ロサンゼルスの保険会社外交員ウォルター(フレッド・マクマレイ)は顧客の実業家ディートリクスン宅を訪れた際、ディートリクスンの後妻フィリス(バーバラ・スタンウィック)の美しさに魅了される。直ぐさまそれを察知したフィリスは自分からウォルターを誘惑、二人はあっという間に不倫関係に陥った。フィリスは夫との不仲を盛んに語り巧みにウォルターを保険金殺人の相方に仕立てようとする。最初は拒絶していたウォルターだが彼女の誘いに断りきれなくなり…。

 

 四回も映画化された小説『郵便配達は二度ベルを鳴らす』の作者であり、シナリオライターとしても活躍したジェームズ・M・ケインの小説『倍額保険』の映画化。戦後はコメディ作品の監督として良く知られる様になるビリー・ワイルダーが監督を務め、脚本をワイルダーと共に名私立探偵フィリップ・マーローの生みの親として知られるハードボイルド小説の大家レイモンド・チャンドラーが執筆しているのに注目。通常の倍額もらえるという電車からの転落事故を装った保険金殺人を目論む男と女の顛末は…。アカデミー賞作品賞、監督賞、主演女優賞など七部門に輝いたビリー・ワイルダー戦前の代表作の一つ。日本では戦後の53年に公開されている。

 

 嘘を言ってディートリクスンを倍額契約の保険に契約させたウォルター。フィリスは夫に列車を使って同窓会に出席する様に勧める。負傷し松葉杖を突いた夫を車に乗せたフイリス。人気のない所まで車を走らせ予め後部座席に潜んでいたウォルターが後ろから力いっぱい絞めて首の骨を折り、ディートリクスンに扮したウォルターが列車に乗り込み隙を見て走行中の列車から飛び降り、列車が走り去ったレールに死体を置いた。事故死と処理され完全犯罪は成功したかに見えたが、ウォルターの仕事上の相棒で最初事故死を主張していた調査員キーズ(エドワード・G・ロビンソン)が前言を翻し他殺を主張、ウォルターを窮地へ追い込んでいく…。

 

 実際に起きた保険金殺人事件が本作のモデルになっているとか。完全犯罪に思えた計画が呆気なく綻んでいき焦るウォルターの疑念は相方であるバーバラへと向けられる。単に自分は利用されただけではないのか…。愛欲含みのヒロインとの関係と共に描かれるのはウォルターと、ヒロインとは不仲な、純粋無垢な義理の娘との心の触れ合い、そして長年仕事を共にしてきたキーズの明確な推理力への怯えと、彼を裏切った形になってしまった事への懺悔的な気持ち(それが唐突なファーストシーンで描かれている)。その三つの思いが絡み合って結末へ。破滅を迎えつつダンデイズム失わぬウォルターが何ともやるせない。評価通りの傑作。

 

作品評価★★★★

(強面ながら頭脳明晰にトリック見破るキーズに扮したエドワード・G・ロビンソンの演技も素晴らしい。調べてみるとやはりギャング役を得意とする悪役系の人。フレッド・マクマレイは『アパートの鍵貸します』ではシャーリー・マクレーンと不倫するジャック・レモンの上司役)

 

映画四方山話その630~悪女なしに犯罪映画は成立しない

『深夜の告白』が成功作になった最大の理由は、ヒロインが結末寸前まで悪女キャラを貫き通した事にある…と俺は考える。ヒロインは主人公が疑った通り殺人計画の相方が欲しくて誘惑したのだった。それが露見した結果主人公の怒りは当然MAXとなるのだが、主人公を始末するつもりだったヒロインも最後は非情になれなかった。90%は偽りでも残りの10%ぐらいは主人公を本気で愛していたのだ。それまでの悪女キャラが強烈だったからこそ、この未練めいたシーンが引き立つのだ。

 犯罪映画にはやはりこの手の「飛びっきり美しいけど心は冷血な美女」の存在が必須だと俺は思う。レイモンド・チャンドラー絡みで言えば76年に映画化された『さらば愛しき女よ』(75)のシャーロット・ランブリングもそんな感じの冷血悪女で、確かロバート・ミッチャム扮するフィリップ・マーローに射殺されていたっけ…。

  そんな風に考えていくと日本の犯罪映画のヒロインの悪女描写は半端なく温いと言うしかない。演じる人気女優への忖度というか、或いはそれ相応にヒロインを同情的に描かないと観客に受け入れ難いはずという映画業界の思い込み、または出演オファーを受ける女優側の好感度イメージを損ないたくない…みたいな思惑もあったりするのだろう。

『犬神家の一族』(76)の高峰三枝子に対する「甘さ」なんて論外だと思うのだが。莫大な遺産に目が眩んで父の愛人を甚振り、自分の息子に遺産を継がせる為に平気で甥を手にかけるなんて鬼畜同然の悪女と言うしかないのに、我らが金田一耕助探偵は犯人は貴方だと指摘しつつも特別その事で彼女を責める事もなく、あろう事か毒を飲んだ高峰に息子が財産の跡継ぎに決まった事を告げて幸せに死なせてあげようとする程の忖度ぶり。

『天国の駅 HEAVEN STASION』(84)は吉永小百合が日本で初めての女性死刑囚を演じた意欲作だったはずだが、犯行は二の次にヒロインの悲哀人生ばかりに焦点を当てたメロドラマに毛が生えた程度の作品で、今殆ど内容を覚えていないのもその為だと思う。小百合自身女優業の域を広げたくてこの難役に挑戦したんだろうけど、そんな中途半端な女優修業の経過を見せられる観客の立場も考えてくれよと突っ込みたくなったよ。

 

 そんな悪女を演じきれない女優ばかりが跋扈する日本映画だが、それでも印象に残った悪女を挙げてみると、美貌を餌に男から男と渡り歩く欲の虜みたいな悪女を演じた『けものみち』(65)の池内淳子。彼女が映画からTVドラマへとフィールドを移し人気者になっていく過渡期に出演した作品で、多分人気者になってからでは出演のオファーは受けなかったと思う。

 時代劇『五辯の椿』(64)の岩下志麻は正確には悪女とは言えないかもしれないが、自分を愛してくれた義父を蔑ろにした生母とその間男たちに残忍な復讐を重ねるヒロイン役は、いかに芯が強そうな岩下にピッタリだった。『必殺仕掛人・春雪仕掛針』(74)の女盗賊の首領なども彼女にならではの汚れ役だと思う。その鼻っ柱の強いキャラクターが後に『極道の妻たち』シリーズの連続主演に繋がっていくのだが。

 後は増村保造作品や川島雄三の『しとやかな獣たち』(62)で一種クールな悪女を演じきった若尾文子が印象に残るぐらいか。映画に限定しなければ俺が観た中で日本で一番の悪女演技は、TVドラマ『木枯し紋次郎』に出演した時の大原麗子となるのだが。