ニック・ロウといえば世界各地で熱狂的なファンを抱えるマニアックなロックミュージシャン。でもマニアックなミュージシャンといってもフランク・ザッパなどとは違って、彼の楽曲は実に親しみやすい物で小難しい所など何処にもない。そんな音楽を50年以上も奏でてきたニック・ロウのミュージシャンとしての軌跡を物語るのが本作である。

 筆者のウィル・バーチはライターであると共にニック・ロウとは長い友人関係にあるミュージシャン&プロデューサーでもある。そんな彼がニックは勿論の事、その周囲の人々にも膨大なインタビューを施しでまとめ上げた評伝という形なのだが、凄いのはニックから遡って6代目になる先祖の事まで詳細に調べている事。その理由はニックの母方の祖父がミュージカルスターとして活躍していたという事実。つまりニック・ロウがミュージシャンになったのは単に彼が元来音楽好きだったからだけではなく、彼の家系がそういうクリエティヴな人物を生み出してもおかしくない家風であった…という説なのだ。

 そういう家庭に育ったニックは早くから音楽に親しみ10代後半になる頃にはバンドを結成して活動。その過程で60年代の英国バンドとしては珍しい米国のアーシーなロックに影響を受けたサウンドを特徴としていた『ブレンズリー・シュオーツ』にベーシスト&コンポーサーとして加入する事に。

 音楽的評価は高くとも売れ行きはさっぱりだったこのバンドをメジャーバンドに押し上げるべくスタッフ側の仕掛けとして企画されたのが、60年代後半の米国ロックのメッカとなっていたNYの『フイルモア・イースト』に乗り込んで演奏する事。英国はまだしも米国では『ブレンズリー・シュオーツ』を知る人などまだ皆無に近かった訳で、音楽ライターまで同行させてNYに乗り込んだ度胸には感心するとはいえ、あまりにも無謀なプランには読んでいて失笑してしまった。

 このプランは全くの失敗に終わったが、それが逆にバンドを「パプ・ロックの元祖的バンド」に推し挙げる事になったのだから何が幸いするか分からない。

 パブ(酒場)で演奏するブレンズリー・シュオーツが音楽業界の通好みバンドとして名前を挙げていく過程で、後に伝説のロックン・ロールバンド『ロックパイル』を組む事になるディブ・エドモンズ、エルヴィス・コステロなどと知り合い、ニック・ロウの音楽界のおけるフィールドも広まっていく。そしてブレンズリー・シュオーツ解散後、英国ロック界初めてのインディーズレーベルと言える『スティッフレコード』のプロデューサーとして迎え入れられる事になるのだ。

  そこまでがニック・ロウの二十代までの凡その軌跡であり、当然ながらバンド活動では避けられなかったであろう「セックス・ドラック&ロックンロール」的な日々も経験するのだが、ニック・ロウは誰かさんみたいに向こう側の世界に行ってしまう事にはならず、俺たちの世界へと戻ってきた。そのきっかけの一つが米国カントリーミュージック界のセレブな歌姫カーレン・カーターとの結婚だった。

 この事が人脈的にもニック・ロウの音楽に与えた影響は大きかった様で、ニック・ロウにとって憧れでしかなかった米国の音楽がより身近になったと言えよう。その結果の一つがライ・クーダー、ジム・ケルトナーと組んだスーパー・スリーピースバンドの結成で、特に世界の音楽に通じているライ・クーダーとの付き合いはニック・ロウにとって特に大きかったと言える。残念ながらカーレン・カーターとの結婚は長く続かなかったが、その教訓が現在の円満な結婚生活に繋がっている様だ。

 90年代以降のニック・ロウは容貌も年相応に変わり、ライブも狂騒のロックパイル時代などに比べると随分落ち着いた「大人の音楽」を奏でる様になった印象がある。90年代後半に俺が来日ライブで観た時もそんな感じだった。ライブではベースではなくアコースティックギターをつま弾きながら自作曲を奏でるというスタイルが21世紀になっても変わていないみたいだし(たまには身軽に彼一人でツアーを回るソロライブも敢行)。近年のニック・ロウの活動は恐ろしいまでに自然体で、ニック・ロウはいい意味で「オールド・ウエィヴ」なミュージシャンとして音楽活動を続けている事が本書を読んで伝わってくる。

 

 本書のタイトル『恋する二人』はニック・ロウ最大のヒット曲であると共に、ニック・ロウと筆者の関係を暗示しているとも言える。筆者はニック・ロウという人物と彼の作った音楽に今も昔も恋し続けているのだ。たんに「好き」と表現するだけでは物足りないから「恋する」なんだな(変な意味ではなくて)。今の作られている音楽の殆どは消費され尽くす事が究極的な目的ではないかと勘繰ってしまう所もあるのだが、ニック・ロウは例え売り上げ的にはスーパースターと言えないマニアックなミュージシャンであっても、その楽曲はいつまでも俺の耳に残り奏で続けるであろう…という事を、本書を読んで再確認したのであった。