舞台は1880年代のアリゾナ。ここは元アパッチの居住区だったが白人に土地を奪われた。ジョン(ポール・ニューマン)は白人だがアパッチに育てられ、その後ラッセルの養子に。ラッセル氏が亡くなり遺産を継いだジョンはラッセル氏が経営していた下宿屋を売り払い、コンテンションという所へ行って新しい生活を始めようと考えた。しかしそこへ行く駅馬車がなかなか見つからない。漸く見つかった馬車では下宿屋の管理人だったジェシー(ダイアン・シレント)、紳士然としたフェーバー(フレデリック・マーチ)とその妻などと同乗する事に…。

 

 近年になって突然ポール・ニューマンが好ましく思える様になった。確かに『明日を向かって撃て!』(69)以降ポール・ニューマンの作品は何本も観たが駄作の類の作品は思い浮かばない(強いて言えばトム・クルーズと共演した『ハスラー2』かな?) 。本作はヒッチコックの『引き裂かれたカーテン』の次にポール・ニューマンが出演した作品で、なかなかの傑作だった『ハッド』(64)のマーティン・リット監督と再び組んで製作した西部劇。ポール・ニューマンがアパッチの中で育てられたガンマンに扮する。『ジキル博士とハイド氏』(32)と『我らの生涯の最良の年』(46)で二度アカデミー賞主演男優賞に輝いた名優フレドリック・マーチ、『007』時代のショーン・コネリーの妻だった(73年に離婚)経歴の持ち主ダイアン・シレント、マーティン・バルサムらの共演。

 

 馬車が出る間際にグライムスという男が強引に駅馬車に乗り込む。駅馬車は強盗団の襲撃の危険性を避ける為に山越えをしようとするが、そこに四人のガンマンが現れる。一人は下宿屋に居た元保安官のブレイトン、そしていわくありげだったグライムスが彼らに合流する。彼もブレイトンの一味だったのだ。強盗団の目的はフェーバーが持っている大金。フェーバーはインディアンに回す食料に充てる金を横領して高飛びしようとしていたのだ。強盗団はフェーバーのまだ若い妻オードラ―を人質にして金と交換を要求。ジョンは隙を見て銃を撃ち一味の内の二人を殺し金は取り戻したが、オードラ―の奪還は失敗。しかし欲深なフェーバーは金を一人で持ち逃げしようとした為、ジョンは彼を追放し他の乗客たちと山小屋に籠城し強盗団の出方を待つ…。

 

 白人でありながら白人であらず的な扱いを受ける主人公。そんな彼をフェーバーは毛嫌いし主人公を乗客席から御者の隣へと追いやってしまう…という具合に、白人による人種差別が本作のテーマになっている。これはリベラリストであったポール・ニューマンの意向を反映した部分も強かったのではないか。そんな風に差別される側だった主人公が結果的には乗客を強盗団から守る役割を担う事になる。最初は仲間の金をくすねた奴とその妻を何で助けなければいけないんだと冷淡だった主人公だが、鉄火場的なヒロイン、ジェシ―の命の危険に晒されている人間が目の前にいたら例えそれががどんな奴でも助けるべき…と説得されて重い腰を上げてイチかバチかの勝負に出る筋書き。純然たる西部劇だがヒューマニズム的な味わいもあります。

 

作品評価★★★

(アメリカン・ニューシネマが登場してくる67年という年を象徴する様な作品で、ポール・ニューマンもその流れの当事者になっていったのだから、本作はその予告編的な役柄と捉えてもいいだろう。酒場で同胞のアパッチを小馬鹿にした奴を早撃ちで退散させるポール・ニューマンは普通にカッコ良かった。差別は止めよう!)

 

映画四方山話その609~新型コロナウイルス禍は映画化されるのか?

 未だにテレビのワイドショーは新型コロナウイルスの話題一本鎗で、まあ緊急事態宣言継続中の大都市中心にメディアは回っているのだから致し方ないとは思うけど…。でも去年あった「公開延期」の連鎖みたいな物もなくなっているみたいだし、映画業界に関しては峠を越したと考えていいのかな?

 そこでふと思ったのが、今回の一連の新型コロナウイルス禍の現状は映画の内容に反映される事はあるのかという素朴な疑問。俺の把握している範疇で「新型コロナウイルス禍の日本」を舞台にした作品は皆無。スクリーンのこっち側では誰もがマスク着用を義務づけられているのに、スクリーンの向こうではそんなの知っちゃいないよとノーマスクの男女が相変わらずの晴れた惚れたを繰り返し…って、何となくしっくりいかない気がするのは俺だけだろうか。

 映画の製作期間と公開までにはタイムラグがあり撮影中はまだマスク着用が義務づけられてなかった…という事も無きにしも非ずだろうが、このまま延々と新型コロナウイルス禍が継続していくとそれが当たり前の日常風景になっていく訳で(もうなってる?)、だとすると現代設定の作品で登場人物がノーマスクでいるだけで不自然に感じてしまうのでは?

 確かに制作側の、イケメン俳優や美女女優の出演者にマスクを着けさせては意味がないという事情も分かる。でもこの未曾有の事態を完全スルーしてしまい浮世離れした純愛物やアニメ映画ばかりに日本映画界が流れるとしたら実に情けない話だと思うのだが。多分ドキュメンタリーでは新型コロナウイルス禍の影響を直に受けた人々の肉声に迫る作品は登場するだろう。でも劇映画では新型コロナウイルス禍というテーマはNG? 登場人物が全員マスク着用で登場する作品があれば、それだけで観てみたいと俺は思うけどね。