東京で無為な暮らしをしている賢司(柄本佑)に父(柄本明)からの電話が。従姉妹の直子(瀧内公美)の結婚が決まり、直子から結婚式の日にちを伝えてくれと頼まれたという。失業中という気楽さもあり賢司は郷里の秋田に帰る事に。賢司の実家は母親が死にその後父が再婚した為今は空家になっていた。賢司が実家でゴロゴロしていると直子が現れた。挙式まであと10日。直子に新居で使うTVを運んでくれないかと言われ賢司は車に直子を乗せ彼女の実家へ…。

 

 ベテランの脚本家として硬派な発言も多い荒井晴彦だが、脚本仕事の傍ら監督業も手掛けている。本作は彼の三本目となる監督作品で当然脚本も本人が担当。同名小説を原作にして既に中年に差し掛かったいとこ同士の男女の性愛を描いている。秋田で僅か10日間という短期ロケを敢行。出演は主役の男女を演じる柄本明(声だけで出演)の息子・柄本佑、『日本で一番悪い奴ら』(16)でヒロイン役を演じていた瀧内公美の二人のみ。結果2019年キネマ旬報日本映画ベスト・テンにベストワンと同時に、荒井が発行人を務める『映画芸術』誌でもベストワン作品に輝くという前代未聞の高評価を得る事に。今はそういう時代だって事かしら。

 

 実家で直子は賢司に写真アルバムを見せる。それは二人が若い頃撮ったSEX写真だった。二人は田舎にいた頃からお互い好き合っていた関係で、上京した賢司を追って直子も東京へ行き保育専門学校に通いながら始終会っては体を求め合っていたのだ。500万円で買った夫婦で住む新居にTVを運び終わった賢司が帰ろうとするのを直子が呼び止める。「あの頃の二人に戻ってみない?」 自ら誘う直子に賢司も応え新居で求め合う二人。自衛隊に勤めている婚約者が出張から戻ってくるのは来週の金曜日。それまでの間二人は昔に戻りかりそめの同居生活を送る。直子が結婚を決断した理由は子供が欲しくなったからというが…。

 

 熱烈に相手を愛しながら別れる事になってしまった男女がその苦い過去を取り戻さんとばかりに求め合う。男は女が結婚を本心から望んでない物と考え、女は自分を捨てて他の女と結婚した(その後離婚したが)男を恨む気持ちもある。そんな男女心理が近頃の日本映画では異例とも言えるSEX描写を中心に語られていく。限定された日数だから余計燃え上がってしまう関係ではあるが、その終わりが予め定められている事が何ともやるせない。しかし婚約者のPCを女が覗いてとある極秘事項を知った事で二人の関係は継続していくというか、もう好きに生きていくしかない気持ちに駆られるのだ。かつてのロマンポルノを彷彿させる傑作。

 

作品評価★★★★

(近頃の日本映画にはびこる純愛ブームとは真逆な、SEX抜きでは語れない男女の関係性がこんな時代だからか却って新鮮に感じる。富士山の火口写真を女性器に見立てた発想は荒井御大ならではですね。柄本はともかく瀧口の今後の女優活動が気になりますが)

 

映画四方山話その632~映画評論家寺脇研

 今回の作品には「企画」担当で寺脇研が参加している。「映画評論家」としてキネマ旬報や映画芸術などに寄稿する、プログラムピクチャー中心の批評をモット―とする気鋭の評論家…昔から彼の文章に馴染んできた俺のイメージはそんな所だったが、本職はバリバリの東大卒の文部省キャリア官僚だと知ったのは随分後の事だった。「ゆとり教育」の推進者として度々TVに登場、文部省を退職した後もコメンテーターとしてワイドショー番組に顔を出す事も多い。そんなどエリートの彼がロマンポルノやピンク映画を推奨する映画評論家というもう一つを持つ事は、特に映画好きでもない視聴者にはあまり知られていないのではないか。

 

 俺の所蔵映画本の中に寺脇研の執筆した『映画を見つめて』(89年 弘文出版)という本がある。寺脇が88年に観た日本映画の全批評が載っている。原稿の元ネタは月刊の形で個人的に寺脇が発行していたミニコミ誌『B級映画評論家通信』に書いた物で、俺も何度か『文芸坐』の書店コーナーで『B級~』を買い求めた事もあった。

 プロの映画評論家が手弁当で自らミニコミを発行し、当時は知らなかったけど文部省の役人という本業を持ちながら暇な時間は全て映画に費やす情熱ぶりには素直に敬服していた。取り上げられている作品(全てが日本映画)170本という本数は、映画評論家なら当たり前の数かもしれないが全て劇場、或いは市井の上映会場で観ていると考えたらバカにはできない。

 中には当時はまだ活発だった8ミリ映画上映会で観た作品もある。多分『ぴあ』の自主上映コーナーでピックアップした作品だとは思うけど、普通は内輪しか来場しない上映会に見知らぬ中年男が現れたりすると好奇の目でジロジロ見られそうな物だが…。東大出のインテリが書く映画批評となるとさぞかし小難しいかと想像されるかもしれないが、素朴な視点で書かれた文章は実に分かり易く明解。そして官僚に付き物の忖度は一切無し(笑)。つまらないと思った物は話題作だろうと名だたる巨匠が撮った作品だろうと容赦なく酷評し、傑作と思った作品(「青春映画」というジャンルに拘りが強いみたいだが)は文章バランスを無視して長文で応える。そういう所も分かり易いと言うか人間臭いというか。今でもたまにこの本を読み返してああ、88年にはこういう作品もあったなと懐かしさに浸ったりする。まあ「名著」とまでは言えないが愛すべき映画本ではある。

 

 これもかなり昔の話だが、某映画ミニコミ誌の記事にとある映画祭で荒井晴彦初監督作品『身も心も』(97年。製作には最近何かと話題の「東北新社」が参加している)が上映された際、ゲストとして来場していた寺脇研が「この作品は成人指定どころか文部省選定作品に指定すべき」と発言したと書かれてあった。当時文部省にまだ籍があった人だし所謂「迷言」の類なのだろうが、記事の書き方が「所詮小童役人の癖に…」という侮蔑感丸出しで読んでいてあまり気持ちのいい物ではなかった。こういうステロタイプな左翼主義的志向は今は勿論、当時も時代錯誤甚だしい物だった…と左翼寄りな俺?でも思った。映画が自由の産物であるべきなのと同時に、小童役人でも誰でも映画を語る自由は保障されるべきである。・

 文部省を退任して以降の寺脇研は評論活動のみならず、今回みたいに積極的に映画製作に関わったりする事も多い様だ。ちなみにこのブログの星評価方式も、前述した寺脇研の個人ミニコミ誌の採点法を頂いた物である。寺脇研みたいに日本映画オンリーでなく外国映画も混ざっているけど。