「リングは盗まれ事務所は閉鎖、みっともなくて情けねえよ。だがよ、俺は飼い犬にはならねえ!!」93年12月5日PWC後楽園ホール大会。高野拳磁はそう絶叫した。もしかしたらそれは使い回しの台詞だったのかもしれないけど、それは全てを失いつつあった者の、正真正銘の「心の叫び」だった様に俺には感じられた。

 90年代なんて古い記憶なのでどうしても観戦した試合の凡そはネット情報頼りになってしまうのだが、さすがにこの日の入場者数が1950人(満員)というのは絶対あり得ない。前にも書いたけどいいトコ500人ぐらいに思えたしその日の出場選手やカードを確認しても、とても後楽園ホールを満員にできる面子ではないだろう。正にプロレスファンから見放された団体の末路というか、試合自体も高野が出場したメインエベント(有刺鉄線ケージ・スパイクボードデスマッチと長い名称が付いた試合だったが、要するに有刺鉄線を巻いたベニヤ板をリングに持ち込んだ安直なデスマッチ)も含めショボかったという印象しかない。

 ところが『週刊プロレス』が試合ルポで「野良犬の叫び」みたいなキャッチを付けた事で、泥水を呑む様なレスラー生活をしていた高野拳磁が突然クローズアップされる事になるのだから、何が幸いするか分かった物ではない。

 

 元々高野拳磁(本名・高野俊二)は新日本プロレスの覆面レスラー『ザ・コブラ』ことジョージ高野を実兄に持ち、兄を頼りに自らも新日本入りした将来を嘱望されていた逸材レスラーだった。野性的な褐色の肌、身長2メートルの巨体から繰り出されるドロップキックやフライング・ニー・ドロップは見た目にもダイナミックで、その巨体やアフリカ系米国人とのハーフという出自からしても、その気になったら米国マットを渡り歩いても十分通用しただろう。

 ただ練習嫌いと酒癖の悪さから来る素行不良がネックとなり新日本から戦場を全日本プロレスに移してからもブレイクできなかった。あげくの果てにSWSに引き抜かれ電撃移籍、その直後週プロの読者投稿欄で「自分がバイトしているコンビニで高野が泥酔状態で大暴れして商品棚を破壊し『修理代は全日本プロレスに請求しろ』と言い残して立ち去った」と告発される有様。SWSと冷戦状態だった週プロだけに「作り」の可能性も高いが、そういう噂が出てもおかしくなかったという事だろう。

 とにかく酒癖の悪さは相当な物で、現『DDTプロレス』社長兼業レスラーである高木三四郎がPWCに所属していた時代、高野拳磁に夕方の6時に呼び出されると翌日の6時までは解放してくれなかったという。あの巨体だから底なしだったらしい上に、機嫌が悪いと平気で相手を殴ったりもするのだから付き合わされる方は地獄だ。

 そんな人間がSWS解散後立ち上げられた新興団体であるPWCを上手く運営できるはずもなかった。PWCの運営資金を出していたジョージ高野とは、実は子供時代離ればなれで暮らしていたそうで、兄が新日本にいると聞いて入団志願した時が初めてマトモに話したとも言われているから端から「兄弟の絆」などあろうはずもなく、PWCを先に抜けて兄とは絶縁状態になっているみたいだ。

 と、レスラーとしても人間としても一つも良さそうな所がなさそうな高野拳磁が、当時放映されていたテレビ朝日系列のプロレスバラエティ番組『リングの魂』に大きく取り上げられた事で、レスラーのみならず特異な容貌を買われタレントとしても活動を開始。「野良犬」をキャッチフレーズに一時は所属選手は高野一人団体状態だったPWCも曲がりなりにも定期的に興行できる様になっていった。そして高野は、生き馬の毛を抜くプロレス界で生き残るために、当時流行の兆しがあった屋台村形式の酒場で行われる「屋台村プロレス」の運営にも関わる。

 これはプロレス業界でも評判が悪く「酔客の酒の肴に試合を提供するとはプロレスラーにあるまじき行為」と厳しく批判された。確かに新日本や全日本のレスラーから見たらそんな場所で試合をするレスラーは「最底辺」という事になるだろう。しかし前述した高木三四郎、癖者レスラーとして様々な団体に上がっているバイプレイヤーレスラー『NOZAWA論外』、面白レスラーとして活躍した『菊タロー』、メキシコでトップ日本人レスラーとして長年活躍する奥村茂雄など、トップ級ではないにしろユニークな個性を持ったレスラーが「最底辺」の屋台村から出発したのだから馬鹿にはできない。高野拳磁がプロレス界に遺した唯一の功績と言ってもいい。

 そんなカオス化した90年代プロレスの時代の寵児となった高野拳磁だが野良犬人気も僅かな期間で効力を使い果たし、興行を続けてきたPWCも96年に再度高野以外の所属選手が全員退団するに至ってとうとう命運は尽きた。結局高野が意識変革でもしない限りプロレス界でサクセスする事は出来なかった…という事だろう。PWC解散以降は散発的に試合をし、役者として今年亡くなった和田誠監督作品『真夜中まで』(99)に出演した事もあったが、21世紀以降その消息は途絶えた。

 高野拳磁は本当に飢えた野良犬になって街の底で蠢いている…そんな妄想もあながち嘘とは思えなかったのだが、最近知ったネット情報によると米国でちゃんとした堅気の生活をしているという。そういう甲斐性があるなら何故真剣に練習して一流のプロレスラーを目指そうとしなかったんだよ!と突っ込みたくもなるが、まあそういう昔の自分を反面教師として「今」があるのかもしれないから、これで良しとするか…。