書きたくなったので書きました | ぴっくと枇杷のブログ

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2012年多発性骨髄腫と診断されて治療を始めた途端に重篤な肺炎になり生死をさまよい、自家移植はしない選択をしました。枇杷葉温圧と出会いで「冷えは万病の元」と教えていただき「1年365日、体温36.5度、温活で元気に長生き」をモットーに日々の様子をブログで綴っています。

ネットを張ったら、右へ左へとスクスクと成長。
このまま塀を這っていくコースもあるらしいです。
朝起きたら、次男の秩父土産。

天然かき氷はめちゃくちゃ行列で
くるみ蕎麦も行列で

いろんな店の味噌ポテトを堪能して気に入ったらしいです。

秩父味噌ポテトは秩父名産借金なし味噌という味噌を使用しているらしいです。知らなかった〜

ネーミングセンスがすごいですよねぶー

じゃがいもがあるから作ってあげようかな?と思ったら、小麦粉が切れていました。

小麦粉を買うのは病院へ行く火曜日だな。

こういう時はすぐに食べたいものですけど、我慢。
魚しっぽ魚からだ魚あたま魚しっぽ魚からだ魚あたま魚しっぽ魚からだ魚あたま
先週は、坐骨神経痛予防のために、月、水、金、土曜日と、たっぷり枇杷葉温圧へ通いました。
感謝!

この流れで、たまには病気のことも書くか〜。←自由すぎ

2012年の秋に多発性骨髄腫の疑いがあるから1ヶ月の検査入院と言われて、藁をもすがる思いで病院へ。

どうして藁をもすがる思いだったかというと、春ごろから始まった肋骨や脇腹の痛みが、秋には背中や腰など自分が歩いた振動が身体中の痛みになっているような状態だったからです。

上半身に5ヶ所の圧迫骨折があり、入院中にトイレで一ヶ所また折れました。

入院中の骨髄穿刺の結果で初めて診断が確定して、治療を開始。
薬も点滴(ベルケイド)も言われるがままに頑張っていました。←証拠に?手足の痺れ残っています。
1ヶ月で家に帰れるなら…という思いです。

後4〜5日で1ヶ月という頃は、体は痛いけど退院したくてしょうがなく、カツラ屋さんをベッドに呼んで説明を受けたり、病院の生活支援の方が退院の向けて電動ベッドを入れたほうがいいという話だとかをしていました。

ですが、そこから記憶が無くなりまして、目を覚ました時には、集中治療室のベッドの上でした。

喉を切開して人工呼吸器を入れて一命を取り留めたと、自分が認識したのは随分と後のことで、この時期の記憶は途切れ途切れ(ほぼない)です。

重篤な肺炎で4ヶ月入院して、2月に退院。
家に帰った時、玄関先にはまだハロウィンの飾りがあって、骸骨や蜘蛛や蜘蛛の巣に迎えられました🎃オイオイ

職場の人は私がなんで休んでいるのかを知らなかった人が多く、それでも色々を察して励ましてくれる方々がいました。

発症当時の同僚は、東城百合子さんの自然療法の本などを沢山紹介してくれました。

連れ合いのところには、自分の母親が癌になって、治療が合わなかったので薬をやめて食事療法に切り替えて、ピンピンコロリと亡くなったという同僚からのメールがありました。

病院は
・病気になった原因は不明。
・何もしなければ3〜5年後に死ぬ。
・移植をしたら再発までの時間が伸びて、うまくいけば60歳くらいまで行ける。←60まで生きられればいいと私には聞こえた
・仕事も辞めなさい。

病院では良いことは言われませんでした。

救ってくれたのは、本気で心配をしてくれた人たちが紹介してくれた本でした。

もし今必要な方がいらしたらと思ったので、少し紹介します。

★自然療法 (東條 百合子)
★図解自分ですぐできる免疫革命(安保 徹)
★真実のガンの治し方(鶴見 隆史)
★泣いて生まれて笑って死のう(昇 幹夫)

退院してベッドに横になっていた時期は、毎日毎日これからどう生きていくのかを考えていました。

死ぬってわかっていても生きていたいんだなぁ〜としみじみ実感した頃でした。

そしてリハビリの散歩で出会ったのが、今も通う枇杷葉温圧です。
ここでの出会いの話は、またにしましょう。

長々とお付き合いをいただきましてありがとうございましたクローバー