1963年。チェイニ―(クリスチャン・ベール)は酒と喧嘩に明け暮れるダメ大学生で、その挙句退学になり電気工になっても使い物にならず。そんな彼を優等大学生の恋人リン(エイミー・アダムス)が叱咤し、チェイニ―は何とか立ち直る。68年。ワシントンD.C.の連邦会議のインターンシップに参加してチェイニ―は共和党下院議員ラムフェルドの型破りなスピーチを気に入り、彼の下で働き政治家の道を歩む事を決意。順調に出世を重ねたがラムフェルドは失脚…。

 

 素人目にも米国大統領として優秀だったはとても思えないジョージ・W・ブッシュ。本作はそのブッシュ政権下で彼の懐刀として政務に当った副大統領デイック・チェイニ―のシニカルな伝記映画だが、当然ながら本人には無許可で製作(笑)。『サタデイ・ナイト・ライブ』のライター出身でそれまではドタバタコメディを撮ってきたアダム・マッケイが監督を務め、カメレオン俳優として有名なクリスチャン・ベールが肉体改造含みでチェイニ―を演じた。『魔法にかけられて』(07)でブレイクしたエイミー・アダムス、オスカー受賞経験があり演技派として定評の高いサム・ロックウェルなどの出演。共同プロデューサーの中にはブラッド・ピットの名前がある。

 

 運が尽きたかに見えたチェイニ―だがニクソン大統領が辞任しラムズフェルドが復権した事で再び政界に。史上最年少で大統領首席補佐官になり下院議員選挙中に心筋梗塞で倒れるが妻のリンが代わりに選挙活動をして当選。レーガン政権、ジョージ・H・W・ブッシュ政権で手腕を奮うが次女のメアリーから自分は同性愛者だと告白され、共和党では出世の道が望めぬと政界から潔く引退。そんな時一本の電話が。残念な息子と呼ばれていたブッシュ元大統領の息子(サム・ロックウェル)が大統領選出馬を決め、チェイニ―に副大統領になって欲しいと依頼してくる。所詮副大統領なんて決定権がないお飾職だからと最初断る積りだったが…。 

 

タイトルの意は副大統領を表すと共に「凶悪」とのダブルミーニングになっている様だ。単なるダメ男だったチェイニ―が妻の叱咤によって立ち直ったり娘可愛さに政界から身を引くなど家族としての絆を大切にする一方で、政界では他人の思惑などお構いなしに強権を発動。対テロ路線を推し進める為にイラクという敵国を一方的にデッチあげて平然としてる厚顔無恥さは呆れるばかりだが、それが家族愛と裏表になっているのが米国政治家らしいというか。でも自分の非を認める事は体面に関わると考えている辺りは日本の政治家と共通項があるか。そういうチェイニ―をからかっている演出姿勢が凄いというか、日本映画では絶対不可能な企画。             作品評価★★★★  

(一度政界を引退した時点でエンデイングクレジットが出て映画終了と思わせるフェイントがあったり、風刺精神が強烈。クリスチャン・ベールの演技作りは常人の域を越えており、第二のロバート・デ・ニーロを目指しているのか。ブッシュジュニアの無能ぶりは今更って感じ・笑)

 

映画四方山話その592~『恋する女たち』

 

 大森一樹の『恋する女たち』は第一回『五日市映画祭』(現在は『あきるの映画祭』に改称)のフィナーレ招待作品として観た。何故そんな所にいたかというと、俺が作った8ミリ映画が映画祭で行われたアマチュアコンテスト部門で入選し上映されたからである。他の入選者と一緒に参加したのだが他の人は自分の作品が上映されるのを見届けたらさっさと帰ってしまい、俺だけ残って『恋する女たち』を観て、そして感動した。だが記憶が朧気になりストーリーの細部も忘れてしまっていたので33年ぶりに再見した…という次第。

 俺が数年間住んでいた石川県でロケされており、俺の馴染みの場所もチョイチョイ出てくる。ヒロインの斉藤由貴が『ナインハーフ』を観た映画館『グランド劇場』の地下にあった『スカラ座』で、俺は同じ大森監督作『風の歌を聴け』を観たし、斉藤由貴が友だちと待ち合わせするファッションビル『109』(今は存在しない)の書店コーナーでは、いつも平気で一時間ぐらいも立ち読みしていたな(正確には用意されていた椅子に座って読んでいたが)。

 斉藤由貴は金沢市内にある学校に通う高校二年生で今は春休み。金沢市内にある、実家の旅館の元案内所に姉(原田貴和子)と住んでいて、姉は今年地元の大学を卒業して実家に戻り女将修行をする予定。斉藤は口が悪い野球部部員(柳葉敏郎)に恋しており、恋が終わる毎に自分の仮想葬式をやる高井麻巳子、短歌をたしなむ相楽ハル子、美術部活動に熱中するあまりダブってしまった小林聡美といった友達がいる…という設定。

 原作はジュニア小説で大森自身が脚本を担当。アイドル映画なので当然ながら斉藤お得意の、目を真ん丸に見開いたお馴染みの表情が頻繁に登場する。まだ恋愛に対しては奥手で未熟な彼女が周囲の人たちの恋模様を見つつ成長していく…というストーリー。

 斉藤が好きな柳葉は他校の女子生徒と付き合っていて、斉藤が偶然柳葉がそのコと喧嘩している場面を目撃し失恋感を味わうシーン。そして聡明な姉が何故「今時」の女子大生らしからず親の跡を継ごうと決意したのかが判るシーン。あくまで斉藤はその場で二人と絡む事はなく目撃するのみという抑えめなシチュエーションがイイ。やたら劇的なシチュエーションを作りたがる演出は当時流行っていた大映ドラマの十八番だったが、映画ではそんな物はいらない。

 それにしても登場する恋する女たちの恋愛観のベースにあるのが文学だったり短歌だったりするのには、流石に時代の流れを感じてしまう。現在の若者向け恋愛映画の殆どが漫画が原作で、そこに登場する女の子たちは多分漫画は読んでいてもツルゲーネフの『初恋』なんて絶対読んでいそうもないと思うもの(かく言う俺も読んだ事ないけど・笑)。そういう文学的な恋恋愛観なんて過去の遺物でいかないんだろうが、この歳になっても愛おしく思う部分がある。

 

 ロケ主体撮影ならではの風景の美しさ、そして斉藤を始めとする若手女優の旬存在感は正は十分アイドルの役割を果たしている。『転校生』でブレイクした小林聡美の演技の達者さには驚かないけど、相楽ハル子の存在感も悪くなかった。俺は彼女の事を『どついたるねん』だけの一発屋女優と思っていたが間違いでした。あいすません。今観てもやっぱり『恋する女たち』は傑作だと思ったよ!