今日の日刊紙に「キラー・カーン自転車ひき逃げ容疑で書類送検」という記事が載っていた。事の詳細は分からないが、キラー・カーンは意図的にひき逃げする様な人間だとは思わないのだが。久々にマスコミに登場した彼がプロレスから引退して久しいとはいえ、こういう形で話題になるのはやりきれない気がするよなあ…。

 振り返ってみればプロレスブームに沸いた90年代、日本のリングに彼の姿はなかった。彼も所属していた『ジャパンプロレス』を率いて85年から新日本プロレスから全日本プロレスへと戦場を移した長州力が、電撃的に新日にUターンしたと聞きプロレス業界のいい加減さに嫌気がさした…と伝えられている。その時キラー・カーンはWWFで闘っており、ハルク・ホーガンらにレスラーを辞めない様に慰留されたが彼は首を縦に振らなかったという。

 大相撲廃業後所属した日本プロレスから新日本プロレスに移り、79年の海外遠征中に「蒙古の怪人」キラー・カーンを名乗り、大型のラフファイターとして70年代末に全米きっての売れっ子になった小沢正志(本名)。米国では悪役に徹したのに日本のリングでは悪役になれなかったのは彼の本来の気の優しさというか弱さというか。もし自分が日本のリングで悪い事をしたら家族に迷惑がかってしまう…と思ったからだろう。

 変身後の凱旋帰国の際プロレス誌に「俺を日本で冷遇し続けた新日本プロレスが憎い。だから俺はタイガー・ジェット・シンと組んで新日に復讐する」という煽りインタビューが載った。新日のフロントに無許可で取材できる訳がないから多分彼がヒールとして登場する事は決定事項だったのだろう。しかしこの案は回避され来日したキラー・カーンは新日軍の助っ人的ポジションに落ち着いた。

 この選択は日本のリングにおいては過ちだったと思う。助っ人的なベビーフェィスでは、何れ便利屋的ポジションに回される事は必至だった。ジャンプして奇声を上げて放つWモンゴリアンチョップ、トップロープからのダイビング・ニー・ドロップをトレードマークに新日のリングで暴れ回ったキラー・カーンだが、米国マットでも売れっ子だった為に新日マットに定着する訳にもいかず、中途半端な形で長州らのジャパン・プロレスに加わり行動を共にする事に。

 但し全日参戦後のジャパンプロレスには長州やキラー・カーンよりも先輩に当る曲者レスラーも在籍しており、リング外の人間関係に悩む事が多かったと聞く。全日では確かに新日時代よりチャンスは多く与えられていたはずだが、その割に印象が薄い。元々全日にはジャイアント馬場、ジャンボ鶴田に加えて外人側にもスタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディといったキラー・カーンに見劣りしない大型レスラーが在籍したせいがあるかもしれないのだが、全日対ジャパンプロレスの対抗戦の形を取っていた為に日本ではハンセンとガチな試合を組まれる機会もなかった。規格外の大型レスラー同士のバトルはさぞかしド迫力になったと思うのだが…。

 結局俺が観たキラー・カーンのベストバウトは新日でも全日でもなく、テレビ東京のプロレス番組『世界のプロレス』域で放映された、テキサス・ダラス地区でのテリー・ゴーディとの一戦(この二人はキラー・カーンの全日参戦末期にタッグを組んでいる)。勿論米国ではゴーディがベビーフェィス、キラー・カーンは応援する人など皆無の大ヒールで水を得た魚の様なファイトぶり。やはりあの容貌に似合うのはヒールしかないな…と再認識した。

 米国では「アンドレ・ザ・ジャンアントの足を折った男」として、米国各地で復帰したアンドレとの因縁の闘いで一試合100万円以上を稼ぎ、アングルとはいえ米国プロレス専門誌でバーン・ガニアやルー・テ―ズといったレジェントレスラーに「あいつは真のサディスト。レスリングをする資格のない男」と言わせた全米きっての大ヒールだったキラー・カーン。彼がブームが沸き起こった90年代の日本マットに不在だったのは重ね重ね残念だ。可能ならマサ斎藤、ザ・グレート・カブキといった全米マットを荒らしまわった一匹狼レスラーと超党派チームを結成し「日本の温室育ちの甘っちょろいレスラーなんか敵じゃない」と新日、全日のリングに殴り込みをかけて欲しかった。新日のリングに乱入し阿修羅原ばりに因縁の長州を襲撃…でも良かった。

 でも気の小さいキラー・カーンには絶対できなかっただろうな…。