ジェイク(ジョージ・C・スコット)はミシガン州で家具工場を経営している。信仰心が厚く高校生の一人娘クリステンにをカルフォルニアで行われる若者の信者が集うイベントに送り出すが、警察からクリステンが行方不明になったという報せが。ジェイクは直ぐにカルフォルニアに向かうが警察が事を重大視していない事に落胆し腕利きと紹介された私立探偵マスト(ピーター・ボイル)に娘探しを依頼して帰る。数週間後ジェイクはマストに呼び出され成人映画館へ…。

 

 ポール・シュレイダーといえば『タクシー・ドライバー』(76)『レイジング・ブル』(80)などマーチィン・スコセッジ監督の傑作の脚本家として有名だが程なく監督業にも進出、本作が二本目の監督作品となる(勿論脚本も担当)。頑固親父ぽい主人公が全てを投げうって一人娘の行方を探す姿を描いたハードボイルドぽい作品。『パットン大戦車軍団』(70)でアカデミー主演男優賞をゲットした名優ジョージ・C・スコットが主人公を演じ、『タクシー・ドライバー』にも出演していたピーター・ボイルなどが助演。確か近日公開のラインナップにも入っていたはずだが内容が際物で大衆向けでないと判断されてか日本では劇場公開はされなかったみたいだ。

 

 ジェイクはそこで『愛の宴』という8ミリのブルーフイルムを観せられて衝撃を受ける。映画内で二人の男と絡んでいたのはクリステンだった。彼女は騙されて出演させられたと思ったジェイクはマストにプレッシャーをかけるが、頼りにならないと判断し自分で探す事にして単身カルフォルニアに飛び歓楽街に並ぶ風俗店を飛び込みで娘の消息を求めるが、収穫は全く無し。尋常な手段では無理と判断したジェイクはポルノ映画製作者に化け個人情報誌にポルノ男優募集の広告を出す。次々ホテル部屋に出演志願者がやって来てうんざりさせられたジェイクだが、遂に『愛の宴』に出演していた男を見つけ出しリンチを加え手がかりを聞き出す…。

 

 信仰的にもポルノなど論外と考える主人公が藁にも縋る思いで怪しげな風俗店を訪ね歩く姿が痛ましいというか、実際に俺が同じ立場に立たされたら自暴自棄になった末刑務所の厄介になるのが関の山だ。そんな中娘の行先を知っていそうなポルノ女優と知り合い成り行きで共に娘探しをする事に。世代も生活環境も違う二人の奇妙な関係描写がポール・シュレイダーらしい上手さがあり、結局各々の世界に帰っていくしかない展開は、同じく79年公開の『天使のはらわた 赤い教室』と偶然だが似通っている(但し演じる女優は水原ゆう紀程の魅力はない)。派手さには欠けるがリアルタイムで観れたら心に残ったかもしれない問題作だ。

 

作品評価★★★

(『パットン大戦車軍団』のパットン将軍みたいなワンマン社長、かつ頑固な親父が風俗街に入り浸り、街の裏社会へと入り込む姿がエグい…というか、ジョージ・C・スコットがこういう役を演じている事が本作最大の見どころかなと思ったり。変装までしちゃうのはやり過ぎだが)

 

映画四方山話その661~今回の作品で思い出した『ホテルニュージャパン火災』

 82年2月に起こった『ホテルニュージャパン火災』。死者33人という大惨事であったが、ホテル経営者が「乗っ取り王」として悪名が高かった横井英樹だった事でも注目された。俳優転業前のバリバリなやくざ時代の安藤昇が襲撃をかけた人物であり、更に横井の息子が東宝スターの星由里子と結婚したが僅か80数日でスピード離婚…なんて事も話題になった。火災事故後程なくしてホテルニュージャパンは廃業となったがホテルの建物は96年まで放置されており、俺も東京在住時代に赤坂見附周辺を歩いた際は嫌が応でもその「残骸」を横目で見る事になっていた。

 33人の内日本人の犠牲者は11人だったのだが唯一身元が割れない女性犠牲者がおり、それが「ピンク女優・沢田多絵」だと判明したのは随分後からだったと思う。何でピンク女優が赤坂の高級ホテルに宿泊していたのか? 調べてみると妻子ある男性との密会の為だったという噂がある。享年26歳だが女優としての公称年齢は二、三歳サバを読んでいたかもしれない。

 俺がスクリーンで沢田多絵を見たのは多分一回こっきりで、高橋伴明の監督作品だった。タッパは結構ありそうに見え髪を茶色に染めたヤンキー娘ぽい容貌だったと記憶している。一度見ただけなのに記憶に残っていたというのは、それだけいい使われ方がされていた(主演ではなかったが)証拠だとは思うのだが。

『ハードコアの夜』のジョージ・C・スコットはスクリーンで娘のあられもない姿を正視できなかった。沢田多絵の父親も娘が火災死するまでピンク女優をやっていたとは当然ながら知らなかった。ただ彼はジョージ・C・スコットとは違い、亡くなってから娘の出演作を映画館で観たという。スクリーン越しに娘の生きている姿を見て父は涙をこらえられなかったそうだ。そういう光景を想像すると何とも切ない気持ちになるなあ…という昭和ならではのエピソードでした。あいすません。