1985年頃だったろうか。三軒茶屋の名画座で映画を観た帰り。昼すぎだったしどっかで昼飯でも食おうかと国道246号線の歩道をトボトボ歩いていたら、視線に「永源ラーメン」の看板が飛び込んできた。永源と聞いて思い浮かべる人物は俺の中では一人しかいない。じゃあちょっと入ってみるかと歩道沿いにある店に入った。

 店内は何か異様に薄暗く客は他に誰一人いなかった。何の変哲もないラーメン屋に見えたが壁には所狭しと長州力を始めとした『ジャパンプロレス』所属レスラーのファイト写真が貼りめぐらしてあって、なる程俺ならあの永源遥の店なんだなと分かるが(当時永源はジャパンプロレスの選手会長を務めていた)、それ程プロレスに詳しくない人だったら店主が熱狂的なプロレスファンなのかな…ぐらいにしか思われないかもしれない。そんな侘しい感じもある店内で多分俺が注文したのは醤油ラーメンだったと思うが、これも普通にどこの店でも食べられる様な特色のない、プロレス的に言えば「中堅」的な味とでも表現すべきか(笑)。結局永源ラーメンに入ったのはその時限りで店はその後跡形もなく姿を消した。レスラーの副業としては上手くいかなかったらしい。

 永源遥といえばプロレスファンの誰もが90年代の全日本プロレスの前座戦線を賑わした「ファミリ―軍団対悪役商会」の試合を思い出すに違いない。ジャイアント馬場、ラッシャー木村、百田光雄のファミリ―軍団と永源、大熊元司、淵正信らの「悪役商会」との対決は、ジャンボ鶴田や三沢光晴が織りなすメインエベントの激しい試合とは好対照な「お笑いプロレス」で、永源はその中心人物であった。タッチを受けると張り切って相手に突撃していくのだが結局ショボく首固めとかで負けてしまう情けなさ、最前列の観客に向けて放たれる唾攻撃(対戦相手がリングエプロンに立たせた永源の喉元にチョップを打つと永源が唾を吐くのがお約束で、観客は新聞紙を頭から被ってそれをガード)。たまにTVや試合で見るだけだとのんびりした物に映るけど、実は毎試合やっているのだから吐く方の永源も大変だ。

 そして試合後永源がすごすごと帰っていこうとするとラッシャー木村に呼び止められて「マイクパフォーマンス」の餌食になる(実は大相撲を廃業した永源をプロレスに誘ったのが相撲界では先輩に当る木村で、1966年『東京プロレス』という団体で永源のデビュー戦の相手を務めたのも木村。実は二人の間には深い絆があったのだ)。そこまでがセットになっていた試合だった。

 そんな永源だが年頭恒例のバトルロイヤルとかで健闘し残り四人ぐらいまでは残っている事もあり、その時は当然ながら観客は永源を熱狂的に応援する事になる。勿論彼が勝ち残るアングルなんて絶対にあり得ないのではあるが。

 永源は90年代まで東京プロレス~日本プロレス~新日本プロレス~ジャパンプロレス~全日本プロレスと所属団体を転々としていたが、殆どレスラーとして注目を浴びる事はなかった(唯一新日時代『国際プロレス』との対抗戦で国際プロレスのタッグチャンピオンベルトを奪取しており、この事で「実は永源はガチでは強いんだ」伝説も生まれた)。それ以外はずっと前座のお笑いプロレスに徹していた訳で、そんなレスラーにも日が当たる様になったのもまた90年代プロレスならではであろう。永源のパートナーだった大熊が病死し馬場が亡くなった後もファミリー軍団対悪役商会の終わりなき戦いは続き(馬場没後は引退間近なジャンボ鶴田がファミリ―軍団に加わったりした)、ゼロ年代になると『NOAH』での、百田との第一試合へと受け継がれていった。

 ただプロレス関係者の話を聞くと、永源はリング上の剽軽なファイトとは別の顔をリング外では持っていた様だ。あの森喜朗元首相が結婚式の仲人を務めた程の顔の広さでプロモーター的な仕事もしておりジャパンプロレス参加時、そこから離れて全日本所属になる辺りでは「策士」的な動きをしたとも伝えられている。

 実は俺は一度路上で永源とすれ違った事がある。その時の印象もリング上の剽軽さとはかけ離れた、「俺に気安く声をかけるなよ」的な、一種凄惨な雰囲気を全身から醸し出していて、俗な言い方で言えば「堅気」の人とは言い難かった。結局そっち方面の付き合いが問題視され永源は現役引退後も関わっていた『NOAH』の運営から身を引く事になる。三沢がリング上で死んでまもない頃の出来事であり、それとこのスキャンダルのWショックで以降のNOAHは深刻な経営不振に陥っていく。

 やはり永源遥のレスラー全盛期は90年代ではあろうが、彼自身は「昭和のプロレス」を引き摺って生きてきた人だったと思う。昭和なら地方興行にはヤクザ関係との付き合いは欠かせない物だったし、リング外の策士ぶりも昭和世代レスラーならではであり、彼だけを悪者扱いする訳にはいかないだろう。

 ただ時代は変わった。今メジャーのリングに立つのはアスリート的な肉体を持つ平成世代で、お腹のポッコリ出た永源の様な肉体のレスラーは、今は前座戦線でも殆どお目にかかれなくなった。プロレスに色々な意味で「曖昧さ」が許されたのは、ギリギリ90年代までだったと俺は思うのだが。