全寮制の高校で過ごしたジュリー(ジャンニ・フランコ)の密かな愉しみは、亡き母がモデルになっているあの小説を夜ごとに読む事で、小説を読みながら体の疼きを抑えられずそれを寮母に咎められたりもした。高校を卒業したジュリーは今は叔母が住んでいる故郷の屋敷へ帰ってくる事に。そこには小説での母の不倫相手と思しき召使のメルトン(ロベルタ・フレゴレーゼ)が昔と変わらず暮らしている。ジュリーはそんな彼に興味を覚えて挑発的態度に出るが…。
1928年に英国で出版されたD・H・ロレンスの恋愛小説『チャタレー夫人の恋人』は当初身分制度に焦点を当てたストーリーが問題とされていたのだが、世間が注目したのは性描写の部分だった。日本においても伊藤整が翻訳した無修正版が1950年に猥褻に当るとして摘発され、この事件は被告側が最高裁まで上告したが結局敗訴となっている。それだけ世界的にも論議を呼んだ小説故映画化もこれまでに四度されているのだが、本作はその小説とは全く関係ないエロチック作品で、もしチャタレー夫人に娘がいたら…という設定の女流監督によるストーリー。日本では劇場公開されなかったみたいだが、無修正版のDVDは発売されている。
そんなジュリーの挑発にもメルトンはそっけない態度。叔母は直ぐにでもジュリーの結婚を決めてしまおうと当地の有力者の息子との縁談をセッティング。相手はジュリーのキュートな魅力にゾッコンで一目で気に入ったみたい。ジュリーも結婚相手としては特に不満もないので結婚式の予定もあっという間に決まってしまった。しかしジュリーはメルトンの事が気になってしょうがない。「あなたは私の父親なの?」と問いただしても首を振るばかりのメルトン。或る日メルトンが屋敷を出て行ったとの話を聞いて動揺するジュリー。しかしメルトンはまだ立ち去っていなかった。最初の相手はあなたがいいの…とばかりに迫ってくるジュリーにメルトンは…。
元ネタの小説も\は未読で映画化作品も観た事ないが、本作には原作の残り香なんて全く残ってなさそうだ。とにかく早く体験を済ませたい娘が母親の相手だった可能性のある中年男を周囲の視線などお構いなく挑発し続けるフランス書院文庫みたいなストーリーで、情緒の欠片もない。ヒロインはショートヘアーのメガネっ娘で蕾の様な固さを想起させる肢体は確かにヴァージンぽいけど、いかんせん行動に処女ならではの恥じらいみたいな物はゼロ。情熱の国イタリアではそれが当たり前なのかもしれぬが、日本ではあまりにあっけからんとして萎えてしまう感じ。結局据え膳喰わぬは男の恥とばかりにヒロインを抱いてしまう男も何だかな…。
作品評価★
(途中から観るのも面倒くさくなってしまったエロ映画。艶笑コメディとして捉えれば笑って済まされるのかもしれないが、DVDの100円レンタルで観るのが関の山だろう。チャタレーの冠が付いたバッタモン作品はこれ以外にも何本もあるのだが、もう絶対に観たくはないよなあ)
画四方山話その594~青ずっぱい『ロードショー』世代の「年上の女」映画
俺の思春期時代、憧れの対象は「年上の女」だった。クラスメートとかはまだ「女」としてはなかなか見れなかったし、性的な部分も含めて年上の女性に対する気持ちの方が強かったなと思う。
そんな我々世代の気持ちを代弁する様に、洋画関連では少年が年上の女に思慕的な恋愛感情を抱くシチュエーションの作品が話題を呼んだ。こういう作品はTV洋画ロードショー系番組でもかかり易い事もあってか、まだ特別に映画好きでなかった俺も結構観たりしていたな。
『個人教授』(68)は雑誌『ロードショー』世代の代表的な「年上の女映画」。アラン・ドロンの妻だったナタリー・ドロンはこの一本で日本において一躍スターダムに昇ったと言っていい。ただTVだと吹き替えはアテレコだったので想像してなかったけど、後に字幕版で観たらナタリー・ドロンは典型的なハスキー声で「綺麗なお姉さん」のイメージとはかなり違う。声優を調べてみたらVHS発売時は演出家の蜷川幸雄夫人である真山知子がアテレコしていたらしい。女優としては結構エロぽい役も演じる人だったが、そうなると映画の印象も随分変わりそうだ。
『おもいでの夏』(71)もこの時代ならではの年上の女映画。これは10年ほど前に初めて観たのだが、これも想像していたのとは結構違う下ネタワード満載のコメディ仕立て。それでも主人公の少年が憧れる若き戦争未亡人ジェニファー・オニールの美しさは格別の物があった。ただ彼女は俺が思っていた程女優としてはブレイクしなかったみたいで、後に『超高層プロフェッショナル』(79)という超B級映画のヒロインを演じたりした。
そのジェニファーオニールが名匠ルキノ・ヴィスコンティの遺作『イノセント』(76)で共演していたラウラ・アントネッリが主演した年上の女映画が『青い体験』(73)。彼女はアラン・ドロンのライバルであるジャン・ポール・ベルモントと長らく同棲していた期間があり、その為どうしてもナタリー・ドロンのライバルみたいに見られがちだが、女優としてはラウラ・アントネッリの方が格上。妻が急死した男ヤモメの家に家政婦として住み込む事になったアントネッリと、思春期真っ盛りな次男坊少年との危ない関係を描き日本でも大ヒット。但しエロなシーンが多いため前述の二本とは違いテレビ東京の『木曜洋画劇場』で頻繁に放映されたそうだ。確かにこの作品を観て水野晴郎が「いやー、映画って本当にいいもんですね」と賞賛する絵が浮かんでこないし。
そんな水野春郎MCの『水曜ロードショー』粋で放映されたのが巨匠ルイ・マルの『好奇心』(71)。まだうら若き母(レオ・マッサリ)と異様に仲のいい息子がごく自然な形で一線を越え…。近親相姦という極めてアブノーマルな行為をチャーリー・パーカーのジャズに乗せてクールに描く所がルイ・マルたる矜持なんだろうが、流石にかあちゃんとやりたいとは一度も思った事がないので年上の女映画としての評価は今一つ(まあもし母親が若尾文子だったら話は別だけど…)。ちなみにTV放映を観た友人によると主人公の少年の性器がノーカットで映っていたそうな。女性のそれには厳しくとも男性のとなるとチェックが甘いんでしょうね。
これらの作品の主人公も多分成長するにつれて恋愛や性の対象が同年代の女の子に移っていくのでしょうね。かく言う俺はいやらしい意味ではなく現実でも年上の女性には随分と可愛がってもらった記憶があるけど、その分同年代の女性には全く相手にされませんでしたね。トホホ…。