俺らの世代の洋楽の入口になったのはロックの『ビートルズ』、王道ポップスの『カーペンターズ』、そしてフォ―クスタイルの『サイモン&ガーファンクル』だった。サイモン&ガーファンクルについては映画雑誌『ロードショー』世代ともリンクしていると思う。彼らの楽曲が使用された映画『卒業』(67)はアメリカン・ニューシネマの枠を越えた、青春映画のバイブルとでも言える作品だったから。

 小学校時代からの親友だったポール・サイモンとアート・ガーファンクルが初めてコンビを組んだのは1957年というから、ブレイクするまではそれなりの紆余曲折があった。本国でブレイク後は日本でも60年代後半から次々にヒットを飛ばし、その曲数では70年に解散に至ったビートルズにも負けない程の人気があった訳だ。何処かセンチメンタルな所がある彼らの曲調が日本人の琴線に触れやすかった…という事もあるのかもしれない。

 さっき聴いた『明日に架ける橋』は彼らの六枚目にして事実上最後のアルバムである。この頃アート・ガーファンクルは『卒業』の監督、マイク・ニコルズの作品にまた出演しており、撮影の為レコーディングスタジオに不在な時も多かった様だ。それが原因で長年コンビを組んできた二人の仲がしっくりいかなくなっていったという…。

 

 アナログA面が表題曲の『明日に架ける橋』。これまで殆どコーラス担当だったガーファンクルがリード・ヴォーカルを取っている。ソフト・ロックグループ『ブレッド』のメンバーとしても知られるラリー・ネクテルのピアノをバックにしたガールファンクの独唱が前半、後半はそこにサイモンのコーラスが加わりストリングスを導入しフォーク&ロックというジャンルを越えた壮大な大作仕様へと変化。友情、敬愛の尊さをテーマにした歌詞を含め今聴くとゴズペルミュージックの影響の強さが明白だが(ゴスペル出身のソウルシンガー、アレサ・フランクリンがカバーしている)、初めて聴いた時からごく単純に「名曲」だと思った。そんな有無を言わさぬ感動がこの曲にある。

 2曲目『コンドルは飛んで行く』はアンデス地方に伝わるフォルクローレの代表曲にサイモンが英詞を付けて唄っている。フランスで活躍していたフォルクローレのグループ『ロス・インカス』の演奏をカラオケに使い、それにサイモンのヴォーカルを乗せた様だ。歌詞を調べてみると大地と生死を共にしてきた人々の心意気を唄っており一種の自然讃歌ぽくもある。ポール・サイモンはソロになってからもレゲエやアフリカ音楽を取り入れたアレンジ曲を発表した事でも分かる様にグローバルな音楽観を持つ人。この曲はそんな彼の音楽観の雛形と言える曲ではないかと。日本ではシングルカットされて大ヒットしたお馴染みの曲である。

 3曲目『いとしのセシリア』は別の男に走ってしまった恋人に僕の愛の方が本当なのに…とプチ嘆いている詞。結局彼女は戻ってきたとも取れるけど、何か強がりの希望的観測でそう言ってる気もするなあ。パーカッションを生かした独特のアレンジが何度聴いても斬新で、米国ではシングルカットされて全米4位まで上昇。

 4曲目『キープ・ザ・カスタマー・サティスファイド』は典型的なフォ―ク・ロックスタイルの楽曲。アップテンポのリズムでブラスセクションも導入されノリの良さは抜群、この曲では屈託なく軽快に唄う二人の歌唱もいい。

 5曲目『フランク・ロイド・ライトに捧げる歌』はガールファンクルの知人について唄った歌なのかしらん。リード・ヴォーカルもガールファンクルだ。ボサノバタッチのアレンジは洗練感強く大人のリスナー向けって感じがする。ガールファンクルに依頼されて詞を作ったサイモンの意図は、ガールファンクルとのコンビ解消を暗喩した物だと言われているらしいが、そんな哀しげな曲。これでA面は終了。

 

 アナログB面1曲目『ボクサー』は全米7位まで上昇した曲。田舎からNYに出てボクサーになった少年の独白的な歌詞はまるで一編の短編小説みたいだし、サビの部分の「ライレライ、ライレライライ、ライレライ~」というコーラス部分も忘れ難い。繊細な音作りには100時間近く要したそうでその成果は上々。表題曲にも負けない名曲でサイモン&ガーファンクルの最高傑作の一つではないか? ライレライ、ライレライライ、ライレライ…。あのボブ・ディランがカバーした事も有名。

 2曲目『ベイビー・ドライバー』は懐かしさを感じるポップ・チューンでタイトルに合わせ車の排気音やレースの実況音などがSEで挿入、間奏のサックスソロも印象的。浮き浮き気分で聴き手もドライブモードに?

 3曲目『ニューヨークの少年』は映画の撮影で不在のガーファンクルに向けてサイモンが作った曲とされている、そういう事を念頭に入れると一層心に染みてくる曲だ、この曲のガーファンクルのコーラスな後からの被せで、そういう状況でレコーディングされたこの曲をサイモンがどういう気持ちで唄ったのだろうか…と考えてしまうね。

  4曲目『手紙がほしい』はバックのドブロぽいギターの響きが印象的。二人のコーラスワーク、ブラスセクションの導入とサウンドアレンジの妙、ユーモラスさを感じさせるサイモンのヴォーカルが良い。

 5曲目『バイ・バイ・ラブ』はライブヴァージョンで二人の憧れのスターだった『エヴァリー・ブラザーズ』のヒット曲をカバーしている。温故知新というか、二人の音楽的ルーツを想起させる一曲ではある。

 最後の曲『ソング・フォー・ジ・アスキング』は二分弱の短い曲。サイモンのソロ曲と言ってもいい独唱で愛する人への想いを綴っており、ソロになってからのサイモンの曲にも似た感じのメロディーの曲があったな…と思ったりする。愛に飢えていた当時の彼の心境を伺わせる曲だ。

 

 前述した様にガールファンクル不在が続く状態のレコーディングは否応無しに二人の仲をギクシャクさせていった訳で、今聴き直すとそういう不在感というか欠落感というか、そういう物がこのアルバムに一抹の陰を落としている感はある。まあそういう事を省いても繊細さに拘った音作りは仲間内で作り上げてしまうウエスト・コースト系シンガー・ソングライターのアルバムなどとははっきり一線を画した物で、都会派フォ―ク・ロック?の名盤という評価は発売から半世紀経った今も揺るがないとは思う。

 このアルバムを発表した時点でサイモン&ガーファンクルの解散は避けられない物となった。ポール・サイモンは解散後直ぐにソロとして成功、アート・ガーファンクルもサイモンに遅れてソロ活動へと移るが、個人的にはソロシンガーとなった彼の音楽は興味外の物になってしまった。ただ彼が主演した映画『ジェラシー』(80)は傑作だったな。

 以降パーマンネントグループとしての活動はないにしろ二人は度々サイモン&ガーファンクルとしてライブのステージには立っている。そんな感じで程良い距離感を保つ事が彼らにとってはベターなのかも。