31『恋の季節』(69年 監督・井上梅次 主演・奈美悦子)

 60年代まで量産されていた歌謡映画の一編。68年後半に大ヒットした『ピンキーとキラーズ』の代表曲がタイトルの由来だがTV出演などで多忙なピンキー(今陽子)に代わりピンキーの親友という設定の奈美悦子が実質的な主演。高校卒業が近づいた洋子(奈美)はパーティ―でプレイボーイの黒川(入川保則)と出会い、セレブなお嬢様を気取る。すっかり騙された黒川は彼女の謎めいた行動に振り回されながらも恋心を抱き…。松竹歌謡映画としては『小さなスナック』と並ぶ佳編。フランス映画テイストなのは職人監督・井上梅次の嗜好だろう。まだガキンチョながらもアイドル時代の奈美の可愛さにゾッコンだった俺にとっては忘れ難き一編だ。

 

               『性遊戯』(69年 監督・足立正生 主演・中嶋夏)

 ノンポリ学生三人組が大学のバリケード内で活動家の女子学生を凌辱。その女学生は寝た四人の活動家の内の誰かの子供を妊娠していると言い出し、三人組はそれが誰か確かめる手伝いをする羽目に。若松プロで助監督兼脚本家として活躍していた足立正生が初めて自分の企画で監督した作品。闘争中の日大のバリケード内で撮影した大胆さもさる事ながら全学連運動をナンセンスと断じる様な不遜さと、即興芝居をも取り込んだアングラ性が同衾している過激作。自爆死する活動家連中とは裏腹にナチの制服を着た三人組+女学生が国会議事堂前で「ハイル、ヒットラー」とシュピレコールするラストシーンに呆れつつもようやったな…と。

 

33『二人の恋人』(69年 監督・森谷司郎 主演・加山雄三)

                                                       

 森谷司郎が大作監督ではなかった頃の作品。死んだ兄(加山雄三)の恋人と瓜二つな娘(酒井和歌子)が現れてときめく兄だが、弟(高橋長英)も彼女を好きになってしまい…。賢兄愚弟な二人だと当然兄の方を好きになるはずと思いきやという意外性もさる事ながら、二人の母(高峰三枝子)が腹を痛めた弟より血の繋がっていない兄ばかりを贔屓するのが興味深い。実は母は兄に亡くなった夫の面影を見ているという疑似近親相姦的なニュアンスを作り手はこめているのだ。そんな設定が明朗な東宝青春映画にそこはかとない翳りを帯びさせている。こういう繊細な感性は大作専門になった頃の森谷作品にはなくなってしまったのが残念。

 

                34『少年』(69年 監督・大島渚 主演・阿部哲夫)

 

 「闘っているのは自分だけ」と称し全共闘世代受けする作品を連発してきた大島渚が初めて人間的な温もりを感じさせる作品を撮った記念すべき傑作。実話を基にしたオリジナル脚本で父の命令で全国を渡り歩き当たり屋をやっている家族。主人公の少年は最初は嫌々だったが親子間に立って辛い思いをする父の後妻(小山明子)の事を思いやり自らの意志で車の前に飛び込んでゆく。少年を演じた阿部哲夫の演技ではない眼差しが強烈に印象に残る。雪が降り積もるの北海道で旅館から屋外に飛び出し、まだ小さな弟と特撮ヒーローごっこをして戯れるファンタジックなシーンも良かったな…。全国を旅し厳しい予算制限の中で撮影を貫徹。

 

35『日本暗殺秘録』(69年 監督・中島貞夫 主演・千葉真一)

 ダメ元で笠原和夫が企画書を出したら通ってしまって笠原自身が驚いた奇跡的な東映作品。桜田門外の変から2・26事件までの暗殺事件をプレイバックするという企画(右翼系から極左まで何でもあり!)を、東映オールスター出演で製作する太っ腹ぶりには呆れるを通して感動すらする。その中でも「血盟団事件」が映画の半分を占めてドラマ化されており、素朴な正義感を持った若者(千葉真一)が庶民が不況に苦しむ姿を目の当たりに見たあげく、洗脳されてテロリストに仕立てられていった過程が笠原ならではの緻密な取材で描かれており、本作を俺と一緒に観たノンポリ学生が思わず「気持ち分かるなあ…」と唸らせた程の出来栄え。

 

36『ゆけゆけ二度目の処女』(69年 監督・若松孝二 主演・小桜ミミ)

 密室映画を十八番としていた若松孝二がビルの屋上を密室と見立てて演出した作品。深夜ビルの屋上でフーテン連中に凌辱された少女。それを傍で見ていた少年が彼女に近づいていく。少年もまたビル内のマンションで醜い大人たちの慰み者にされかかっていたのだ…。深夜からその翌日まで二人の対話が続き、その日の夜フーテングループに復讐を晴らした二人は翌朝薄汚れた世の中で生きる事を拒否し飛び降り自殺。惨劇とメルヘンが重なった様な作劇は脚本を書いた足立正生の功績が強いんだろうけど、裸さえあれば「何でもアリ」な自由奔放さに強く惹かれた。少年に扮した秋山未知汚(道男)の個性、そして挿入歌もナイスだった。

 

37『でんきくらげ』(70年 監督・増村保造 主演・渥美マリ)

渥美マリ主演作品では彼女の豊満な肢体を目の前にした男が我慢できずに襲い掛かるシーンが頻発する。本作もまた同様で母親のヒモに犯されてしまう。ただ他の作品と違い増村作品での渥美マリはそんな自分の肉体を武器と自覚し、男から男へと渡り歩いて多大な金を得る事に。増村保造が得意としていたアクティヴな女性像を渥美マリもまた演じていた訳だが、それが雑誌などのセミヌード戦略などで脇役女優からトップ女優に上り詰めて行った渥美マリの女優人生と微妙にシンクロしている風にも感じられるのが本作のミソであろう。ただ素顔の渥美マリはそんな女性ではなかったみたいで、本作を最後に脱肉体派女優を計ったのだが…。

 

38『書を捨てよ 町で出よう』(71年 監督・寺山修司 主演・佐々木英明)

この作品については『映画四方山話その558』で取り上げているのでそちらを参照の事

 

39『喜劇・女は男のふるさとヨ』(71年 監督・森崎東 主演・森繁久彌)

 森崎東の出世作となった『新宿芸能社』シリーズの第一弾。ストリッパーの斡旋をする「新宿芸能社」を経営する夫婦とそこに集まる女たちを描いたホロ苦系の喜劇。新宿芸能社OBで今は脱ぎ無しのダンサーをやっている倍賞美津子と新宿芸能社に入り立ての新人・緑魔子のエピソードが描かれる。「いい人」に巡り合い幸せになれると思ったらその男が妻子持ちだと判った時の倍賞のショック、オツムがちと弱いが故にしくじってしまう緑魔子の哀れさが切ない。『男はつらいよ』のマドンナとしては「失格」の二人だが、それでもひたむきに生きる彼女たちに幸あれと願わずにいられない気持ち。常にそんな下から目線を忘れない監督だった森崎東。

 

40『噴出祈願・十五歳の売春婦』(71年 監督・足立正生 主演・佐々木天)

 日常をリアルに感じたい高校生の男女四人組。その内の一人の少女は妊娠している。彼らは「堕落的なセックス」に勝つ事を考え、その実験台として件の少女が金をもらって様々な男と体を重ねるがリアル感は得られず、結局不可解な形で四人の関係は崩壊していく…。足立正生がパレスチナへと出国する前に撮った最後の監督作品で『性遊戯』の不謹慎さとは違い、生きる事への実感を得たいと模索する若者たちの姿はピンク映画という枠内を越えたひたむきさがあり、これ以降も監督作品を撮り続けていたらどうなったのかな…と考えさせられた。足立は当時誰も評価してくれなかったとボヤいてるが、原将人は著書で評価していた。