『リトル・フィート』が日本の音楽シーンに登場したのは74年。それまで日本ではアルバムが未発売で四枚目の『アメイジング!』にて本邦初登場となった。でもリトル・フィートは実はその前年『はっぴいえんど』のロス録音のラストアルバム『HAPPY END』にセッションメンとして参加しており、その中の一曲『さよならアメリカ さよならニッポン』を受けてリーダーのローウェル・ジョージ(ヴォーカル&ギター)が「じゃあメキシコに行けばいいじゃん」とはっぴいえんどの面々に言った…との逸話もある。

 日本紹介後のリトル・フィートは玄人受けするグループとして知名度が上がり、彼らの音楽性のキャッチフレーズとして「サザン・ファンク」なる新語が登場した程。四枚目以降本国でも安定した人気を誇ったリトル・フィートだったが徐々にローウェル・ジョージと他のメンバー間に溝ができ始めたみたいで、それに加えてローウェル・ジョージのドラッグ依存も酷くなっていきその副作用で彼の体形もメタボ化する一方であった。そんなバンドの危機の噂を拭い去るべく発売されたのが、さっき聴いた二枚組のライブアルバム『ウェイティング・フォー・コロンバス』であった。

 

 アナログA面はまず出番前の楽屋の音から始まり、トラック2『ジョイン・ザ・バンド』から演奏が開始。リトル・フィートの売りはファンキーなリズムとローウェル・ジョージとポール・バリアによるツィンギター体制。取り分けローウェル・ジョージのアクレシッブなスライドギターはこのバンドの専売特許的な物があった。

 そして楽曲の多くにはニューオーリンズ音楽からの影響が見られる。こういう黒っぽさが「サザン・ファンク」と形容されるのだが、確かにこういう音楽をやっていたロックバンドは他にはいなかったな。

 二人のギタリストに加え後に『ドゥービー・ブラザーズ』の準メンバーとしても活躍するキーボードのビル・ペインもこのバンドの核になっており、その三人を支えるのがベース、ドラムス、パーカッションによるリズム隊。とにかく演奏力が高く特に本作みたいなライブ盤だとそれが顕著に伝わってくる。A面最後のポール・バレア作『オールド・フォークス・ブギ』から白人系R&Bグループとしてこれまたマニア人気が高かった『パワー・オブ・パワー』のホーン・セクションが加わってライブは更なる熱狂へと。

 

 アナログB面1曲目は六枚目のアルバムの表題曲『タイム・ラヴズ・ア・ヒーロー』から。そのまま次曲『デイ・オブ・ナイト』へと。この曲になると楽曲の感じも初期に比べるとかなり洗練されている印象もある。それでもローウェル・ジョージのスライドギターは強力である事は変わりない。リッチー・ヘイワードのドラム・ソロもフィーチャー。続く『マースナリー・テリトリー』と『スパニッシュ・ムーン』ではタワー・オブ・パワーのホーン・セクションが大活躍し、リトル・フィートがソウルフルな大所帯バンドになった様な錯覚を覚えたりも。

 

 アナログC面1曲目には待ってましたとばかりリトル・フィートの代表曲『ディキシー・チキン』が登場。ライブでこれを聴かないと誰も納得しなかったはず。ニュー・オーリンズ直伝とも言いたくなるビル・ペインのピアノソロから始まるライブ盤ならではのロングヴァージョンで観客も大喜びだ。エンディング辺りでリズムがスピードアップして次曲『トライプ・フェィス・ブギ』へと。タイトル通り曲の前半は強力なブギのリズムを打ち出しローウェル・ジョージのスライドギターが炸裂。ビル・ペインがシンセを演奏し始めてからはフィージョン風に変調。C面最後の曲『ロケット・イン・マイ・ポケット』は再びパワー・オブ・パワーが加わったソウルフルなナンバー。

 

 アナログD面はアンコールの演奏を収録した物。1曲目『ウィリン』。デビューアルバムからの選曲でこのアルバムの中では珍しいウエスト・コースト・ロック風のコーラスを生かした、俗に言う「聴かせる曲」。2曲目『ドント・ボガード・ザット・ジョイント』を挟み3曲目では元『ローリング・ストーンズ』のミック・テイラーをゲストに迎えてブルース曲『ア・アポリトカル・ブルース』、続いての『セイリン・シューズ』もブルース調にアレンジされている。ちょっと緩々過ぎる気もするけどご愛敬か。

 そして最後の曲『ファッツ・ドント・ファイル・ミー・ノウ』はリトル・フィートのルーツである正統ニュー・オーリンズテイストをアピールして二枚組の大作ライブは終了。

 

 ヴォリュームたっぷりの二枚組という事もあり、ライブバンドとしてのリトル・フィートの魅力がたっぷり詰まった好アルバムになった。新旧の曲が収録されている事でバンドの音楽性の変換をも感じさせる、正にこの時点でのベスト盤的要素もある。彼らの専属イラストレイターだったネオン・バーグの描いたアルバムジャケも相変わら視覚的に楽しいし、結果的にはリトル・フィートのバンド史の中でも一番売れたアルバムになったみたいだ。

 しかしローウェル・ジョージと他メンバーの溝は結局埋まらず翌年にはローウェル・ジョージが一方的にバンド解散を宣言した直後心臓発作で死亡。リトル・フィートも程なく一旦バンド活動に終止符を打つ事になったのであった。