香港警察の刑事ジャッキー(ジャッキー・チェン)はCIAの捜査に協力、ウクライナ人のナターシャの尾行の指令を受ける。ジャッキーの任務は尾行だけでウクライナに着いたら仕事は免除、観光旅行と洒落こむ積りだった。しかし街中で軍人たちに囲まれたナターシャを目撃、ほっとく訳にもいかずまた尾行。ナターシャはウクライナの特殊部隊に連行されそこでツイ(ジャクソン・リュー)と合流。ツイは核爆弾の密輸を企んでいた。ジャッキーはCIAと国家公安部に連絡…。

 

『少林寺三十六房』シリーズの後はジャッキー・チェン御大のアクション作品を鑑賞。邦題を見ると『プロジェクトA』シリーズの続編かと勘違いするけど、実は85年から始まった『ポリス・ストーリー/香港国際警察』シリーズの第四弾でシリーズ最終作にもなった。確か前作の『ポリス・ストーリー3』(92)は観たはずだが主人公の役名が英語読みになっていたり、一貫してヒロインを務めてきたマギー・チャンが降板したりと前作までの繋がりは全くない。役名が英語読みになってるのは本作が米国公開される事が理由だったらしく、結果的に本作の米国での好評がジャッキー・チェンの『ラッシュアワー』シリーズの起用に繋がったと言えるのかもしれない。

 

 雪上でCIA&国家公安部対ツイ&ロシアン・マフィアの銃撃戦が展開、ジャッキーもそれに巻き込まれて負傷。ツイは行方をくらました。盗まれた核爆弾の回収の為FSR(ロシア連邦保安庁)のイゴーロフ大佐がジャッキーと接触、オーストラリアに飛びツイの妹アニー(アニー・ウー)に会う。アニーを尾行するジャッキーの前にツイが現れ、イゴーロフの正体がロシアン・マフィアのボスである事を告げる。ツイは元CIAとFBIの二重スパイでイゴーロフに核爆弾を高く売りつける積りだった。そんな時ツイ兄妹の父がイゴーロフに殺されジャッキーがその犯人に仕立てられた。濡れ衣でアニーから恨まれて困惑するジャッキー。アニーが人質に取られて…。

 

 陳腐なストーリーはもうどうでもいいというか、作り手もその点は割り切っていてジャッキーのアクションシーンをどのように見せるかに執心している感がある。今更言うまでもないが本作でもジャッキーは怪我を恐れず危険なアクションシーンに挑戦、雪景色の中でヘリコプターにぶら下がって氷が張る湖に落下したり、脚立を振り回して闘ったり(これはジャッキーよりも相手する方がデンジャラス)。圧巻は水族館に水槽内でのバトルシーン。息を止めたまま悪党たちと延々闘い続けるジャッキーが凄い。クライマックスシーンでは海を走るフェリー船で逃げる悪党たちを陸の上から追いかけた末、スポーツカーでジャンプして船に飛び移る荒業を披露。

 

作品評価★★★

(作品の出来自体は三流だがCGなど一切使わずデンジャラスなシーンも全部自分でやってしまうジャッキー・チェンには呆れるを通り越して感心するしかないなあ。尤も現在は間違いなく体がボロボロになっているはずで、ちゃんとした老後を過ごせるのか心配。大丈夫かな?)

 

映画四方山話その666~大林版『時をかける少女』を観直してみた

 大林宣彦関連本を読んで「いつか見た」大林映画を脳裏で反芻してみたが、はっきりとした形で浮かんでこなかったのが『時をかける少女』(83)。この作品は薬師丸ひろ子の『探偵物語』との二本立てだったが『探偵物語』もどんな作品だったか殆ど記憶がなくなってしまった。当時俺は角川映画が推進していた「アイドル映画路線」に軽い反発を抱いていたのかもしれない。まあその頃から俺は自他とも求めるマイナー&イカモノ映画好きで、周囲の人間からは「フリークス」なんてあだ名で呼ばれていた程。

 そんな訳で38年ぶりに元祖『時かけ』を観直してみた。原作は筒井康隆の同名小説で72年に『タイムトラベラー』の題名でNHKで少年向けドラマとしてドラマ化されており、これは俺も毎週観ていた。TV版では突然タイムトラベラーになってしまったヒロインの戸惑いと共に、謎の同級生・深町一の正体を巡るミステリードラマ的な展開になっていたが、当然ながら大林版はそれとは全く違う、ヒロイン・吉山和子(原田知世)と深町(高柳良一)の時空を超えた初恋ストーリーになっている。タイムトラベラー化した事で深町の正体(未来人)を知る事になってしまった和子。だが深町は目的を終えた今未来に戻らなければならない。その時深町に関する記憶が全て和子の脳裏から消える。深町が幼馴染との記憶を生みつけられていた原田は、深町の正体を知ったと同時に彼に恋していた事も初めて自覚する。

 今回観て一番驚いたのは原田知世の幼さ。制服とか私服を着ている時はまだしも、体操服を着ているシーンなど「ロり」にしか思えない。リアルタイムで観た時そう思わなかったのは、俺もまだ原田知世ぐらいの歳の少女でもギリギリ恋愛対象の範疇になりそうな年齢差だったからで、加齢って哀しいというよりも残酷。映画の中のヒロインは永遠に歳を取らないけど、それを観ている俺たちは確実に年老いていく。

  そういう幼さも含め本作の原田知世にはライバルだった?薬師丸ひろ子にはない、そこはかとない儚いイメージを感じる。実は角川春樹は『セーラー服と機関銃』TV版でデビューした原田知世はアイドルとしては大成しないと考え、原田の「思い出作り」の為に本作を企画したという。つまり興行成績時代では原田知世はこの作品で公には姿を消す可能性もあった訳だ。そんな「儚い」という感情は孫が交通事故死した記憶を消され、深町を孫だと信じこまされて生活を共にしている老夫婦(上原謙&入江たか子)にも通じる。そういう本作が持つ感情表現が若かりし頃の(笑)俺にも感ずるものがあったのだろう。

 評判が良くなかったという特撮シーンは、今観直すと確かに当時既にハリウッドでは導入されつつあったCG描写と比べると安っぽい印象は否めないのだが、敢えて手作業的な映画作りに拘った自主映画出身の大林ならではと言えるかもしれない。スチール写真をコマ撮り処理したイメージシーンや、今はもう消えてしまったであろう、まだ手付かずだった坂の多い尾道の風景などは、アイドル映画という枠内にも関わらず大林のプライヴェートフィルム的な趣もあるのだ。

 結果『探偵物語』とのカップリングだった『時をかける少女』は興収28億円の大ヒットとなり、原田知世はこの作品を思い出作りにする事なく現在も女優を続けている。大林宣彦は多数の「アイドル」と呼ばれる女優を起用した作品を手掛けたが、アイドル映画として一番成功したのが『時をかける少女』だったと俺は思う。