前回のブログで、税理士試験を受けるに至った経緯を書きましたが、今回はその続きを。
新卒で入った会社を二年弱で退職し、無事に税理士受験生という地位(?)を手にした僕は、退職してから1ヶ月後、翌年の1月から、某大手専門学校に通い始めました。
専門学校では、1.5年5科目コースなるものに申し込みました。これは文字通り、一年半で5科目受験するというコースです。
確か受講料は60万円程度だったと記憶しているのですが、仕事が忙し過ぎて殆ど使うアテのなかった大枚を握り締めて申し込みをした僕は、既に税理士になったつもりでした、これから始まる苦労を全く知ることなく…(苦笑)。
資格浪人になることありきで、沢山ある資格の中から税理士を選び、簿記の勉強などは大学の選択科目で一応やったことがある程度で、当時は日商簿記3級程度の知識すらなかったし、まして「税法って何?」という状態からのスタートだった訳ですが、今考えると無謀にも程があるなぁとゾッとします。
今程ネットであれこれ調べられる環境にはなかったとはいえ、完全な見切り発車でしたから。
さて、初年度は1月から夏の本試験まで、あまり時間もなかったため、必須科目である簿記論と、「簡単」と噂に聞いた酒税法を選択しました。
簿記論が週2コマ、酒税法が週1コマで、それ以外の時間は自習に充てるという生活を始めた訳ですが、これが予想外に辛い…本当に辛かったです(苦笑)。
まず、ちゃんと勉強をするというのが大学受験以来だったので、毎日ひたすら勉強をするという生活になかなか馴染めなくて。
そして、やる気はあるものの、初歩的な知識すらロクにない僕が手を出すには、特に簿記論は難易度が高過ぎました。当然、実力テストの結果等はしばらくは散々でした。
ただ、僕が当時教わっていた講師の先生、年の頃は当時の僕とほぼ変わらない若い方々だったのですが、とても良い先生で、分からないなりに必死に食らい付いて講義後に先生を捕まえて、分からないところを聞きまくるというのを続けていたところ、「直前期」と呼ばれる5月頃には、何とか平均点くらいは取れるようになっていました。
「直前期」では、それまでのインプット中心の講義から、本番の問題を想定した演習問題を解きまくるアウトプット中心の講義に切り替わるのですが、この頃は食事や睡眠以外のほぼ全ての時間…1日15時間くらいは勉強したと思います。夢の中でも、演習を解いているような、文字通り勉強漬けの日々でした。
試験の一月半位前になると、全国模試があるのですが、ここが一つの試金石になると思って必死に勉強して、それなりの手応えがありました。
その当時、税理士試験は合格率が10%程度で、受験生の中には独学の人もいるから、専門学校でひたすら訓練をしている受験生の中で上位20%くらいに入れれば合格圏内と言われていて、僕の目標もその辺りだったのですが、後日返却されてきた、手応えがあったと思われた全国模試の結果は、確か上位60%程度で「合格はかなり厳しい」という判定でした。
これはさすがにこたえました。
これだけ勉強しても、合格レベルまで全く手が届かない、自分は何てものに手を出してしまったんだ…と、その時点で完全に気持ちが切れてしまいました。
当時は実家にいて、普段は勉強の進み具合など一々親に話すこともなかったのですが、このときばかりは母親に全力で愚痴ってしまいました。もう無理だ、こんな試験絶対受かれる訳がない、もう止めたい…と。
うんうんと聞いてくれていた母親は特にアドバイスめいたことを言うわけでもなかったのですが、おもむろに、父親がその日仕事で遅くなるから外食に行こうと誘ってくれました。
今でもこのときのことはよく覚えているのですが、近所のトンカツ屋に入り、注文を済ませて、暗い気持ちのままぼんやりしていると、そのとき母親がおもむろに「辛かったら止めてもいいんだよ」と言ってきました。
自分勝手に仕事を辞めて、 自分勝手に勉強を始めて、自分勝手に挫折しそうになっていたこと…それはただの甘えに過ぎないのですが、それを母親が真摯に受け止めてくれて、肯定してくれたことが嬉しかったのと、そんな弱い自分が情けなかったのとで、それなりに混雑していたトンカツ屋で泣いてしまいました。
20代半ばの男が母親らしき人の前で、トンカツ屋でエンエンと泣く姿は、傍目からはとても滑稽だったかと思いますが(苦笑)、このときのことがあったおかげで、気持ちを切り替えることが出来ました。やるだけやってダメだったら、またチャレンジすればいいやって。
そして、最後の最後まで諦めずに追い込みをかけて臨んだ本試験。
二科目とも、自己採点ではボーダーギリギリでしたが、12月の発表では二科目とも合格していました。
あのとき、母親とトンカツ屋に行って、言葉をかけてもらわなければ、きっと合格出来ていなかったし、それどころかそこで挫折していたかもしれません。
そうなっていたら、今頃どうなっていたか…考えるだけでもゾッとします。
今は僕も人の親になりましたが、子供が僕と同じように甘えきった態度を見せたときに、同じように全力で受け止めて上げられるかどうか…きっと「甘えたことを言うな!頑張れ!」と言ってしまうかもしれません。
でもあのときに僕が必要としていたのは、母親に受け止めてもらうことであって、紋切り型の激励ではありませんでした。
人の親であるということは難しいなぁと思わされると同時に、母親には本当に勝てないなぁと日々思わされます。
話が逸れてしまいましたが、二年目、三科目受けられるからと、無理に三科目を同時進行で進めたものの、結局自滅してしまい、二年目は1科目しか合格出来ませんでした。
まぁ二年で5科目は無理だったけど、働きながらでも、あと二年もやれば残り二科目余裕だろうと思って会計事務所に就職したのですが、そんなはずはなく(笑)、そこからがまた辛い日々の始まりでした…。