69年末より『ヤングコミック』を中心にヒット作を連発し時代の寵児となった真崎守。70年になると少年漫画誌への執筆も多くなっていき、その作風にも変化があったと想像はできるが、それでもヤングコミックには代表作となる連作『はみだし野郎の子守歌』を執筆。それが終了し幾何かの休載期間を経て71年8月から連載開始になったのが連作『ながれ者の系譜・第一部/股旅篇』だった。

 更に翌72年1月に『ビッグコミック』に連載された『ろくまもん』が『ながれ者の系譜 第二部/ろくま篇』と改題され、ほぼ同時期に『ヤングコミック』に連作『ながれ者の系譜・地獄狼篇』を連載、その三作がまとめて翌年青林堂から「現代漫画化自選シリーズ」として単行本化されている。自選というからには真崎自身思い入れの強い作品だったという事だろう。

 第一部の時代設定は江戸時代、第二部の時代設定は昭和初期、第三部は現代と時代設定は違えど主人公が自らながれ者の道を選び様々な人物と遭遇するという筋立ては同じだ。

『股旅篇』の主人公・香次は行方知れずの父が凶状持ちだとは知らずに十手持ち志願になるが、追っていた咎人を密かに母が匿っていた事を知った時から、少しずつ十手落ちである事に違和感を覚え,やがて草鞋を履いて父と同じ道を歩む事に。

 第二部の主人公は川に流されていた所を廓の女に助けられた。記憶を失って自分が何者かも分からないが、ひょんな事からろくま(テキヤ用語で占い師の事)になり、全国を流れ歩きながら様々な人々と遭遇する。

 第三部の主人公・地獄狼は片目の殺し屋。彼は一発目の銃弾をわざとはずしその間に相手のがどうするか確かめてから殺す主義の男で、さる組織と全面対決しそのメンバーと思われる相手と決闘を挑み殺していく。その殺る相手の中には彼を殺し屋に育てた実の父親も含まれる。

 真崎守はライバルと目されていた宮谷一彦と自分の違いについて「作品性と商品性の闘いというのは作家のなかで常にあるわけですが、宮谷君はある時から作品性にこだわって読者を忘れてしまった。一方ボクの方は表現性と娯楽性を両立させたい、文学で言えば中間小説のような物をやりたいと思っていた」と述べている。

 確かにこの作品集も第一部などは至極分かりやすい。ビッグコミックみたいな健全な漫画誌に近親相姦をイメージした作品(ろくま篇第五話『惜春歌』)が掲載されていたとは驚きだが、多分そういうのも可能な時代だったという事だろう。

 ただ地獄狼篇になってくると第四話『愛は死の匂い』みたいな分かりやすいシチュエーションの作品もあるとはいえ、真崎の死生観じみた物が膨大な手書きぽい引用文で顕される辺りはかなり観念的な感じもある。ただあくまでも「漫画」の域に止めておこうとの抑止力が真崎の側にあるみたいで、そこが宮谷一彦のとの違いだろう。

 何れにしろ全作品には「暗さ」が漂っており、ながれ者の行きつく先は孤独な「死」である事をこの作品集は暗示している。生き急ぐというより死という結論に向かって彷徨うながれ者…この作品を初めて読んだ時暗さと同時に妙に安堵めいた物を感じたのは、多分俺自身が若かった頃の「面白主義」的な時代に適応できず苦い思いを味わってきたからであろう。

 真崎守はこういうアウトロー志向の漫画を描く一方で、72年4月より『週刊漫画アクション』で連載された斎藤次郎原作による『共犯幻想』では、高校の学園闘争で最後までバリケード内に残った四人の生徒が、いかに過去の自分を総括し再生の道を歩んだかという至極前向きなテーマにも挑んでいるのが興味深い。この漫画の連載が「連合赤軍事件」直後に描かれている事も注目に値するのだが、そういう事で自分の裡でバランス感覚を取っていたのかもしれない。