夏の昼下がり。和泉(井上三奈子)は一緒に住みながら特に会話もなく交通事故で亡くなった姉の事を考えて毎日を過ごしている。或る日和泉はホームレス同然の暮らしをしながら路上で似顔絵描きをしていた老人・福島と出会い姉の似顔絵を描いてくれと福島に頼み、福島は二つ返事で了承。小学生の孝史(小林亮太)は団地で母親の知枝と二人暮らし。知枝は自宅でテレクラのサクラで生計を立てており、孝史は友達もおらず孤独な日常を過していたが…。

 

 深田晃司監督の記念すべき初監督作品。深田監督は青山真治などが講師を務めていた『映画美学校』出身で在学中は監督作品を撮る事はなかった様だ。そんな彼が美学校卒業後とある作品の美術助手を務めたギャラをつぎ込んで製作したのが本作。今まで習作すらも撮っていなかったのに自主映画と言えどいきなり長編を撮るというのはかなりの度胸。この作品を『アップリンクファクトリー』番組担当者に気に入られた事でその後の映画監督の道が開けたと同時に、主演を務めた井上三奈子が平田オリザ主宰の劇団『青年団』に入団したのをきっかけに深田監督も青年団演出部に入団、演劇に関わりつつ自主映画を撮り続ける事に。

 

 和泉に頼まれた絵を描いている内に福島は和泉自身に制作意欲を刺激され、和泉をモデルに絵を描きたいと逆に頼む。路上に置かれた椅子に座りモデルを務める和泉。和泉の恋人は福島老人をうさん臭く思っている。和枝は孝史が大切にしていた熊のぬいぐるみを窓から放り捨て、そのぬいぐるみを福島が拾う。孝史は福島が背中に担いだ椅子にぬいぐるみを乗せて出掛けていく姿を目撃、数日後福島を尾けていきぬいぐるみを取り戻す。それがきっかけになり孝史と福島は親しくなり、福島は孝史を椅子に乗せ彼の似顔絵も描き始める。或る日和枝の内縁の夫・三津崎が戻ってくる。三津崎は和枝のテレクラ仕事を快く思っていない…。

 

  姉の死を引き摺っている女と、母親と内縁の夫の間になって居場所がない子供。両者が老人と親しくなり彼の所有する椅子に座ってモデルを務めるというシチュエーションで女と子供には接点はない。姉の生前の評判を偶然聞いてしまいショックを受ける女も、家にいるのに耐えられなくなってしまう少年も現代人ならではのストレスを感じており、そんなキャラクターに後年の深田作品の萌芽を感じるのにやぶさかではないし、孝史役の少年は素人離れした演技を見せており見どころがない訳ではないんだけれど、後の作品に比べるとまだ演出やテーマの掘り下げ方が未熟な部分否めず、深田監督自身もコメントしている様にまだ習作レベル。

 

 

作品評価★★

(既に深田監督の作品を多く観てしまっている立場としては困ってしまう箇所が多い。実際アップリンクファクトリーで上映しても観客動員はパッとしなかったらしいし。どんな映画だったと聞かれても一口で説明できない曖昧さが、本作の特徴を顕していあるのかもしれないけどね)

 

映画四方山話その608~長谷川伸とチャンバラトリオ

 中村錦之助主演の東映時代の三大股旅ものの傑作『瞼の母』(62)『関の彌太ッぺ』(63)『沓掛時次郎・遊侠一匹』(66)。東映が任侠映画に傾倒していく流れに逆らう様に製作されたこの三本は、何れも時代劇小説家&劇作家・長谷川伸の小説を原作とする物だった。

 長谷川伸は戦前から戦後に渡って数多くの時代劇小説を書き、股旅ものというジャンルを確立したのも彼だと言われており、当然ながら映画化作品も前述した三本以外にも『一本刀土俵入』『切られ与三郎』『中山七里』などかなりの数に上っており、市川雷蔵が主演した『中山七里』(62)も錦之助作品に劣らぬ傑作だった。長谷川伸が60年代まで製作された時代劇映画やドラマに与えた影響力は計り知れないであろう。

 もっとも俺は世代的な事もあって長谷川伸の小説など全く読んだ事はない。それでも『瞼の母』や『一本刀土俵入り』のストーリーは何となく知っていた。それは70年代初頭まではTVのお笑い番組で『瞼の母』や『一本刀土俵入』をコント仕立てにした物を結構観る機会が多かったからだろう。今の「お笑い」はすっかりあか抜けた物になってしまったが、70年代初頭はTVのコントでもそれなりのセットを使用しお金をかけて演じるというスタンスが根強く残っており、長谷川伸の股旅ものなどは格好の素材だったのだ。

 

 再見した『瞼の母』出演者のクレジットに「南方英二」の名があった。お笑いコントグループ『チャンバラトリオ』の「頭」という異名で知られていた人だ。本格的な殺陣と「ハリセン」に代表される体を張ったコントで活躍したチャンバラトリオは、元々は南方と同じく東映時代劇の斬られ役の大部屋俳優だった二人を加えて結成された。トリオなのに最盛期はメンバーが四人というのが珍しく、かつ似たような芸風の芸人が他に見当たらなかった事もあり、70年代前半は正月番組を始めとして多数のお笑い番組に出演し、地元の関西のみならず全国的な人気を博していた。

 ガキンチョだった俺も時代劇仕立てのコントやチャンバラトリオのコントを観る事で、自然と時代劇映画全盛時代のエキスを多少なりとも味わう事ができたのでは…と振り返って思う部分がある。チャンバラトリオは業界筋での人気も高かったらしく、北野武は敬意をこめて『ソナチネ』(93)で殺し屋役に南方英二を抜擢していた。

 最盛期だった四人で活動していたのは80年代前半までで、その四人は現在一人を除き故人になっている。チャンバラトリオ在籍中は「白豚」と呼ばれ脱退後は人気Vシネ『ミナミの帝王』のプロデューサーを務めたりしていた結城哲也が亡くなったのは今年の正月明けだったそうだ。知らなかった…。