があり、佐藤重臣の私蔵フイルムには字幕がない事は先刻ご承知だった。ぞの事を事前にN氏に言っていたら上映会企画は流れていたかもしれない。

 実際絵だけでもストーリー展開が分かり易い『フリークス』に比べ『ピンク・フラミンゴ』は台詞の比重がかなり大きく、観に来てくれた人たちの大多数がチンプンカンプンだったのではないのかな? 観客の中に米国人カップルがいてその二人だけがバカ笑いしている…というちょっと異様な光景であったが。でも呼び物の「肛門踊り」とかディヴァインが犬の糞を喰うシーンとかは強烈というか、こんなバカな事人前でやる人いるんだな…と笑う前に妙に感心してしまったりしたのであった。

 結局N氏の顔の広さで観客だけは沢山入り、使い走りレベルの協力しかできなかった俺も黒字の報酬として一万円もらった。当時の一万円は安酒場なら一晩では使い切れない金額で上映会が終わった後N氏とは別に上映会を観に来た後輩とその金で打ち上げぽく痛飲した。振り返れば自主上映会に関わって黒字になったのはこの時だけだったな。

 調べてみると『ピンク・フラミンゴ』が日本正式に公開されたのが86年。当然字幕も付いていた訳で、それで観直してみたいな…と思いつつ未だにその機会はない。08年にはノーカットの無修正版のDVDも発売されたそうだから、改めて時代の変遷は凄いなと思う。元祖ドラァグ・クイーン?のデヴァインもN氏も亡くなって久しい。上京してから『ピンク・フラミンゴ』を観て映画に目覚めたという奇特な女性に出会った事があるが、その女性の文章は『キネマ旬報』などで見かけます。