最新号『週刊プロレス』の回顧コラムに興味深い話が載っていた。『UWFインター』の外人レスラーブッキングを務めていた筆者(立ち読みしただけなので誰だか確認できていないが多分流智美)が必殺の「ジャーマン・スープレックス」を武器に『UWFインター』のリングで猛威を奮っていたゲーリー・オブライトの対戦相手として、WWF(現・WWE)で活躍した「ミスター・ワンダフル」ことポール・オンドーフにオファーを出して承諾を得たのだが、数日後オーンドーフ本人から「スープレックスを禁じ手にして欲しい」と国際電話がかってきた。

 いくら何でもオブライトの持ち技を禁止するのは出来ない相談で結局ポール・オンドーフのUWFインター登場は幻に終わったのだが、どうやらポール・オンドーフはスープレックス恐怖症に罹っているみたいだった…との事。

 直ぐ連想されるのが83年2月。ヨーロッパ遠征から帰国した前田日明の凱旋試合の相手に当時新日本プロレスのエース外人の一人だったポール・オンドーフが当てられ、前田のヨーロッパ仕込みのスープレックスに呆気なく敗戦を喫した。当然これは新日フロントの要請で「噛ませ犬」の役割をした訳だが、多分試合のリアリティを出す為前田がスープレックスの使い手なのはポール・オンドーフには伏せられていた…と推測される。予想もつかないデンジャラスな技にポール・オンドーフは見せ場らしい見せ場も与えられなかった。

 多分高額なギャラを提示されたとは思うが、こういう噛ませ犬仕事は長い目で見れば自分の価値を落とす事になる訳で、実際以降ポール・オンドーフは新日の外人エースの座から滑り落ちた。バンバン・ビガロもそうだが何故彼らはこういう損な役目を受け入れるのか? それは一介のプロレスファンでしかなく、プロレス界のインサイダーではない俺には分かりかねるのだが…。

 尤も新日のリングでランクが下がった為にポール・オンドーフは本国のリングに専念する事になり、マッチョボディを自慢する自己陶酔系のヒールとして全米制覇に乗り出したWWFの先兵として大ブレイクするのだから、試合内容はともかく前田に敗れ去った事には特に拘りはないのかもしれない。

 と、これだけならストロングスタイルを貫く日本のリングでスープレックスにビビったヘタレレスラーという事になるのだが、米国リングでのマネージャー経験が長く新日でメインレフェリーも務めたタイガー服部の著書『新日本プロレスの名レフェリーが明かす 古今東西プロレスラー伝説』にこんなエピソードが出てくる。引退後90年代にWWFと興行戦争を続けていた『WCW』のフロント入りをしていたポール・オンドーフ。試合会場で日本のみならず「扱いにくいレスラー」だったビッグ・バン・ベイダーがフロントと揉めていた所に、サンダル履きの軽装でやって来たポール・オンドーフが話を聞こうとベイダーと二人で控室に入っていった。十分後ぐらい経ってまずポール・オンドーフが涼しい顔で控室から一人で出てきて、関係者が控室を覗いたらベイダーが床に倒れていたという。

 引退した身の上で現役真っ只中のベイダーを倒すぐらいだから、ポール・オンドーフはガチ喧嘩には相当強かった…と言える。ネットで見るとこんなエピソードは素人でも知ってる有名な話で「秘話」でも何でもないそうだが、俺はタイガー服部の本を読むまで全く知らなかったよ。

 あくまでも推論だが、こんなに喧嘩が強いポール・オンドーフだったら、喧嘩自慢の前田とでもセメントマッチとかだったら互角に戦えたはず…と思ってしまうのだが。ポール・オンドーフのみならず、今まで来日した外人の中にはリング上での活躍はイマイチだったのにリングを降りたらやたら喧嘩が強かった…と言われている猛者が何人かいて、格付けなど無視してセメントで彼らをリングで戦わせたらもっと面白かったのに…と妄想してしまうのは、90年代ではなく昭和プロレスにもどっぷり浸かった俺ならではの妄想なのかしらん。