第二次世界大戦時。考古学の権威ブレッソン教授は日記とブローチを娘夫婦に託し、自らはナチス兵の凶弾に斃れる。しかし逃亡した娘夫婦も交通事故死し生き残ったのは孫娘だけであった。それから十数年後。とある博物館で件の「ブレッソン・ダイアリー」が一般公開される予定だったが、その直後ルパン三世(声・栗田貫一)から盗みの予告状が。ブレッソン・ダイアリーは安全の場所に隠される事になるが、ダイアリーを運んだ警備員がルパンの変装だと見抜かれ…。

 

 1978年以降アニメ『ルパン三世』の映画版はスピンオフ作品も入れれば計10作製作されているのだが、最新作の本作から最新鋭のフル3DCDアニメーションとして製作される事が決定。『THE FIIRST』という題名もその意味を含んでの事だと思う。しかし原作者のモンキー・パンチが本作の公開前に亡くなってしまい、結果的にはモンキー・パンチ追悼作品という事になってしまった…。名考古学教授が遺した日記に認められたお宝の在り処を巡ってルパン一味と美女が争奪戦を繰り広げる。『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズでお馴染みの山崎貴が監督を務めゲスト声優には広瀬すず、吉田鋼太郎、藤原竜也など。東宝系で公開された。

 

 ルパンの変装を見破ったのは別の警備員レティシア(声・広瀬すず)だったが、彼女もまた育ての親ランベール教授(声・吉田鋼太郎)の命令でダイアリーを盗みだすのが目的だった。ダイアリーはルパン、レティシア、峰不二子の争奪戦となりレティシアが失敗した場合を考えてランベール教授が依頼していた不二子の手に落ちルパンは銭形警部に逮捕される。が、ルパンは次元大介と石川五右衛門の手を借りすぐさま銭形の下から脱走。ルパンはレティシアの家を訪れレティシアが祖父と同じく考古学志望の学生である事、ルパンの所持している祖父の忘れ形見のブローチが、レティシアの所持していたブローチと同種である事を知る…。

 

 謎の財宝をゲットすべくルパン一派とレティシア、レティシアを操る考古学教授と彼を支配に置くナチス党復活を目指す悪党ゲラルドが暗躍する。時代設定は60年代で第一次世界大戦時に活躍したレトロな戦闘機などが登場。CGアニメという事でもっと違和感を覚えるかな…と思ったが見慣れてくるとそんなに気にならなかった。本作でのルパン三世は悲運な星に生まれた美女を助けながら、謎のお宝を手中に収め、それで世界を支配しようとする悪党の野望を阻止するという善玉的ヒーローなのだ。となるとどうしても『カリオストロの城』(79)のオマージュ的な物を感じ得ずにはいられないのだが、そこまでシリアスモードではないので一安心。

 

作品評価★★★

(世界市場を意識しての製作でマニアックなテイストは望むべくもないけど、プチハリウッドスタイルな作劇は程よい面白さがあって一応退屈はさせない。銭形が巨悪を憎む気持ちからルパンと一時的に組むなんてあんまり歓迎できないんだが、劇場版ならではの趣向でしょうか)

 

映画四方山話その658~まだまだエロに寛容だった60年代の日本映画の風景

 漫画版ルパン三世の連載が始まったのは1967年。『週刊漫画アクション』創刊号から連載開始、69年で一旦終了している。まだ俺はガキンチョだったのでリアルタイムで読んだ事はないのだが、当時の漫画界は貸本漫画から派生した「劇画」というジャンルが席巻、それは少年漫画誌までも及んでいる。従来の漫画になかった暴力描写、エロチック描写を多く取り入れた劇画が市民権を得つつあった時期は丁度ルパン三世の連載時期と重なり、更に日本映画界に「暴力とエロ」が大々的にフィーチャーされていった時期とも合致すると言える。

 東映映画は鮮血迸る任侠映画が全盛期を迎えると共に石井輝男作品に象徴される猟奇路線が任侠映画のB面的な人気を博す。大映は渡世人を描いたシリーズ物『座頭市』に加え、女優陣によるエロチィックな描写も特色だった『眠狂四郎』シリーズが目玉番組となり、その一方でB級女優を起用した女子高生の生態物みたいな作品を連発、文芸路線だった松竹やスター俳優主導のアクション映画を多く撮ってきた日活作品にもエロチシズム描写が垣間見られる様になり、健全な作品ばかり撮ってきた東宝でさえも専属女優の浜美枝のヌードを売り物にした『砂の香り』(69)、若大将シリーズで売り出した青春スター、加山雄三がラストで虫けらの様に殺される、正に劇画世界その物な『弾痕』(69)なんて作品も登場してくる。

 そしてもう一つ忘れてならないのがピンク映画の定着。地方の二番館などは一般映画のスケジュールの谷間やナイトショーとしてピンク映画を上映するのが当たり前になり、東映もそれに煽られる様に負けじとエロ路線に拍車をかけてゆく。

 小学生だった俺は町の至る所で上映予告の刺激的なポスターを目にする事になる。今の感覚からしたら信じられない話だろうが通学路にある駄菓子屋のガラス戸にはピンク映画のポスターが常に掲げられており、放課後俺は悪友と共に何の恥じらいもなく繁々と眺めていた。大人だったら周囲の目が気になって絶対できない事だろうけど…。まだ俺たちにとっては「エロ」はそれこそドリフのウンコネタギャグレベルの「笑い」の対象であり切実な物ではなかったのだ。裸の女優のスチール写真に添えられた『朝まで抱いて』とか『松葉くずし』というタイトルも、いやらしさみたいな物は何となく伝わってきても、まだ具体的に何を意味するのかは皆目分からなかった。

 

 そんな意味不明なタイトルの中でも極め付きだったのが『痴漢の限界』というタイトルで「痴漢」が意味する物は大体は分かっていたとは思うがその限界って何よ?てな感じで皆目想像できなかった。後に『痴漢の限界』はあの山本晋也カントクの記念すべき「痴漢映画」の処女作だったと知ったが…。

 対照的に東映エロ映画の方は、子供心にもあんまり触れてはいけないみたいな禁断のイメージが強く、悪友と繁々とポスターを眺めた事はなかった。『女子大生・妊娠中絶』『徳川いれずみ師 責め地獄』『温泉ポン引き女中』…(これ全て石井作品でお馴染みの橘ますみたんの主演作品だが・笑)。子供には意味不明でも途轍もなく刺激的に思えるタイトルは、或る意味ピンク映画よりも分かり易いエロだった…と言えようか。

 やがて70年代に入るとTVでも当たり前に女優のヌードが拝める時代になり、年相応に「性のめざめ」を迎えた俺には歓迎すべき事だったと思うが、それと引き換えにピンク映画を上映していた田舎の映画館は姿を消していき、それと共に街からのどかな風景が消えていった様に感じるのは俺だけだろうか。