今年は大瀧詠一の『A LONG VACATION 』が発売されてから40年目の年で、それを記念してそのBOXセットが発売されたりTVで大瀧詠一特集番組が組まれたりしてそれなりに盛り上がっている。リアルタイムで俺が聴いたのは知り合いがマスターをやっていた呑み屋でだったけど、レコードプレイヤーから流れてきたメロディーの爽やかな印象はそれまでの日本の音楽には味わった事のない鮮烈な物で、40年経ってもその時の光景は未だにはっきりと脳裏に浮かんで来るのだ。

 それまで売れないレコードを量産してきた大瀧詠一の周囲は一変し、当然ながら次のアルバムの登場が待たれたのだがそれが意外とかかったというか、心行くまで楽曲の完成度を高められる権利を得た大瀧は粘りに粘ったあげく発売日は延期になり、実は発売されても本人自身は満足できなかったのがさっき聴いた『イーチ・タイム』で、発売されたのは84年3月だった。『A LONG~』に続き全曲作詞・松本隆、作曲・大瀧詠一コンビでレコーディングに参加したのは『はっぴいえんど』時代の盟友・鈴木茂を始めとした一流スタジオミュージシャンたち。そんなミュージシャンたちが「せーの」で合奏する、大瀧が敬愛する往年の名プロデューサー、フィル・スペクタースタイルのレコーディングであった。

 

 アナログA面1曲目『魔法の瞳』は冒頭のハープの調べがロマンチックな感じ、歌詞は当時の松本隆がアイドル歌手に提供する様なワードが溢れんばかりに並べられ、それがマイルドな大瀧メロディーと合致して60年代の洋楽ポップスの日本語ヴァージョンの完成版…といったイメージ。

 2曲目『夏のペーパーバック』の覚えやすいメロディーはシングルヒットを予感させるが、このアルバムからのシングルカットはなかったらしい…。恋が適わぬことを知って「ただの脇役だよ ぼくなんてね」と自嘲する男。奥行のあるエロ―を利かしたアレンジと美しくかつ切ない詞が素晴らしい。

 3曲目『木の葉のスケッチ』は往年の恋愛映画を観ているかの様に映像が浮かんで来る。街の木々の冬ざれた風景描写を別れを予感しているカップルの関係に当てはめた詞は正にプロの作詞家ならではか。この曲でもハープが印象的に伴奏に使用されている。

  4曲目『恋のナックルボール』は野球好きの大瀧の真骨頂…という感じのノベルティソングぽい曲。野球の試合経過と恋の行方をシンクロして描写するというのは、いかにも大瀧の考えそうな事。詞を依頼された松本は珍しくシンプルなワードでそれに応えてる。暗黒のコロムビア時代(笑)に大瀧は『ナイアガラ・カレンダー’78』で『野球狂の詩』という曲を発表しているが、それと合わせて聴くのもヨロシ。

 A面最後の曲『銀色のジェット』は別れを告げて異国に旅立つ恋人を空港で見送る羽目になった男の心情を唄う。風景描写は最小限に留め恋愛の機微に重きを置いた歌詞。ストリングスを主軸に置いたアレンジはまるで「僕」の視線を妨げる霧の様に切ない限り。

 

 B面1曲目『1969年のドラッグ・レース』は本アルバムは唯一のアップテンポの佳曲。思わせぶりなタイトルが付いているが、これは1969年にはっぴいえんど結成の構想を抱いていた大瀧と松本と細野晴臣が車で大瀧の実家のある岩手まで車で行った時の体験が詞の裏テーマになってるとか。わざわざ海辺に添って北上し夜は車中泊…。まだむこうみずだった頃の、大瀧たちの想いが「ドラッグ・レース」に象徴されているのだ。

 2曲目『ガラス壜の中の船』はデートで仲違いした後「僕」が恋人を送っていこうと思ったら車が故障して立往生になりまるで壜の中の船みたい…という詞。喧嘩した後で世の中で二人きりみたいになった状態になって皮肉な物…と僕は自嘲するが、これで仲直りできるだろうという希望的観測もある。60年代初期の洋楽ポップスのエッセンスを注入したアレンジが素敵。

 3曲目『ペパーミント・ブルー』は前作を継承する様な夏のイメージが漂う名曲。松本&大瀧コンビならではの多幸感溢れる歌世界は今でも全く古びて聴こえてはこない。後半部からおもむろに前面に出てくるストリングスの旋律にも耳を奪われる。

 最後の曲『レイクサイド・ストーリー』は突然歌の舞台が真冬になり、湖でスケートに興じる「君」を巡って「僕」と「あいつ」との三角関係が描かれる、何か夏目漱石の『こころ』みたいなストーリー展開。真夜中ロッジの宿泊部屋で僕が風邪で寝込んでる時あいつの部屋に君が入っていく気配を聞いてしまい…。恋愛ドラマのシチュエーション的な詞を軽い感じで唄う大瀧。そんな苦い思い出もフェイドアウトと共に「青春の一コマ」として過ぎ去っていく…。

 

 BGMとして聴き流せるアルバムだが、こうして真剣に聴き込んでみると改めて松本隆のプロ作詞家の矜持を感じさせる詞が凄い…というか、80年代歌謡曲の詞を吟味した事が殆どなかったのでマジ心服させられた。大瀧詠一のヴォーカルは常に一定の熱量ペースで唄われており、無駄に感情移入しない所がこの人の歌唱スタイルなのだろう。まず初めに心地良さありきなアレンジは前作よりも更に徹底した拘りになり、大瀧は『イーチ・タイム』が再発される毎に収録曲を入れ替えたり追加したりしている程。

 結果的にこのアルバムは大瀧詠一にとって初めてのオリコン№1アルバムになり(あれ程売れた『A LONG~』は2位止まりだった)、その後大瀧はプロデュ―サー&作曲家として音楽業界で活躍する事になるのだが、自身のオリジナルアルバムは一向に発売される気配はなく(90年頃までは今年こそは出すと雑誌やラジオ番組で宣言していたけど…)、結果的には大瀧の最後のアルバムになってしまった。

 それだけ精魂傾けたアルバムという事になるのだが、それを表面上リスナーには感じさせない所がまた大瀧らしいと言えるだろうか。