或る夜漢方薬を売りつつ武術指導もしている「宝芝林」に気が触れた様な男が逃げ込んできて暴れ回る。漢方医で道場主のウォン・フェイホン(チウ・マンチェク)が男を取り押さえ診察してみると、全身が強力な毒薬で侵され治癒は不可能だと判明。その男を取り逃がしたリーは責任を厳しく追及され街へ出て捜索。往来では宝芝林のライバルである「北派拳法」のチャンらが門下生募集のビラを配っており、リーといざこざを起こす。そこに宝芝林門下生が駆現れ…。

 

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』シリーズは清朝末期を舞台にした実在の武術家ウォン・フェイホンを主人公にした香港映画のアクションシリーズで、91年から97年にかけて六作が製作された。その一方でメインシリーズとは別個にスピンオフ的作品が90年から19年にかけて計11本も製作されており、本シリーズより製作本数が多いなんていかにも香港映画らしいハチャメチャさだと言えそう。本作はそのスピンオフ作品の一つで、本シリーズでも二本主演したチウ・マンチェクが主演を務めている。清朝がアヘン戦争に敗れ英国など列強の内政干渉に晒されていた時代を背景に、闘う漢方医ウォン・シェンホンの八面六臂の活躍を描く。

 

 フェイホンの仲介で揉めごとにならずに済んだが、北派拳法の敵視は更に強くなった。帰り道フェイホンは昔馴染みで英国留学で医学を学んできた昔馴染みのモー(ウェイ・ニー)と再会。モーは西洋医学の聖光病院の院長ラウドがアヘン中毒患者を無料で治療するとの演説を聞いて感動、働く事を決める。そこで同僚として働いているのがリーだった。実は聖光病院は裏でアヘンより強力で人格を暴力的にさせる薬の開発を行っており、その実験台として無料で患者を募っていたのだ。フェイホンがそれに気づくかもと考えたラウドはリーに暗殺を指示すると共に、北派拳法の主ウー・ジェンナンを焚き付けフェイホンを始末させようと考え…。

 

 典型的勧善懲悪のカンフー劇。主人公のウォン・フェイホンは医術と武芸には優れているのに恋愛方面では初心という日本の東映時代劇みたいなキャラクター。ヒロインは絵に描いた様な穢れ無き美女で、脇に悪女的キャラを配するのは日活アクション風。彼女は悪党に利用されていて途中から改心するのも日活アクションぽく、フェイホンの門下生が三枚目揃いなのも日活アクションぽい。フェイホンが空手の達人という線から行けば70年代に東映映画で千葉ちゃんが演じ続けたキャラクターに近い…とかなんとかで、日本映画マニアにも親しみ易い一作であった。ラストにお決まりのメイキングシーンが付いているのは、いかにも香港映画だが。

 

作品評価★★★

(スピンオフ物な分小じんまりとした印象は否めぬが、あらゆる要素がB級映画的で気楽に観れた作品ではある。主人公と薬を沢山盛られたジェンナンとの対決がアクション的見せ場だが、クスリ漬けになっても武術家の魂まで毒されなかったジェンナンは根性あったって事か)

 

映画四方山話その588~追悼・岡田祐介と東宝青春映画

 映画プロデューサーではなく俳優・岡田祐介について語る事は、60年代後半から70年代前半に脈々と製作されていた東宝青春映画について語る事とほぼ同意であると言えるだろう。

 彼の映画デビュー作『赤頭巾ちゃん気をつけて』(70)は色々な意味で忘れ難い作品だ。まず俺は原作小説を高校生の時に読んで衝撃を受ける。この軟派小説の世界観はど田舎住まいだった俺にはあまりにも眩し過ぎた。俺の当時の日常には「由美ちゃん」みたいな可愛い女の子なんか何処にもいなかったし、大体俺のど田舎は若い男女が一緒に歩いていただけで好奇の視線を浴び続なければならない超保守的な場所だったので。

 小説内でいたいけに初体験を済ます、入試中止になっても東大志望を変えず浪人生になる事を決めた薫クンと春から女子大生になる由美ちゃんは、単に羨ましいを越えてまんま彼らが生活をしている「東京」という都市の象徴の様に思えた。こんなど田舎で「青春」を費やすのは絶対嫌だ、俺も大学生になって東京で出て由美ちゃんみたいな可愛い女の事と○○〇…。結局その夢は後の東京生活でも実現せずに終わったけど…。

 映画化作品を観たのは以前も書いたが東京の江古田にあった名画座『江古田文化劇場』。由美ちゃん役の森和代が原作そのまんまに可愛かった(初体験シーンはなかったけど)。ただ彼女は「森本レオ」という名の狼に気をつけるべきだったな…。

 で、最後に岡田祐介になるのだが、この作品を観る前からTVドラマで見知っていたとはいえ、原作の饒舌でも世間自体には疎そうなキャラが体現化されている事にかなり驚いた。それは演技以前に身についたナチュラルな物に思えたのだ。実際彼は主人公の薫クンと同じ高校出身の秀才君であり、それが東宝青春映画における「お行儀の良さ」と見事にフィットしていたというか。彼の出自を知ったのはこの作品を観てから随分後だったけど、さもありなんと思いましたね。

『初めての旅』(71)も彼の浮世離れキャラが発揮された東宝青春映画の秀作である。高級官僚の御曹司である岡田と貧乏青年である高橋長英が初対面ながら目線だけで意気投合し、路上に乗り捨ててあった車を盗んで岡田の変わり者の叔父が経営する牧場へと向かう。結局自動車泥棒は露見し岡田は高級官僚の息子なので警察は高橋のみを起訴しようとする。それに対して烈火の如く激怒する岡田。

 所詮ブルジョア生まれのドラ息子のありきたりの同情心(高橋への)と看破するのは容易い。だがその家に生まれたのは彼の責任ではない。そんな彼からすると、彼なりの「大人の社会」に対する精一杯の反抗であり「心の叫び」だと捉えていいのでは…と俺は思った。それはまんま岡田自身の当時の実感と多少はシンクロする部分もあったのかも…と考えると余計この作品が愛おしくなる。

 東宝青春映画のこういう、ささやかな大人社会と体制への反抗の代弁者として岡田祐介は存在していた。そんな彼も父親と同じ道を志向する様になったのはやはり血は争えないと言うべきか、プロデューサーとしての仕事を一言だけ批評するなら「吉永小百合を偏愛し過ぎた」って事に尽きるな。そういう女性の趣味もまた、根っからのお坊ちゃまぽくもあるんだけど。