カンボジアの首都ブノンペン。CIAのベテラン捜査官ジェイク(スティ―ヴン・セガール)は臓器の不法売買をしているマフィアグループの摘発の為部下と共に囮捜査を敢行。部下のザックが怪しいと睨んだコールガール風の女に接近、速攻で商談は成立し二人は近所のホテルにしけ込む。ジェイクたちは司令塔であるハッカーの天才アンナの指示通り部屋に突入、ザックの心臓をその場で摘出しようとする連中を一網打尽にするはずだったが、銃撃戦になりザックは絶命…。

 

 まだ『銀座シネパトス』が健在だった頃はまがりなりにも単独劇場公開されていたセガール師匠の『沈黙』シリーズだが、さすがに近年は日本で封切される事は滅多になくなったみたい。本作も19年に東京と大阪で開催された『未体験ゾーンの映画たち2019』という特集上映の枠内で上映されたのみ。ハンガリー、英国、フィリピンによる合作で舞台はアジア中心。共同監督を務めたフィリップ・マルチネスはセガール師匠のライバルアクションスター、ジャン=クロード・ヴァン・ダム主演『レクイエム』(04)の監督でもあるから、多分B級アクション映画専門監督だろうね。危険だらけの強引捜査に臨むセガール師匠率いるチームの活躍ぶりを描く。

 

 上司の命令で米国帰還を命令されたジェイクたちだが、仲間を失った事への弔い合戦の意識から全員CIAを辞めてこの地に留まる事を決意、標的は臓器売買組織を牛耳るイタリアン・マフィアのボス・オルテッセイ(エドアルド・コスタ)。ジェイクはロシアの大富豪のバックアップを受け自らを処刑チーム『ジェネラル・コマンダー』と名乗る。彼らの独断行動を組織への反逆と断じたCIAは暗殺者をジェイクに差し向けるがジェイクは返り討ち、敵に面が割れていないソニアを使いマニラにて再度囮作戦を取る事にする。オルテッセイはジェイクの狙い通り自らマニアに赴きソニアと直接会って臓器取引をする段取りに。その現場に出向くチームの面々…。

 

『沈黙のアフガン』(16)の時もそうだったけど、還暦を越えたセガール師匠はさすがにアクションシーンを数多くこなすのは困難らしく、本作でも処刑軍団のリーダー役として作戦を指揮する側に回っており、自身のアクションは銃撃戦とナイフ投げはあっても空手シーンは皆無だ。仲間の報復戦というストーリーはサルでも判る単純さ。処刑チームの面々は地元のフィリピン女が一人加わっているのみで、これといった個性に乏しいのが残念。悪党とのバトルシーンもまあ想定内のレベルで、見どころと言えるのは無敵だったセガール師匠が死んだとも取れるラストシーンのみか。別に連続物のシリーズでないので、死んだって一向に構わないんだが。

 

作品評価★★

(すっかりメタボ化してしまったセガール師匠に哀愁を感じる俺。多分本国では過去の人でハリウッドに相手にされなくなった結果が今回みたいな他国の合作みたいになっちゃう理由なんだろう。エンデイングに流れる主題歌、歌詞に「セガール」という名前が入っているのが凄い)

 

映画四方山話その553~21世紀の『ATG』を目指すってマジか

 去る8月12日「監督絶対主義」を掲げた映画実験レーベル『シネマラボ』の発足記者会見があった。参加監督は押井守 本広克行、小中一哉、上田慎一郎の四名で、限られた予算の枠内で監督が全責任を担う形で映画を製作していくという。既に押井監督原案、彼の代表作からタイトルを取った本広克行監督作『ビューティフルドリーマー』が完成し11月に公開されるという。

 こういう監督主体の映画製作プランの動き自体は特に珍しい物ではなく、古い話だと黒澤明、市川崑、木下恵介、小林正樹による『四騎の会』があったし、かの『ディレクターズ・カンパニー』も発足当初の目的は所属監督に自由な作品を撮らせる環境作りにあったはずだ。ただディレカンがそうであった様に、有能なプロデューサー的人材もいないと上手くいかないのは自明な事。一応その役割も監督自身が負うという事で何とかクリアできるのではないか…との見込みだろうか。

 その心意気はいいとしても俺がちょっと意外だったのは、その目標として『ATG(日本アート・シアター・ギルド)』を挙げていた事。作家主義を掲げて気鋭の監督を始めとして、五社出身のベテラン監督、自主映画やTV出身などの監督にも撮る機会を与え、60年代後半から80年代前半まで俺たち映画マニアにも注目の的だった映画製作&配給会社ATG。言わば監督の「作家主義」の権化みたいなイメージがあった。

 そんなATGに参加した監督に比べると、押井監督は代表作となるアニメ作品の傍ら怪作じみた実写映画を何本か撮っているが、それは作家主義というより「カルト主義」とでも呼びたい作風だったし、他の三人の監督作品にも作家主義めいた物は特に感じた事がない…というか、『カメラを止めるな!』の上田慎一郎監督に「実は本当に撮りたい物は他にある」なんて野心があるとは思ってもみなかった(笑)。

 小中一哉は大林宜彦を念頭に置いてATGの名前を出したんだろうけど、他の三人の好きなATG作品は何なのか単純に知りたいな…と思った。確かに単純に「ATG作品」といっても一括りでは説明できない程の変遷の流れや作品傾向のある事は確かで、いい機会だから次回コラムより自分なりに「ATGとは何だったのか」と言うテーマを考察してみようと思ってます。