1970年代京都から火が点いた関西のブルースバンドブーム。何しろ京都のレコード店売上げ洋楽部門で盲目のブルースシンガー、スリーピー・ジョン・エスティスのアルバムが№1になった事もあるというから凄い。そのスリーピー・ジョン・エスティスの最後の日本公演ツアーの前座とバッキングを務めたのが『憂歌団』だった。

 憂歌団は大阪の高校の同級生だった木村秀勝(ヴォーカル、ギター)と内田勘太郎(ギター)のアコースティックデュオとして出発したが、レコードデビューした際は花岡憲二(ベース)、島田和夫(ドラムス)を加えて四人組になっていた。ブルースバンド=ギターが前面に出てギンギンに弾きまくるスタイルのイメージが強かった中、憂歌団は木村の破天荒なヴォーカルと本物のボトルネックを使用した内田のギターを売りにライブを重ねブルースバンドとして異例とも言える幅広い人気を獲得。件のツアーが終わった後憂歌団3枚目のアルバムとして発売されたのがさっき聴いた、初のライブアルバム『生聞59分』だった。発売前年の東京と地元の京都で行われた数回のライブの音源から編集された物らしい。

 

 アナログA面1曲目『マディ・ジャンプス・ワン』はタイトルからも分かる様にマディ・ウォーターズ作のアップテンポなインストナンバー。アコースティックギターとは思えぬダイナミックな内田のソロが初っ端から堪能できる。花岡のウォーキングベースのソロも挟み快調に飛ばしていく憂歌団の面々。

 2曲目『イフ・アイ・ディドント・ラブ・ユー』から木村のヴォーカルが入ってくる。ダミ声ながらも何処か優しさを含んだヴォーカルは確かに関西人の気質ならではかもしれない。内田の巧みなギターソロと島田のブラシを使ったドラミングも印象的。

 3曲目『俺の村では俺も人気者』はセカンドアルバム『セカンド・ハンド』収録曲。内田のスライドギターからのイントロ。村で一番の人気者だが都会でいざ出てみると女にフラれてばかり…。榎本健一が唄う『洒落男』に通じる物があるなあと思ったのは俺だけか。

 4曲目『10$の恋』はセカンドアルバム収録曲。愛している女だがお前にとっちゃすべての男が親戚みたいな物、結局ちょっとの金を渡すだけ…と「玄人」の女に惚れてしまった男心を唄った物なんですね。確かに詞世界はブルースなのだ。

 5曲目『シカゴ・バウンド』はファーストアルバム収録曲。シカゴに来てもいい事ありゃあしねえ…といった、木村がマディ・ウォーターズみたいに一旗揚げようと田舎からシカゴにやってきた男に成り切って唄う。ドスの効いた木村のヴォーカルがイイ。

 6曲目『パチンコ~ラン・ラン・ブルース』はライブで大人気の曲。単にパチンコに行きたいとしか唄っていないのだが、木村に破天荒ヴォーカルの極みがこの曲だと言っていいだろう。観客の拍手が入り会場も大盛り上がりだ。

 そしてA面最後の曲『スティ・ウィズ・ユー・フォ―エヴァー』へと。英語の題名なので直ぐには分からないけど実は加山雄三の『君といつまでも』のカバーなのだ。全くブルース的イメージがない加山の曲が憂歌団によって切ないブルースソングに変じる妙。間奏部分で入る語りもちゃんとやっているのも凄いね。

 

 アナログB面1曲目『ローリン・アンド・タンブリン』はマディの有名曲のカバー。多分アマチュア時代に何度も練習した曲なのだろう。これはオリジナルに忠実なアレンジになっており、内田の本格的ブルースギターも聴きもの。

 2曲目『イン・ジ・イブニング』はリロイ・カーが唄ったシティブルース曲のカバー。これも前曲に続き本格的なブルースフィーリングが愉しめる。木村のヴォーカルも日本語詞のオリジナル曲とは違いシリアスモード。

 3曲目は彼らのデビューシングルとして発売されながら、レコ倫から職業差別とのクレームが付き放送禁止になったいわく付きの曲『おそうじオバチャン』。清掃業のおばちゃんの日常をユーモラスに唄った哀愁ソングという体だが、レコ倫にはそんなユーモアは通じず単なる「下品な歌」だと(涙)。さすがに特に演奏慣れしているみたいで快調に演奏。尚レコ倫の処置に怒った彼らはレコ倫へのアンサーソング『お政治オバチャン』も発表している。

 4曲目『ひとり暮らし』は女にフラれて一人ぼっちになった男心を唄った物で、同時期に活動していた上田正樹と有山淳司コンビのアルバム『ぼちぼちいこか』に通じる人懐っこいニュアンスで聴かせる。

 5曲目『嫌んなった』は初期の憂歌団の代表作。典型的ブルーススタイルの曲でありながら木村の醸し出す歌世界にはブルースを越えた歌謡曲にも近い普遍的なニュアンスがある。そんな彼らの真骨頂の一つがこの曲だろう。

 ここで盤上の設定では本編終了…という形で観客の手拍子が入りアンコール曲へ。木村と観客との掛け合いを経てローカルな歌謡曲のカバー『イコマ』を一節唄った後木村のメンバー紹介入りでエンディングテーマ曲『憂歌団のテーマ』。内田のジャズフィーリングをも取り入れたギターが冴え渡る。聴き馴染んでいたせいで気づかなかったけど、これはあの石原裕次郎の映画主題曲『嵐を呼ぶ男』の憂歌団ヴァージョンだったのだ。快調な演奏を披露して59分の盤上ライブは終了となる。

 

 本アルバムで憂歌団の音楽性はより明確になっていった…という印象がある。他のブルースバンドの多くが憧れのブルースミュージシャンのスタイルにより近づく事を指標としているのに対し、憂歌団は好きなブルースを血肉としながらも彼らならではのオリジナルな、ブルースファン以外にもアピールする楽曲を指標としていった…という事だろう。その柔軟な音楽性は内田がエレキギターも弾く様になった80年代以降により独自性を発揮する事になるのだが。

 その後憂歌団は98年に一度活動停止を発表するが、現在は木村允輝と改名した木村と内田、花岡に亡くなった島田に代わり『RCサクセション』の新井田耕造が参加して断続的な活動は続けているみたいだ。