1990年代に「渋谷系」の代表的バンドとしてブレイクした『ピチカート・ファイヴ』。ただその頃はモデルとしても活動するヴォーカリスト・野宮真貴を小西康陽がプロデュースするユニット的な印象が強く、お洒落とは縁遠い俺にはちょっとお門違いな音楽かな…と思ったのも事実。

実は野宮真貴は三代目のヴォーカリストで、その前のヴォーカリストは脱退後『オリジナル・ラブ』を結成する事になる田島貴男、それ以前は小西、高波慶太郎、鴨宮諒、初代ヴォーカリストの佐々木麻実子の4人組バンドだった。

 この四人編成でピチカート・ファィヴは84年に結成され翌85年に細野晴臣プロデュースによる12インチシングルで『ノン・スタンダート』レーベルよりデビュー、もう一枚12インチシングルを発表した後CBS/SONYに移籍しファーストアルバムをレコーディング。それがさっき聴いた『couples』だった。

 アルバムレコーディングに当りノン・スタンダード時代みたいな打ち込みサウンドではなくスタジオ・ミュージシャンでの生音、更にCBS/SONYお抱えの某有名ミキサーの起用、作詞は基本的に小西が手掛ける事という条件が付いた。それだけレコード会社側も勝負作を制作する心構えだった…という事だろう。

 

 トラック1『マジカル・コレクション』は元『ラヴィン・スプーンフィル』のヴォーカリストで『ウッドストック』にも出演していたジョン・セバスチャンの曲のカバー(日本語詞は某輸入レコード店の社主でもあった長門芳郎)。佐々木と小西のWヴォーカルによるボサノバ・タッチの緩やな曲。

 トラック2『サマータイム・サマータイム』は小西が86年の大晦日から87年の元旦にかけ作った曲だとか。真冬に夏向けの曲を作る辺りが憎い(笑)。佐々木の切ない系ヴォーカルと軽いタッチのドラムス、ストリングスのアレンジなどにセンスを感じる。

 トラック3『皆笑った』は小西作詞、高波作曲。化粧を落とした素顔をマジマジと鏡で見てしまう女心と、恋に夢中で眠れない男心が交錯する恋愛讃歌。そんな恋する人間は端から見るとどうしても笑えてしまう…という意味なのかな?

 トラック4『連載小説』はポール・ウイリアムズと組んで『カーペンターズ』や『スリー・ドッグ・ナイト』などのヒット曲を作り、ソフト・ロック界隈で評価が高いロジャー・ニコラスのソロ曲のコード進行をそのまま引用した物だとか。

 トラック5『アパートの鍵』は訳あって別れてしまった恋人への未練をアパートの鍵に託した詞がロマンチック。全編ストリングスに彩られたアレンジにはオールデイズな雰囲気がたっぷり。

 トラック6『そして今でも』はテンポのいいドラムスが印象的。この曲もシンガー・ソングライター、ニルソンの某曲から一部コード進行を引用したらしい。音楽マニアな小西ならではのセンスと言えるだろう。

 トラック7『七時のニュース』はタイトルから連想するに結構劇的な詞を連想してしまうのだがそんな事は全くない、佐々木麻実子のコケティシュ感が良く出た曲。噂話の後にNHKの七時のニュースを見ても何も覚えていない、それだけ恋に夢中…という恋愛中毒ソング。

 トラック8『おかしな恋人・その他の恋人』のベースは細野が弾いているが、彼が帰った後弾き忘れたパートを高波が弾いて完成させたという。作曲はキーボード担当だった鴨宮による物。

 トラック9『憂鬱天国』は本アルバムのプロデューサーで、大瀧詠一も担当していた河合マイケルという人(フィージョンバンド『ザ・スクエア』の元メンバー)がドラムを叩いているとの事。後期GSブームのバンドとかがやっていそうな感じの軽いタッチの曲だが、ブラスアレンジのユニークさが印象に残る。小西の単独ヴォーカル。

 トラック10『パーティー・ジョーク』は女性のスキャットヴォーカルのみの、高波によるインスト曲。これまた60年代のテレビのCMのバックに流れていてもおかしくないレトロなアレンジ。聴いていて程よい高揚感はあるが。

 トラック11『眠そうな二人』は喧嘩に疲れ眠たくなってしまったカップルの状態を詞で表現。そのままベッドに雪崩れ込んで泥の様に眠っていい夢を見る…という、まあ結局仲の良過ぎるが故に喧嘩もしてしまうって事でしょう。

 最後の曲『いつもさよなら』は恋人たちの別れを描写した詞でロマンチックさと切なさが交錯する。またいつか巡り合う事もあるだろうからその日までさようなら…と、半ばリスナーへのお別れ挨拶も兼ねる様な形で曲は終わる。

 

 時代は『ザ・ブルー・ハーツ』に代表されるバンドブーム前夜。そんな時によくぞ確信犯的に時代錯誤感を打ち出したこんなアルバムを作ったな…と半ば呆れる。サウンドは60年代の洋画映画音楽を意識した様なソフト・ロックテイストで統一され、詞の世界も恋愛話オンリーと小西の趣味性が全面に渡って展開されたマニアックなアルバムだと言える。

 まだ渋谷系という言葉も存在しなかった頃だから、後の流行を先んじた音楽という評価もできるだろうが、まだ趣味のレベルを脱していなかった事は小西自身自覚していたはずで、その証拠にこのアルバムの曲の幾つかはニューリアルされてピチカート・ファイヴのアルバムに再度収録されている。結局このアルバムが売れなかった事でピチカート・ファィヴはレコード会社からの教育的指導?を受け、佐々木と鴨宮は脱退し二代目ヴォーカリストとして田島貴男が加入し、ピチカート・ファィヴは三人組のバンドとなるのだ。