なぜか近頃また聴く機会が多くなった、グールドの「ゴールドベルク変奏曲」の81年録音です。
以前に同盤の記事を書いたことがありますが、結局ず~っと聴き続けているということになります。
そしてとにかく、、、相変わらず惹きつけられます。
バンドのように複数人が出す音の絡み合いではなく、完全にパーソナルで屹立した音がうなりを上げる様はソロアーティストの極みです。
一度きりのライブ演奏において最高の演奏を行うことに限界があることを認識し、録音テイクを重ねてベストなものを積み上げて「作品」として提示する道を選んだのが64年、31歳のとき。
レコーディング技術の進歩と合わせるように方向性が変わっていったことがわかります。
このあたりの話はまるで後を追うようにBeatlesが66年にライブコンサートをやめてレコーディングへシフトして行くことで抜群に完成度の高い作品群を生み出していった事と重なります。
グールドもそこからはほぼレコーディング・アーティストとしての活動です。
確か、昨年あたりにこの録音時のアウトテイクスも発売されたかと思います。(55年録音の方は数年前にアウトテイクが出されていたかと。)
本人がどう思うかは別としてアウトテイクの類がアルバム化されるクラシック・ピアニストは、まあいないかと。
使用していたスタンウェイ&サンズのピアノが搬送中に破損してしまい、ニューヨークで偶然見つけた中古のYAMAHAで録音されることになったこの81年のバッハ作品、、、、
デジタル録音の恩恵(?)を受け、お馴染みの演奏しながらのハミング(というか鼻歌というか唸り)もしっかり録音されています。
その昔はクラシックというジャンルは作曲家の書いた譜面をいかに正確に忠実に演奏するか、「演奏自体の面白み」というよりどれだけスコアを再現できるかが奏者に課せられた使命だと思っていたのですが、、とんでもない誤解ですね。
「作曲家の意図」と「演奏者の曲解釈」という命題。
演奏者側の作品解釈の範囲、可能性の追求という異なる次元でのせめぎあいが必ずある。作曲家の意図がどこにあれ、それはあくまでも素材であって、完成に至るまでに指揮者や奏者が与える解釈の振幅がどれだけ大きいか。
調和した和音を響かせながら、いかにそれぞれの音を際立たせるか、というこだわりがバッハにつながっていく、というのもイメージしやすいです。
恐らく一生聴いても飽きない作品でしょう。
結局、自分ごときが語れるものじゃない、、、